第6話
小道沿いにある狭いコインパーキングに二人が着くと、パツコが料金を払い(都内ハ高イナ)、ペイタは黒い軽ワゴンにエンジンを入れて窓を全開にした(暑イ!)。朝の陽射しに照らされた車内は逃げ場がなく、すでに熱気が籠〈こも〉り、車独特の頭痛のする臭いを強めている。近くの自動販売機で炭酸飲料と茶を買い、パツコは運転席に乗り込んだ。薄青い空が広がる雲のない空の下、二人は江ノ島目指して枯れた雑居ビル群を出発した。
国道から首都高速に入り、そのまま東名高速を使って西に進む間に、二人は変わり果てた樹木を何度も見かけた。植物だけでなく、一風変わった色の雀──ペイタ深緑色・パツコ茄子色──、鳩──ペイタ緑がかっている・パツコ青みがかっている──も見た。一方、マンションやビル等の建築物や派手な広告看板は変わらず、都会を形作っている無機質な物はどれも変化がない。高層な街の下を蠢〈うごめ〉く無数の人間も変わらない。ただし、二人が駅前を過ぎる時に例外を見かけた。
「それにしても、あの浮浪者には驚いたな。おれはてっきりミュータントか、宇宙人かと思ったぜ」ペイタは座席の隙間を肉で埋めて話す。
「また馬鹿にする」パツコは前を向いて運転する。
「しょうがねえだろう? ほかの人間は普段と変わらないのによ、浮浪者達だけ色が違うんだから、なんだっけ、森林色だっけ? あんな肌の人間なんか、漫画や映画以外に見たことねえよ。胡瓜〈きゅうり〉の食いすぎで色の濃くなった河童か、もしかしたらどっかの国のアニメのように、下水で育った緑亀が突然変異したぐらいな物だろうな。はっはっはっ……」腹から顎までの肉を波打たせてペイタが笑う。
「そんな言い方しちゃだめだよ」パツコの口調はいくぶん鋭い。
「おまえは何色に見えるんだっけ?」ペイタが声を震わせて訊ねる。
「深ぶどう酒色だよ」思い出したらしく、パツコはすこし笑って答える。
「おい、おまえ今笑っただろう? 人に注意するくせに笑ってんじゃんかよ」ペイタはパツコの顔を覗き込むように見る。
「だって……」パツコがまたにやける(フフフ)。
「まあしょうがねえよな、深ぶどう酒色なんだからよ。路上に寝すぎて醗酵〈はっこう〉した人間を見て、笑わねえ人間のほうがおかしいぜ。しかし、深ぶどう酒色っていうのもおかしいな、この本もよくまあ、これだけの色に名前をつけたもんだ。パツコ見ろよ、深川ねずみなんて色があるぜ。これなんか、言葉だけ聞いてもさっぱり色が浮かばねえよ」ペイタが色彩ハンドブックを開いてパツコの顔に近づける。
「えっ、ほんとだ」パツコが一瞬顔を向けると、すぐに正面を向く。
「まったく適当な返事をするやつだ。その点、横文字で呼ぶとパウダー・ブルーだから、なんとなく雰囲気が伝わるな。そのかわりこの濃緑なんて、横文字で呼ぶとビリジャンだぞ」ペイタが本を見つめながら声を出す。
「そうね、色も色々あるね」パツコが考えなしに返事する。
「あのミュータント連中を見て思ったけど、おれ達の目に変わって映るのは、すべて自然の物じゃねえのか? 空も野菜も植物も、みんな自然の物じゃねえか」ペイタが偉そうに言う。
「うん、わたしもそう思う。鳥も自然の生き物だもんね。でも、なんであの人達も変色しているの?」パツコが笑いを我慢して話す。
「なんだおまえ? そんなことも気づかねえのか? わざわざ説明しなくったって、あいつらの生活様式を考えればわかるだろ? あいつらは自然の生き物なんだよ」ペイタが馬鹿にしたように笑い出す。
「そうなの? なら他に変色している人がいてもいいんじゃない?」パツコは前を向いて訪ねる。
「他のやつらなんて知らねえよ」ペイタは腹を摩〈さす〉る。
「あの人達だけが自然な生き物なんておかしいよ、だってそうなると、色の変わらないそれ以外の人は、すべて不自然な生き物になるじゃん。なんかおかしくない?」パツコがちらっとペイタを見る。
「べつにおかしくねえよ。実際にそう見えるんだからな」ペイタは送風口に掛かるドリンクホルダーに手を伸ばす。
「なんかいやだな、ほとんどの人が不自然な生き物だなんて」パツコもドリンクホルダーに手を伸ばす。
「じゃあ、浮浪者になれよ」ペイタはペットボトルの口を開ける。
「そういう意味じゃないの」パツコは手に取った茶の缶を口に運ぶ。
