第70話 僕と少年院と伝言と理由 -05

    五



「……僕は何をしているんだ?」


 僕は呆然と独り言を呟いた。

 自分の部屋に戻った僕は、ずっと動かなかった。寝ていたのではなく、ただただ、ずっとぼーっとしていた。何を考えるわけでもなく、ただそこにいた。

 何時間そうしていたのかは分からない。だから確認するために時計を見てみると、僕は大変なことに気がついた。


「え……? もう……?」


 時計の短い針は間もなく、六時を差そうとしていた。

 六時。

 それは、僕が決断をしなければならない時間だった。


「……どうしよう?」


 とりあえず、誰もいない部屋で訊ねてみた。

 当然、返事はない。

 ……え?


「返事はない?」


 ちょっと待って?

 今は六時。まだみんな自室にいる時間だ。

 なら、何で吉岡はいないんだ?

 ……他の部屋に遊びに行っているのか?

 この時間は夕食の一時間前なので、普段だったらみんな自室に戻っているはずである。

 こんな時にいないなんて……


「――っ!」


 ……いたら、どうしようと思っていたんだ? 全く、頭が痛い。

 この問題は、僕の問題だ。相談してどうなる問題じゃない。

 だから、自分で答えを求めなければならない。

 そんなことは、分かっていた。

 時間が、ないことも。

 僕が導き出すべき答えも。

「……」

 僕は自分の頬を一つ叩き、娯楽部屋へと向かった。


 向かう途中、変だとは思っていた。

 どの部屋を通っても、誰もいなかった。

 だが、もう時間を過ぎていたので気にしている余裕はなかった。


 しかしその答えは――娯楽部屋に辿り着いた時に判った。


「……っ!」


 僕は驚愕に目を見開いていた。

 目の前の光景が信じられなかった。

 娯楽部屋には多くの人――恐らく全員が、ある一転を中心に円状に座り込んでいた。


「な、なん……」

「おぉ。やっと来たか」


 円の中心で立っていた吉岡が、僕に声を掛けてくる。


「吉岡君……これは一体……」

「会議してたんだよ」

「会議?」

「ああ。今日の脱獄のことについてな」

「なっ!」


 僕は驚きのあまり、大声を出してしまう。そんな僕に、吉岡は嬉しそうな笑みを向けてくる。


「総長から聞いたぞ。今日なんだってな。だから会議したんだよ。最初は手伝うか、ってことを。そして次は、どうやるか、ってことをな」

「どうやる……? いや、その前に、次って……」

「ああ。つまりこういうこった」

 吉岡は大きく手を広げた。


「全員一致で、お前のことを手伝うって決まった」

「っ!」


 思わず周りを見た。

 みんなの表情は――笑顔だった。

 笑顔。

 誰一人僕に、恨みの視線を向けていない。

 全員賛成は、本当なのかもしれない。

 だけど――


「――ごめん。出来ないよ」


 僕は下を向いて、みんなに向かって頭を下げる。


「……どういうことだ?」

「だって、僕一人のために、多分この場所やみんなの部屋を繋ぐ穴が塞がれちゃうんだよ。そのことは判っている? みんな一時的な感情でいいって言っちゃ駄目だよ」

「馬鹿野郎!」


 吉岡の怒鳴り声に、思わず顔を上げてしまう。

 彼は僕を視線で殺さんばかりに睨みつけていた。


「お前はみんなが何も考えずにそういう風に言っていると思ってんのか! みんなお前の一人の女性への愛情に感動して決定しているんだ! そんなのも判らねぇのか! 周りを見てみろよ!」


 言われた通り、ゆっくりと周囲に視線を向ける。

 みんなもまた怒りの眼で、僕を見ていた。

 一時的な感情で言ったわけじゃない、ということが伝わってくる。

 全員、僕を睨んでいる。

 誰も迷っていない。

 ただ一人。

 僕を除いては――


「……それでも、駄目だよ」


 僕は唇を噛みながら、何とか言葉に出した。


「僕はただ、彼女に会いに行きたい、謝りに行きたいだけなんだよ。それだけなんだよ。それだけなのに、みんなに迷惑を掛ける訳には――」

「いいじゃないか」


 吉岡がハッと笑い飛ばす。


「理由なんかそれだけで十分だろ? 俺様達がお前を手伝う理由もな。俺様達はこの部屋よりも、お互いを行き来する通路よりも、その他のリスク全部よりも――お前の彼女への会いたいって気持ちの方が大切だと考えたんだから」

