第65話 ボクと過去と命の価値と決意 -07

    七



「……」


 最初は何でこんな小さな事件が報道されているのか、なんて疑問に思ったが、すぐにその考えは吹き飛ぶ。

 瞬時に推察する。

 しかも、恐らくそれは私にとって、小さくはない出来事だ。

 女子生徒三人。

 男子生徒一人。

 まさか……そんなことはないよね?

 私は自分の考えを否定すべく、真美と奈美に訊ねようと顔を二人に向けた。

 だが二人の行動から、私は自分の考えが当たっていることを悟った。

 二人は私から――目を逸らした。


「……どういうこと?」

「「……」」


 二人は何も言わない。

 私は確信した。

 女子生徒三人は、堺さん達三人。

 男子生徒一人は――


「英時……なんだね?」


 二人は唇を噛み締め、そしてゆっくりと――首を縦に振った。


「……どうして?」


 どうして、判ってしまったんだろう。真美と奈美にも言っていないのに。

 ――まさか。

 昨日の私の態度で、犯人を捜そうとして――


「私の……せいだ……」


 私があんな態度を取ったから、英時は犯人を捜そうと思ったんだ。

 あの時、平気だという顔をすればよかった。

 あの時、犯人を見つけるなって言えばよかった。

 あの時、英時を責めなければよかった。

 次から次へと、後悔の念が押し寄せてきた。


「私のせいで英時は……」

「「違う」」


 真美と奈美が首を横に振っていた。


「佑香のせいじゃない」

「私達、ちゃんと遠山君に伝えたよ。加害者を捜すなって」

「……」


 それでも、私のせいに変わりはない。

 私が上手く立ち回れていたら、こんなことにはならなかった。

 私が弱かったから。

 私が、『私』だったから――


「それに、遠山君は言っていたんだ」


 そう言って突然、奈美はポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。


「これは、遠山君が警察に捕まる前に佑香に伝えてくれって言われたから、咄嗟に録音したものだよ」

「私に……?」


 奈美は大きく頷き、二、三の操作をして、私に携帯電話を向ける。

 音声が流れ始める。

 ざわめき音。

 そして――



「『ごめんな。』って」



「……っ!」


 その言葉は間違いなく、英時の声だった。

 私は、衝撃を受けた。

 奈美が、こうやって謝っているんだからとかなんとか言っているようだが、その言葉は頭に入らなかった。

 私の頭の中に入っていたのは、ただ一つの単語。


 セリヌンティウス。


『走れメロス』に出てくる登場人物の一人の名前。

 ただ、それだけ。


 だが、私にとってのセリヌンティウスという単語は、他に特別な意味を持っていた。


 幼い日。

 私が小学生の時。

 私が病気で入院していた時。

 私が弱かった時。

 私が『私』だった時。

 ある少年と出会った。

 その少年と話した。

 その少年に打ち明けた。

 その少年は話の流れで、私にとってのメロスになると言った。

 その時、私はその少年のセリヌンティウスになった。

 メロスは、相手に対しての小説を書く人。

 セリヌンティウスはその相手。

 これは、私とその少年しか分からないこと。

 そして私は、そのことを誰にも喋ったことはない。

 だから私に向かってセリヌンティウスと言った英時。

 これが意味しているのは、たった一つの真実。


 英時が――あの時の少年だったのだ。


 何というベタな展開だろう。

 こんなことが現実にあるだろうか。

 でも、それなら納得出来ることが一つだけある。

 私が彼を好きになった理由。

 心の奥で感じ取っていたのだろう。

 何故なら私の初恋は、あの時の少年だったのだから。

 その気持ちが残っていたから、英時と初めて会った時にすごく気になったんだ。だから、好きになったんだ。

 全く、笑いものだね。

 私は今まで、一人しか好きになっていなかったんだ。正に奇跡といっても過言ではないだろう。

 奇跡。

 そう。

 英時が少年だったのも、奇跡だ。

 彼は私にこう言った。

 セリヌンティウス、と。

 ということは、あの約束も忘れていたのかもしれないけど、今は覚えているということだ。

 すなわち、英時は私に私のための本を書くと約束した。


「……」


 ――ならば私も、その約束を守ろうじゃないか。

 あの時、彼が出した私への条件は『本が完成するまで生きること』。

 つまり私は……生きなくてはならない。

 生きて、彼の本を待つ。



 それが私の――生きる理由だ。



 この後押しが欲しかった。

 手に入れた。

 しかし。

 私はこのままではいけない。

 弱いままではいけない。

 今回のことは、私の弱さが原因で招いてしまった。

 私がちゃんと立ち振舞えば、英時はこんなことにならなかった。

 私が早く決断すればお母さんは涙を流さなかった。

 でも後悔しても、もう遅い。

 なら、そんな後悔をしないようにする。

 私は、強くならなくてはいけない。

 あの当時のように。

 少年と出会った後の、私のように。

 私は――


 ――――――は!



「――」


 ボクは両手を振り上げ、首の後ろへと持っていった。

 その右手には確かな感触。

 ズシッとした重み。

 その瞬間の三人の目を見開いたその顔は、ボクの眼に強く焼きついた。

 だがボクは、動作を止めず。

 そして――


 ジョギン


 鈍い音。

 ベッドに黒い塊が落ちる。

 一つ。

 また一つと。

 意外に切れ味が鈍かったので、少し苦労した。

 何か、変わりたかった。

 強くなるために、今までの自分とは違うことを自覚させたかった。



 だからボクは――髪を切った。



 背中まであった髪は、首に掛かる程度の散切りになった。

 背中がすーっとして、少し涼しかった。


「佑香……」

「ごめんね、お母さん。真美と奈美も」


 そして――英時。

 ボクは二、三度首を振り、呆けている三人に向かって、宣言する。


「ボクは――強くなる」


 さっきまでの弱い『私』は、もういない。


「手術が失敗することなんて、もう恐れない。ボクは未来を……みんなと共に過ごす未来のために……」


 みんなのおかげ。

 誰一つ欠けていても、ボクは立ち直れていなかった。

 ずっと弱いままだった。

 ありがとう。

 だけど――今はその感謝の言葉は伝えない。

 伝えるのは、全てのことが終わってから。

 全て終わったら、笑おう。

 ボクは生きる。

 生きたい。

 ――いや。

 生きてみせる。

 心配を掛けた人のため。

 大切な人と一緒にいるために。

 そして、

 大事な人との約束を果たすために。


 だから――



「ボクは……手術を受ける」

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