「ならどういう意味だよ」そう言うと、ペイタは液体の流れるのを待たずに、勢いよく吸いつく。
「なんか変だなぁ、と思っただけ」パツコは静かに答える。
「変なのはおめえだよ、言ってることが全然わからねえよ」ペイタの口元から水分が垂れる。
「違うの、自然だの不自然だのなんて気にしたことなかったから、なんか意外な事実を知ったような気がして、なんだか変な感じがするの。だってわたし達から見れば、色の違ったあの人達のほうが普通じゃなくて、よっぽど不自然でしょ? それなのに、それ以外の人達のほうが不自然だなんて……」パツコは真面目な顔してゆっくり話す。
「馬鹿言え、ミュータントのほうがおかしいぞ」ペイタの語調が強まる。
「でも、自然な物だけ変わった色に見えるじゃん、それでおかしいと思っていた人達が違った色に見えるでしょ? わたしが自然だと思っていた人々が、突然不自然だなんて言われると、なんか混乱しちゃう」パツコはぽつりぽつり話す。
「わけわかんねえこと言いやがって、まわりの人間が不自然だなんて今頃気がついたのか? まったく知能の足りない雌だ。おれなんかとっくに気がついているぜ、なんなら具体例をあげて説明してやろうか? ほら、ここにおまえの大好きな女性歌手のCDがあるだろ? これなんか不自然な人間の典型的な例だぜ。世間ではエロカッコイイなんて騒いでいるけどよ、おれなんかまったく理解できないぜ。エロカッコイイなんて言葉自体が不自然だしよ、そんな言葉を喜んで使って騒ぐ連中も不自然だし、エロカッコイイを売りにするこの女がそもそも不自然なんだよ。ルックスやスタイルが飛びぬけているわけじゃないくせに、中途半端に体を露出して歌いやがる。まるで出来の悪いアダルトビデオを見ているようで、非常に胸糞が悪くなるぜ。おれはこのていたらくな女に言ってやりてえよ。一ヶ月間毎日、自分の体の隅々まで鏡に写して、最低一時間見ろと。そうすれば気づくだろう? 露出すべき体じゃないってな。こいつの体なんか、競争の激しいアダルトビデオ業界の荒波に飲み込まれたら、一作品もダウンロードされることなく水没するぜ。おれはな、音楽なんかにこれっぽっちも興味ねえから、こいつの歌がうまいかへたなんかわからねえけど、こいつの体はよくわかる。B級にも届かねえ体が中途半端な露出をして、もてはやされるのが気にくわねえ。一ミリも勃起をうながさない露出のせいで、頭に血が上って血管が切れそうになるぜ。エロカッコイイだぁ? ふざけるな! エロカッコイイなんてものは存在しねんだよ! エロイはエロイ以外になくて、どれだけ男を発情させるかが重要なんだよ。まず歌を歌うな! 歌うなら裸で歌え! それから堂々と股を開いてマイクを突っ込め!」
そう言い放ったところ、冷房の効いた車内で汗を垂らすペイタは、窓を開けて女性歌手のCDを高速道路の地面に叩きつけた(クタバレ!)。プラスチックの破片が宙に舞い、一瞬にして後方へ流れて消えてしまう。
「ペイタの馬鹿ぁ! 何してんのぉ!」パツコが甲高〈かんだか〉い声をあげて本気で叫ぶ。
「うるせえ! あんな女のCDなんか、車に踏みつけられるぐらいがちょうどいいんだよ」ペイタの鼻が大袈裟に呼吸する。
「今の話のどこが不自然な人間の説明なのよ! ペイタの考えと行動のほうがよっぽど不自然じゃん!」ペイタをまじまじ見てパツコが怒りの声をあげる。
「おいおい! 危ねえから前見て運転しろよ」パツコの頭をつかんで前へ向かせる。
「なんであんなことするの! 信じられない!」パツコは横を向こうとするが、ペイタの手に固定されて動かない。
「わかっただろ? ああいう女が不自然な人間の典型だ。自然なエロ女なら歌を歌わずに、公然とアダルトビデオに出演するものだぜ。自然なエロ女はあんな中途半端なエロじゃねえ、おまえが男に触れるたびに股間を濡らすように、体のラインを見た男の陰茎から必ずカウパー液を絞るような女だ。第一ああいう偽エロ女は、どっかの小説に出ていた生意気な猫の言う、四六時中病気でいたいくせに、実際に死ぬのが嫌な贅沢者と同じで、中途半端なエロを振舞うくせに、実際は真正のエロが嫌なんだぜ。強姦されれば、本気で泣き続ける女なんだよ」
そう言うと、ペイタは大きく息を吸い込んだ。
