第十一章 僕と少年院と伝言と理由
第66話 僕と少年院と伝言と理由 -01
一
あの後、僕は警察で一通り事情を聞かれ、家庭裁判所を経て、東京の少年院へと送られた。本当にあっという間に決まっていった。
何故、東京なのかというのは、色々と事情がある。
先に言っておくが、僕は殴ったことは、他の方法にすれば良かったということで反省しているし、事情聴取でも家庭裁判所でもそう言った。因みに二見さんと逆島さんは二人とも被害届を出さず、むしろ警察の人の話によると僕に謝っていたそうだ。恐怖心からではなく、本気で。自分達が悪いのだから僕を釈放してあげてくれと頼み込んでくれたらしい。厳密に言うと釈放とは違う気がするが、まぁ、それはおいておこう。
だが主犯格のあいつ――堺は違った。
堺だけは被害届を出し、また、全治一週間の打撲だったのにも関わらず、頬の骨を折ったと嘘を付き、僕を徹底的に非難した。その嘘がニュースの誤報を利用しているから尚更たちが悪い。というよりも、事件が起きた即日の夕方に怪我の情報が出ること――というよりも、こんな傷害事件が報道されること事態がおかしいことなのだが、それ故に、裏で手を廻しているのでは、と僕は思った。他人に責任転嫁しようとする妄想だと一笑されるかもしれないが、しかし堺の祖父は市長だという噂があったので、その可能性も、まあ有り得るといえば無きにしも非ずなのだ。また、あの場にたまたま出くわした警察官が実は堺の兄であり、心配性故に度々制服姿で迎えに行っていたらしい。身内の被害だからこそ憎く思って凄惨な状況と報告をねじ曲げたのかもしれない。彼は妹が被害に遭っていたのを目で見ていたのにその場で冷静な対処をしていたから、その情報だけは真偽が不明らしい。
これらの情報と推察は全部、少年院に行く前の拘留時に広人に聞いた。また、広人が言うに、みんな頬骨が折れたというのは嘘だということを知っているようだ。少なくとも僕が住んでいた地域では知られているようだ。その理由を訊くと、広人は笑いながら答えた。
「だってさ、あいつ怪我して二日後にはぴんぴんとして、街頭でお前が殴ったことを『女性への暴力だ!』とか、随分はっきりとした発音で叫んでいたからな」
再生能力が早い頬骨だな、と僕も笑った。
だが現実は――とても笑える状況ではなかった。
堺家は被害届を出し、家庭裁判所に対して、僕が同じ街にいるだけで娘は怖がっているから他へ飛ばせ、という何とも無茶な要求をした。だが、何故かそれは通り、僕は東京の少年院へと収容されることになった。普通は少年院に入れなくても非行を克服する、つまり明らかにもうしないと判断されたなら不処分になるのだけど、僕はそう判断されなかった。周りは理不尽さに憤怒したが、もう、どうでも良かった。
暴力を振るったのは間違いがない。
それに実は……反省などしていなかった。いや、反省していないのではなく、自分が間違ったことをやったとは思っていない。殴る、という手段は間違っていたかもしれないが、あの三人に制裁を加えるのは当然だと思う。そうでなければあの三人は、今ものうのうと生き、佑香への罪の意識なんか微塵にも感じないだろう。まあ、あの時はカッとなってやったからこれは後付けの理由なのだが、今は本当にそう思っている。
でも、相手はそうは思わない。
それは分かっている。
僕の考えは所詮、加害者の考え。
僕はあいつの考えを、あいつは僕の考えを理解することはない。
だから僕は反抗することもなく、東京の少年院へ収容されることを受け入れた。
ここまでのことは、本当にあっという間だった。あまりにも異常な早さだった。事件を起こして一週間も経っていないのに、ここまで事態が進むのは、はっきり言って有り得ない。どれだけ権力強いんだよと呆れつつ、僕は少年院の前に立ち、現在に至る。
意外に広いな、というのが最初の感想だった。
「……わーい。今日から新しいお家だ……」
そんな妄言を呟きつつ、僕は施設へと足を踏み入れた。
施設の中は意外と綺麗で広く、ここは本当に少年院なのかと疑うくらいだった。
だがそこは間違いなく少年院で、僕は今日からそこに入る。
そのことは、自分に与えられた部屋に入室した途端に、強烈に痛感した。
二人部屋。つまり同居人がいた。その同居人は見るからに元暴走族のような様相をしており、僕が入るなり立ち上がって「よう」と声を掛けてきた。
