第69話 僕と少年院と伝言と理由 -04

    四



 その日から二日間。

 何も大きな変化は起きなかった。いや、変化が起きていないと思っていただけかもしれない。

 ただ淡々と、日々を過ごしていた。

 そんな中、僕はずっと考えていた。

 現実には不可能だと分かっていても考えていた。

 会う方法を模索しては、それを否定する。

 その繰り返しだった。

 表面上は出来るだけそんなことはおくびにも出さないよう努めた。その甲斐あってか、みんなは僕がそんな状態であることには気が付いていないようである。


 その夜。

 僕がベッドに横になっていると、いつもはイビキを掻いて寝ている吉岡が声を掛けてきた。


「なぁ、遠山。一つ聞いていいか?」

「……何?」

「いや、あんまり聞くもんじゃねぇけどよ」


 吉岡は、何故か歯切れが悪かった。


「いいよ。何?」

「お前さ……何でここにいるんだ?」

「犯罪をしたからに決まっているさ」

「いや、そうじゃなくてよ……」


 吉岡は頭をくしゃくしゃと掻く。


「だってさ、お前って悪いこと何もしなさそうじゃん。ここ数日の行動や言動を見ているとそう思うんだよ」

「僕に言わせれば、ここに入っている人みんなが犯罪をしたように見えないんだけどね」

「あいつらはみんな後から良くなったんだ。えっと……例えば虹川なんか親を半殺しにしているんだぞ。素手で」

「え……あいつが?」


 それは意外だった。


「そんな感じなんだよ。みんな。だけどお前は最初からそうは見えない。それにこの前のお前の母親と友達の反応からも、お前はそこまで悪いことはしていない感じだった」

「……何で知っているの?」

「天井から見てたから」


 そんなことはおいておいて、と吉岡は続ける。


「とにかく、お前、何でここにいるの?」

「……何でって、犯罪をしたからだよ」

「万引きとかそんな軽い、って言っちゃマズイかもしれないけど、そんな程度じゃここに来ないんだよ。一応少年院だからな。俺様は暴走行為で警察に何回もお世話になっているからここにいる。お前は何をしたんだ?」

「……婦女暴行」

「……そんな性癖の持ち主じゃないだろ?」

「女性を殴ったんだから、婦女暴行だろ?」

「それはただの傷害罪だ。紛らわしい言い方をするな」

「どうせ意味は同じだ。どちらも女性を傷つける」

「そうだけど……お前の場合は、どうせ何か事情があったんだろ?」

「事情、ってものじゃない、自分勝手なものだけど……」


 僕は吉岡に、なるべく主観を混ぜないように気をつけて、全て話した。

 佑香という女性を愛したところから、事件までを。

 全て話した後、吉岡は「あぁ、だからだったのか」と何かに納得したようで、首を縦に動かした。


「だからお前、右手が包帯グルグルなんだな」


 そう。あの日から僕の右手は指を曲げることすら出来なかった。

 あの事件の時、僕は堺に最初の一発を平手で打ちつけただけで、あとはずっと壁を殴っていたらしい。だから僕の右手は折れているのに、堺は全治一週間の打撲で済んだのだった。因みに、吉岡を投げ飛ばした時には、右手は使わずに右腕で投げ飛ばした。


「.それにしても……」


 まじまじと、吉岡は珍しそうに僕を見る。


「お前、結構な恋をしているんだな」

「恋じゃない。愛だ」

「そう言い切るのもスゲェよ」


 吉岡は感心したように息を吐くと、しばらく考え込むような仕草を見せる。


「……よし。じゃあ、俺様がそんなお前を手伝ってやるよ」

「え?」


 いきなり何を言い出すんだ?


「手伝うって……何を?」

「決まっているだろ」


 にかーっと、吉岡は笑った。


「お前をここから出してやる。脱獄の手伝いさ」

「あぁ。無理だ」


 僕はきっぱりとそう言った。あまりにもすぐあっさりとそう言っただからだろうか、吉岡は目を見開いて口をパクパクさせた。


「な、何で?」

「だってさ、彼女は今、アメリカにいるんだよ。ここから脱獄したとしても、チケットを取って羽田まで行く間に捕まるし、お金も持っていない。あと君達に僕の気持ちだけで迷惑を掛けるわけにはいけないし。君達が今まで作り上げてきたものとかをさ。恐らく、僕が脱獄に成功したとしても、さすがに部屋同士を繋ぐ穴は埋められて、規則も厳しくなるだろう。僕一人のためにみんなを犠牲にするわけにはいかない。それに、僕は彼女に会いに行く目的が謝るというだけだから、いくら会いたいという気持ちが強くても、理由がそれだけならばみんなは納得しない――これら全部が問題となっているから、全部クリアしなければ出来ないんだ。加えて脱獄の方法も考えなくちゃいけない。だから到底無理」