「よくそれだけ汚いことが言えるね、さすが畜生のペイタだよ。強姦されて泣かない女性なんているわけないじゃん」パツコは頭を押さえられたまま話す。
「それがおもしろいことにいるんだよ。おれが今までに観たアダルトビデオの中に、どう見ても本当の強姦としか思えない映像があってよ、顔面を拳で殴られて、脛〈すね〉をつま先で蹴られて、髪の毛を無造作にむしられるんだぜ。足なんか折れて曲がっているのに、男達に服従して狂ったように腰を振って喘ぐんだぜ! またそれがエロイ体つきの女なんだよ、あれはすげえよ」ペイタが興奮して話す。
「嘘だよ! そんな女性いるわけないじゃん! 絶対にやらせだよ!」パツコは怒った口調で話す。
「素人のおめえに何がわかる、男のインフラであるアダルトビデオを観て育ってきたおれには、ありありとわかるんだよ。あれは絶対本物のエロ女だ。しかもエロ女はそいつだけじゃねえ、股間に毛の生えていない女の子が、父親らしき男に強姦されて、無邪気な顔して喜んでいる映像もあったぜ。それなんか……」ペイタが変に真面目な顔して話す。
「もうやめて!」パツコが声を引きつらせて叫ぶ。
「なんだよ、おまえが信じねえから説明してやってるのによ……」ペイタは顔をしかめて話す。
「わかったからやめて! もうしゃべらないで!」パツコが泣きはじめる。
「ちっ、またかよ」そう言ってペイタは手を離した(ホント面倒クセエ雌ダナ)。
ちょうどその時、流れの滞〈とどこお〉らない東名高速道路を走る車は、多摩川橋に差し掛った。光に映〈は〉える真夏の草木が辺りの大地を埋め、橋の下を緩やかな曲線を描いて流れる多摩川が見える。河川敷には茶色のグラウンドがかっきり区切られていて、ユニフォーム姿の人間とその家族が大勢集まっている。多摩川は明灰色の川原を脇に従えて、地上の景色を複雑に反射させたまま川面を輝かせている。
「うおおお! これはひでえ!」ペイタが窓にへばりついて叫ぶ。
「ふふふ、ほんと、すごいね!」パツコは泣いているのだか、笑っているのかはっきりしない顔を正面に据えたまま、眼球を繰り返し横へ往復させる。
「今までは都会に保護されていたけどよ、ちょっと自然の豊かなところに来たらこれだぜ? こんな滅茶苦茶な景色見たことねえよ。こりゃ地獄だ」ペイタは呆気〈あっけ〉にとられている。
「ここまでくるとどぎついね! そこらじゅう赤くて本当の地獄を見ているみたい」眼を小刻みに動かしながらパツコは感想を述べる。
「ピンク色の空でじゅうぶん効いていたけどよ、本気の自然は容赦ねえな。おれ、一生この色を見て生きていくとなったら、一週間耐えられるかな……」ペイタは窓から顔を離して、体を重々しく座席に載せる。
「わたしも、これはちょっときついな。でも、やっぱり時間が経てば見慣れるんじゃないの?」パツコの声は意外に明るい。
「我慢できるなら慣れるんじゃねえの、けどよ、こんな色に慣れて普通に暮らせるようになったら、もう立派な異常者じゃねえか。こんな色を平然と見れるようじゃ、以前と同じように普通に暮らせるわけがねえよ、絶対どこかに影響が出るって」ペイタは細くなった目でパツコを見る。
「そう言われると、なんだか影響はありそうだね。でもさぁ、都会で暮らすなら、頭に異常をきたすような大きな影響は、なんとか避けられるんじゃないの? それに、コンタクトレンズだってあるじゃん」パツコはすでに泣くのを忘れている。
「まあそうだけどよ、なんか、取り戻せない現実を突きつけられたようで、この先、生きていくのがいやになっちまった。もちろんおれは田舎が嫌いだし、都会に住み続けるつもりだけどよぉ、それでも、このいかれた景色を見ると、なんかな……」ペイタは纏〈まと〉わりつくような口調で話す。
「そう思うのも無理ないけど、すこし時間をおけば、また冷静に考えられるんじゃない? そんな悲観しないの」片手でハンドルを支えながら、パツコは芋虫の集まったようなペイタの手を握る。
「おい、手じゃなくて股間を握れよ」パツコの手を無理に股間へ運ぶ。
「危ない!」
手と一緒に体を持っていかれたパツコは、さっと手を引き抜いてハンドルを握る。車は小さく蛇行してから左車線に戻り、多摩川橋を渡りきった。
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