「お前が今日から俺様のルームメイトになる奴か。名前は?」
俺様ってお前はどこぞのガキ大将か、と心でツッコミつつも口には出さず、返事をする。
「遠山英時です」
「おう。俺様は
「よろしくお願いします。吉岡君」
「おいおい。吉岡君なんて言い方は止めろよ」
なんだ。この人、よくある不良のくせに実はいい奴タイプか。
「じゃあ、吉お……」
「吉岡様だ」
「は?」
思わず彼を凝視してしまう。彼は得意気そうな表情で続けた。
「吉岡様と呼べと言っているんだ。お前は俺様の奴隷になるんだからな」
「奴隷? 何で?」
「何故なら俺様は、ここをシメているんだからな」
「……」
未だにいるんだ、こういうの。
僕はそんな驚きを顔に表さないように注意しながら、首を横に振る。
「嫌だ」
「あぁ?」
吉岡は不良特有の反応を見せ、僕の襟首を掴む。
「俺様に逆らうって言うのか?」
「いや、逆らうというか、君に様を付けるのが嫌だと言った」
「何でだよ?」
「いや、何でって、当たり前でしょ? 何で初対面の人に様を付けなくちゃいけないの?」
「ああ? 俺様なぁ。関東で一番デカかったグループの一番隊の隊長張ってたんだよ。だから判るだろ?」
「何のグループ?」
「そういうグループだよ」
答えになっていない。だが、まあ、大体想像は付く。
僕は腰に手を当て、眉を寄せる。
「だから何?」
「だから?」
「そんな隊長だろうが何だろうが、そんな理由で従うことなんか出来ないよ」
「……あんだと?」
「ていうかさ『な』ぐらい、ちゃんと発音したら?」
「な……てめぇっ!」
吉岡の右拳が飛んで来る。だが、そんなのは喰らうはずがない。僕は左手の掌で受け止める。
「な……っ」
彼は目を見開き、動きを止める。
瞬間。
受け止めた掌でそのまま彼の右拳を掴むと、彼の右脇の下に肩を入れた。
「え?」
彼が動揺の声を発するか否かの刹那。
僕は腕を掴んだまま彼に背を向け、一気に左手を下に引き、背中を利用して勢いよく前方に投げた。
いわゆる――背負い投げ。
「うぉっ!」
ドンという鈍い音がし、僕の足元で彼は仰向けになっていた。
「いってえ! ……って、あれ? 痛くない」
彼はポカンとした表情で呟く。
「……お前……すげぇな……」
「偶然だよ」
本当に偶然である。拳を受け止めたのも背負い投げをしたのも、たまたま見切れて、たまたまやろうと思ったら出来ただけ。僕が実は喧嘩に強いとか、そんな裏設定ではない。
「俺……グループの中では総長の次に強かったんだけどな……衰えたな」
ふ、と息を漏らして彼は両手を広げる。
「悔しいが俺の負けだ。これからはあんたがここのボスだ」
「いや、遠慮します」
そんなものなりたくないし。恥ずかしいし。
「それに言っておくけど、僕は不良でもないし、喧嘩もそんなにしたことはないよ。進んで暴力を振るおうとは思っていないよ。ただの普通の高校生だ」
「はっ。ただの高校生が少年院に行くかよ」
正論だ。
「でも、本当に普通なんだ」
「ふーん。まぁいいや」
吉岡は、にかっと笑う。
「とりあえず、奴隷にするなんて言って悪かった」
「いや、別にいいよ」
「あーあ。これでちょうど二〇〇人目だったんだけどな……ちくしょう……」
「……ちょっと待って。それは奴隷二〇〇人目ってこと?」
「おう」
「本当の話だったの?」
極めて真剣な顔で吉岡は頷いた。
「さっき言ったことは全部本当だぞ」
「……そうなんだ。冗談だと思ってたよ」
しかし、吉岡が本当にここのボスなら――
「……一つ訊いていい?」
「お? 何だ?」
「まさか、これから抗争とか起きたりしないよな」
「あぁ、ないない。ドラマとかマンガじゃあるまいし」
吉岡は笑って手を振った。
「あんた以外に俺様より強い奴なんかいないさ。なんなら隣の奴に聞いてみな」
「隣?」
「ほれ」
吉岡はベッドの下を指差すと、そこには人一人がしゃがんで入れる程の穴があった。
「……こんなでかいもの、どうして見つからないんだ?」
「普段はベッドで隠しているし、それに俺様のことを怖がって、看守は触れもしないさ」
「へぇ……」
見つかっていないから、それは本当なのかもしれない。現に僕をここまで案内した看守は、即座に逃げるように離れて行ったし。
「おーい。いるか?」
吉岡は穴に向かって声を掛ける。すると「いるよ」と小さく、少し高めの声が返ってきた。吉岡は満足そうに頷くと、僕の肩を叩いた。