 僕は大分早口で捲くし立てた。その方が例え内容が理解出来なくても、問題が多々あるということだけは分かるだろうから、諦めやすいと思ったからだ。その予測は当たり、吉岡は頭にはてなマークを浮かばせながらぎこちなく頷いた。


「何だかよく分かんないけど、駄目な理由がたくさんあるってことは分かった」

「なら、そういうことだからな」


 そう言うと僕は彼に背を向け、ベッドに横になった。


「……」


 でも。

 さっきの話で、一つ気がついたことがある。

 僕には、佑香に会いたいという強い気持ちがある。

 だけど、それだけで動くわけにはいけない。

 なら、僕が彼女に会う明確な理由があれば……。

 謝る、なんてネガティブなものじゃいけない。

 何か。

 何かあと一押しあれば……



 この時の僕は思ってもいなかった。

 まさかすぐに、その一押しがあるなんて――



    ◆



 翌日。

 今日は週に一回の散歩の日――というのは名目上で、実際は外で遊ぶことが出来る日らしい。

 というわけで、みんな自由だった。

 外で寝転ぶ人もいれば、あっちでは野球をしていたりしている。

 僕は何となく、サッカーをしていた。グラウンドは広く、ちゃんとゴールもあった。本格的に一一人の二チーム、合計二二人で遊んだ。

 試合は拮抗した。

 定めた時間であと一分。

 得点は同点。


「へい、パス!」


 虹川からのパスを僕は右足で受け取り、一人、二人と抜き去ると、吉岡が守るゴールが見えた。

 吉岡は左寄り。

 右は開いている。

 ――いける!