「でも、そんな形がないものじゃ……」

「形が何だ? 会いたいって気持ちは、どんな形あるものよりも大切なものだろ? 俺様達もそれはよく分かっている。それに、何らかの形あるものがほしいなら……総長」


 その声で地味―シオは立ち上がり、手に持っていたあるものを僕に渡して来る。

 それを見て僕は、眼が飛び出るかと思うくらい驚いた。


「……何でここにあるんだ」


 それは――一冊の大学ノート。

 表紙には、見覚えのある字で、こう書いてあった。



『Novel title Boku』



 間違いなく、僕が佑香に書いた小説が、そこにはあった。

 あの時――佑香が目覚めた時に、置き忘れた振りをして、病室に置いていったはずなのに。

 もしかして受け取りを拒否されたのかと思い、少し落ち込んだが、地味―シオの次の言葉でそれは否定された。


「桜さん達からの伝言。『これ、病室に落ちていたの、佑香に見せるタイミングを見図ろうと預かったんだけど、そのままで渡すの忘れちゃった。ごめん』だってさ」

「あいつら……」


 もしかして、僕を自然とアメリカに向かわせるために、わざと渡さなかったのではないか? きっかけが欲しがるであろう僕を後押しするために――

 多分……それで間違いがないな。

 全く、あいつらは……とことん策士だな……。


「……」


 でも……ありがとう。

 これでようやく、決心がついた。

 本当に自分は情けない。

 こんなにもみんなに頼って。

 昔に。

 僕は何でも出来たなんて思考していたのが恥ずかしい。

 でも――

 もう、迷いは吹っ切れた。

 アメリカまでの行き方。

 お金。

 少年院のみんなの了解。

 そして――精神的と物質的の両方の理由。


 問題は全て――解決した。


「……皆さん!」


 ノートを握り締め、僕は声を張り上げた。


「僕ごときにリスクを背負う価値があるとは思えません。少数より大多数を守るほうがいいことは分かっています……だけど!」


 僕はみんなに――深く頭を下げた。



「僕を手伝ってください! 彼女に会わせてください! お願いします!」



「……」


 静寂が空間を支配した。その支配は長く、終わる気配を見せなかった。いや、とても長く感じただけなのかもしれない。

 実際にはほんの数秒だったのだろう。

 パチ……パチ……。

 線香花火のような静かな音が、少しずつ鳴り響き始め――あっという間に燃え広がった。


「いいぞ!」

「よく言った!」

「おし! やってやるぜ!」


 大きな拍手喝采と「ウォォォ!」という地鳴り声。

 恐る恐る、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには、頼もしそうな表情なみんながいた。


「ありがとう……ありがとう!」


 涙が出そうになった。だが、堪える。

 僕のために、皆が協力してくれる。

 こんなに嬉しいことは――ない。


「えぇーい! 静まれーっ!」


 吉岡のその大声で、また静けさが訪れた。


「コホン。あー、みんな分かっていると思うが、作戦を決行する。その時間は七時。みんなは作戦通りに動いてくれ」


 分かった、という声がバラバラに聞こえる。


「遠山。お前は俺様と一緒にいて、俺様の指示に従ってくれ」

「分かった。お願い」


 僕は力強く答える。


「うん。いい顔だ」


 吉岡は満足そうに頷いて、みんなに向かって言った。


「では、各自時間まで部屋に戻れ!」



 雨の匂いがしない、静かな夜。

 今夜は珍しく、虫の鳴き声が聞こえた。

 まるで、僕の出発を見送ってくれているみたいに。

 そんな暖かい秋の夜。


 午後七時。



 予定通り作戦は――決行された。

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