「おし。じゃあ、行ってこい」
「え? ここを通るの?」
「当たり前だ。俺様達は受刑者だぞ。外に自由に出られる訳がないじゃん」
「いや、そういう意味じゃなくてさ、話を聞くだけなら通らなくても……」
「いいから行きな。お前の紹介も兼ねているんだよ」
「……分かった」
これが彼の僕への心遣いなのだろうと察し、素直に指示に従う。
穴を抜けると、そこには二人の少年がいた。
坊主頭の少年と、少し髪が長めの少年の二人。
「よっ」
坊主頭の少年が声を掛けてきた、どうやら、さっきの声はこの少年らしい。
「あんたが新入りか」
長髪の方がにやにやと笑う。その顔が少しむかついたので、僕はむっとして答えた。
「そうですけど、何か?」
「いや、お前は運がいいなって」
「?」
僕が首を傾げていると、坊主頭が「あー。そうだよ」と何かを思い出したかのように手を叩いた。
「自己紹介してなかったね。俺は
「
「にーにーと呼んでくれ」
「私は長男だ」
「じゃあ、いいじゃん」
「長男で末っ子だ」
「素直に兄弟いないって言えばいいのに」
「……」
僕が唖然としていると虹川が笑いながら、
「あぁ、ごめんな。俺らの漫才のレベルが高すぎて付いてこられなかったか」
「漫才じゃない」
「はいはい。さとちゃんは黙っといて。んじゃあんた。今度はあんたの名前を教えてな」
何か変な人達ばっかりだな、と思いながら僕は答える。
「遠山英時です。よろしくお願いします」
「ふーん。じゃ英ちゃんだな」
どうでもいいけど普通だな。なんかよく分からないけどイライラしてきた……ってか、頭が痛い。さっき吉岡を投げた時に何処かぶつけたかな? とにかく、要件だけ尋ねて戻ろう。
「あの、訊きたいことがあるんですけど」
「何だ? それが俺らんとこ来た用事か?」
「はい。吉岡君がここのボスってのは本当なんですか?」
「あぁ……まぁ、そうっちゃそうだな」
「じゃあ、奴隷の話も……」
「奴隷? あぁ、それか……ぶはははは!」
虹川は何故か爆笑し、腹を抱える。
「あれだけは嘘だ。あいつがそう思っているだけで扱いは普通の仲間と同じだよ」
「へ? じゃあ何で奴隷だなんて……」
「さぁな。そうじゃないとボスだからじゃねぇの? だってさ、英ちゃん。見てみな」
そう言って虹川は、僕が通ってきた穴とは反対側のベッドの下を指差す。
「あ」
そこにも――穴があった。
「何でまた……」
「この穴、全室に繋がってるんだよ。ってかあいつが繋げたんだよ。あと誰も使わないけど外にもな」
「え……こんなの、どうやって?」
「まぁ、方法は訊くな」
虹川は一層、げらげらと笑った。
「それでさ、こんなでかい穴が何で看守とかこの施設の人間に見つからないか分かるか?」
穴が一つなら吉岡の言うことでも納得がいく。
だが、全室にとなると、必ずどこかでばれるはず。
ということは――
「……知られているんですね」
「そうだよ! 大正解」
虹川が手をぱちぱちと大げさに叩く。こっそり浅井も手を叩いていたのは見なかったことにしよう。
「んでさ、この穴を使ってみんなと大分交流しているんだよね。トランプとかしてさ。金じゃなく、掃除当番とか賭けてな。だからここの院に入っている奴はみんな仲いいぞ。そして、その傾向を良いと見た施設側は、黙認しているってわけさ。タバコも酒も禁止だしな。そもそも手に入らないけど」
「でも、そんないい人達ばっかりじゃないでしょう? そう……例えば新しく入ってくる人だったら、そういうの違反するんじゃないかな?」
「その時はあいつが説教すんのさ。拳でね」
虹川は壁を軽く殴る。
「あいつがこの院の中で一番強いのは本当だからな」
「それって暴力で従えているということ?」
「んーちょっと違うな」
虹川は軽く笑った。
「あいつ、最初以外は理不尽なことで殴らないしな。ちゃんと理由があって殴るんだよ。最初はあいつのことをむかつくと思う奴もたくさんいるだろうけど、結局、あいつがいい奴だと気がついて、そういうことをしなくなるからな」
「それが、ボスと呼ばれる所以か」
「……そうだ。あの人は偉大だ」
そこで突然、浅井が口を挟んできた。
「あの人は最高のボスだ。あの人がいるから今の私がいる。あの人がいたからこそ……」
「はいはい。『うほっ』は黙っていて」
「私は男好きではない」