 次の瞬間、僕は右足を大きく振り上げ、そして思い切り振り抜いた。

 轟音と共に、ボールは狙い通りの所へと飛んで行った。


「しまった!」


 吉岡の焦る声が聞こえた。

 僕は勝利を確信し、ガッツポーズを取ろうとした。

 だが――

 カコーン。

 軽い音が、辺りに響く。

 僕のボールは、無情にもポストに弾かれた。


「――っ!」


 マズイ。

 あの位置には誰もいない。このままじゃカウンターを――


 しかし、次の瞬間だった。

 バスッというボールを蹴る鈍い音が聞こえ、そのボールはゴールへと突き刺さっていた。

 そしてその同時に、ピー、っとタイムアップの笛が鳴った。

 僕のチームの、勝ちだった。


「いやっほぅ!」

「ちっくしょおぉぉ!」


 僕のチームの人達は喜びに、吉岡のチームは悲しみに叫んだ。

 僕は最後の得点を決めた奴の元へ、駆け足で向かった。


「やったじゃんか。あそこにいるなんて気がつかなかったよ」


 僕が肩を叩くと、そいつは振り向いた。


「いや、ありがとう。遠山君」

「……っ!」


 振り向いたその顔を見た瞬間、僕は思わず絶句した。


「何で……いるんだよ……」

「しーっ。静かにして、ばれちゃうでしょ」


 口に手を当てるその人物に、僕は小さな声で訊ねる。


「っていうか、いつからいたんだ」

「最初からだよ。最初から君のチームにいたよ。円陣も組んだよ」


 全く気がつかなかった。

 恐ろしい。

 本当に、恐ろしい。

 今まで、何で気がつかなかったんだろう。

 だが――こいつなら説明がつく。

 誰もいないと思った位置にいたことも。

 今の今まで気がつかなかったのも。

 全ては、こいつだったから。

 僕は大きく息を吸い、落ち着いてから、彼に笑い掛けた。


「久しぶりだね――地味ーシオ」


「地味って言わないでよ」


 地味ーシオ――時美次実は眉を潜めた。佑香の変貌を知らせに来てくれた時以来だから、久しぶりにもほどがある。

 しかし、人物名を出しただけでここにいる理由が全て説明できるなんて。

 僕は思わず、くすりと笑ってしまった。


「うん。遠山君は元気そうだね。安心した」

「ああ。君のおかげでね」

「おいらのおかげ? 何で?」

「いや、気にしなくていいよ。それより何でここにいるの? 僕の顔を見に来ただけ?」

「あぁ、そうだった。サッカーに夢中になってて忘れるところだったよ」


 時美はあははと笑うと一転、真剣な表情になる。


「伝言を、君に届けに来た」

「伝言?」

「うん」


 彼は大きく頷き、そして囁くような小さな声で、はっきりと告げた。



「『決行するなら、今夜七時。全ての準備は整えている』」



「……っ!?」


 僕は思わず、彼を凝視してしまった。


「準備……?」

「うん」


 彼は首を縦に動かす。


「アメリカへのチケットは取った。移動手段も、君の荷物もある。脱獄方法も、ちゃんと考えてある――だってさ」

「なんと……」


 僕が昨晩に吉岡に言った条件の物質的な部分は、全て満たされていた。

 だがしかし――


「あ、脱獄方法はね。おいら達が入り口で騒ぎを起こして、少年院の職員を全員倒す」

「え……ちょ、ちょっと待って。それはやめて」


 僕が待ったを掛けると、彼は首を傾げた。


「え? 何で?」

「だって……ここの施設の人、いい人ばっかりなんだ。だから傷つけたくない」

「そうなのか。でも、うーん……」

「それにさ、どうせ無理だよ」


 僕は首を横に振る。


「警備員さんだって鍛えられているはずだし、施設の人だって相当強いと思うよ。だから倒すなんて……」

「いや、出来るよ」


 ふふん、と目の前の地味な少年は鼻を鳴らした。


「こう見えても、おいら結構喧嘩強いんだよ」

「いや、それはない」

「即刻否定された!」

「っていうかさ、これ以上キャラ付けしなくていいよ。『おいら』とか」

「……あ。やっぱり気がついていたんだ」


 彼は言葉に出来ない複雑な表情をしたが、すぐに「いや、そんなのどうでもいい」と首を振って、


「とにかく、他の方法がないんだから、それしかないでしょ?」


 他の方法がない?


「……いや、あることはある」

「本当?」

「うん……」


 確かに、あることはある。


「各部屋を繋ぐ穴があるんだ。加えて、天井を伝って移動も出来る。つまり、これらの二つを利用すれば、どうにか外に出るルートは有ると思う」

「そうなんだ……なら!」

「でも、それもしたくないんだ」


 僕はそこで、どうしてしたくないのかを説明した。

 リーダー格の人が作り上げてきた信頼とか色々、僕一人のために壊したくない、と。

 すると、最初は訝しげに聞いていた彼の顔は、やがて納得したように明るくなり、そして最後には大きく頷いた。


「分かった。じゃあ、その方法もなしで。でもなぁ……その方法が一番安全で、物理的に人を傷つけないんだけどね」

「うん……でも、それを選択する僕自身の覚悟も足りないのかもしれない……」

「いや、でも君はちゃんと人のことを考えているよ。それを否定することは俺には出来ない……けど」


 彼は僕の目を真っ直ぐに見て、強い口調で告げた。


「その少年院の人には悪いけど……俺は、大多数より一人を取ることが大切なこともあると思う」

「……」


 僕は驚きを隠せなかった。

 まさか、彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

 とても厳しい言葉で――僕が望んでいた言葉。

 ――それでも。

 僕は、素直に頷けなかった。


「……はあ」


 そんな僕に呆れたのか、彼は大きく息を吐く。


「また聞きに来るよ。どこかいい所ない?」

「あぁ。内部には入れる?」

「入れるよ。多分だけど」

「なら、娯楽部屋っていう所に来てくれ。そこなら一人ぐらい増えても気づかれないし、職員も見て見ぬ振りをするところだから、安心だ」

「OK。分かったよ。じゃあ、そこに六時ね。だからその時までに――どうするか決めておいてね」

「あぁ……ごめんな。迷惑かけて」

「あはは。何でそれで謝るのさ。じゃあ、また」


 笑いながら、影の薄い彼はその場から去っていった。


「……」


 その場に残された僕は、ただ立ち尽くすしかなかった。

 彼の言葉を、深く噛み締めていた。

 一人と多数。

 どちらを優先するのかは分かっているつもりだった。

 だけど――


「おい……お前……」


 後ろからのその声に振り向くと、吉岡が何故か驚いた顔をしていた。


「ん? どうしたの?」

「あの人と……いや、あの方とどういう関係だ?」

「友達だよ。ってか、あの方? 何だよ、そのラスボスっぽい言い方は」

「ラスボスもラスボスだよ!」


 吉岡は、絶叫した。


「あの方は……俺様のグループの総長だよ!」

「え?」


 僕の耳が、最大限に狂ったと思った瞬間だった。


「またまた。冗談だろ?」

「冗談じゃねぇよ! あの方は『影縫いの時美』って呼ばれて、こっちの世界ではトップを取るだろうって言われてたんだよ!」

「でもあいつ、今は栃木県だぜ」

「その親の転勤ってやつが、総長の運命を変えちまったんだよ」

「そんなに悪かったのか?」

「悪かった、というより強かったという方が印象に残っている。全戦全勝。しかも総長は、一〇〇人相手なのにたった一人で、全員を素手で倒したこともある。これは俺様も目の前で見ていたから、マジだぞ!」

「俄かに信じられないな……」

「でも事実なんだ……ちょっと挨拶してくる!」


 吉岡は物凄い勢いで、走り去って行った。


「……深いなぁ、地味ーシオ」


 さっきまでの吉岡の反応から彼が強いという言葉は、どうやら信じざるを得ないらしい。それに二つ名があるなんて……まあ、でも『影縫い』とは……大体どんなだったかは想像出来る。どうせ敵から気づかれずに背後に回り込めるからとかだろう。


「……どうでもいいな」


 本当にどうでもいい。

 それよりも――僕には考えることがある。

 僕は頭を思いっきり振り、散歩の時間の終了まではまだ時間があるが、自分の部屋へ戻ろうと歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る