「それこそどうでもいいよ。とにかくな。ここの奴らは全員、あいつの言う奴隷という名の仲間なんだ。見栄を張りたいお年頃なのさ。だからそっと見守ってやれ」
「分かった」
奴隷という名の仲間、か。
逆だったらやばいけど。
仲間という名の奴隷。
何かここの人達、少年院に入れられたとは思えない程いい人達だな。
そんな感想を持って「じゃあ」と声を掛け、僕は再び穴を通って持って元の部屋に戻った。
「よぉ。遅かったな」
吉岡はにこにこしていた。
「どうだったよ?」
「……あれ? 聞こえなかったの? あんなに大きな声だったのに」
「おぅ。耳を塞いでいたからな。聞こえないように」
「何で?」
「その方が楽しみじゃん」
訳が判らない。
「んで、どうだったよ?」
「あ、うん。やっぱり君が一番強くて、ここのボスだということは分かったよ。あと君が看守の女の人を好きになっているってことも」
「おう。そうか……って、おい! 最後の!」
最後のはアドリブの洒落だった。
だが、事態は予想外の方向へと進む。
「……バレバレなのか?」
「え? 本当なんですか?」
思わず、敬語になってしまった。
「冗談で言ったのに……」
「え、そうなの……い、いや、う、嘘だぞ! 嘘だって! いやだなぁ。信じちゃって。あはははは」
「そうか嘘か」
「そ、そうだよ。嘘ついてごめんなさい」
「どれだけ美人なんだろうな」
「び、美人じゃないんじゃないかなぁ?」
「僕の好みだったらいいなぁ」
「……狙うなよ。絶対狙うなよ?」
「あーどうしようかな?」
「頼むって!」
土下座された。
この状況、どう考えても僕がボスに見える。
僕は笑って彼の肩を叩く。
「冗談だよ。だって、僕は……」
そう。
僕には好きな人――愛している人がいる。
でも……彼女が忠告してくれたのに、こんなことを犯して……もうさすがに見捨てられたと思う。
それでも、僕は彼女を愛している。
簡単に諦められない。
だから、他の女なんかには絶対になびかない。
それは絶対だ。
「……」
まぁ、でも今、その気持ちを吉岡に言っても、呆れられるだけだろう。
とりあえず――冗談で返すか。
「だって、僕は……男の方が好きだから」
「うげっ……嘘だよな?」
「嘘じゃないよ。そして僕は、前からあなたのことが……」
「今日会ったばかりじゃねぇか!」
「じゃあ、女性の看守さんを口説いてくるよ」
「何でそうなるんだよ! 男好きなんじゃないのか!」
「それなら男好きの設定か、看守さんを口説かれるかどっちがいい?」
「設定ならやめろ!」
あぁ、この流れ。久しぶりだな。
だけど……やっぱり物足りない。
僕がボケたら、ツッコミは……佑香じゃないと。
楽しかったな。あの日々は……
「……吉岡君。何か僕、悲しくなったよ」
「あ? 何でだよ?」
「もう、日常には戻れないんだなって……」
楽しかったあの日々には、もう戻れない。
それを今、強く実感した。
「んー。まぁ、唐突にそう言われて何だか分からないが……」
そう言って吉岡は立ち上がり、僕の肩を叩いた。
「日常には戻れないかもしれないが、新しい日常を作れることもあるさ」
「……」
彼の言葉は、僕の胸の中に深く染み入った。
この人、本当に犯罪をしたのか? いい人すぎる。
そう疑い始めた所。
「ってなわけで、これからさっきの部屋に行ってお前の歓迎会を開くからな」
「は?」
「新しい日常だ。付き合え。毎回新人が入ってきたらやることがあるんだ。全員参加の大貧民トーナメントをな」
「毎回あるの? 月に何回あるのさ?」
「十五くらいかな?」
「……半分じゃん」
「あ、でも静かにしろよ。ばれちまうからな」
「……」
キャラが掴めない。いいことを言ったと思えば、こんな風に馬鹿である部分も見せる。そんなに頻繁に、しかも大量に集まったら、普通は気付かれるだろう。何でそれに気がつかないんだろう……まあ、いいか。
「分かった。行くよ」
ここでの生活が苦しいままでいては、何も変わらない。
むしろ、悲しい顔で生活していたら、みんな悲しむ。
僕はここで精一杯、笑って生きる。
笑って、楽しく生きる。
だから心配しなくていい。
責任を感じなくていい。
僕は必ず会いに行く。
その時まで、笑顔でいる。
だからみんなも――笑顔で生きてくれ。
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