第61話 ボクと過去と命の価値と決意 -03

    三



 その日もいつものように、真美は本を読んで、奈美はりんごを剥いてくれていた。そしてボクもまた、本を読んでいた。


「ねぇ、真美。何の本を読んでいるの?」

「ん? 『ENDLES』ってやつだよ」

「面白い?」

「まぁまぁかな。まぁ、文章が幼いけどね。そっちは?」

「『現代WARRIOR』って奴だよ」

「どんな小説?」

「んん……織田信長に憑かれた少女が、現代で他の六人の武将に憑かれた人達と戦う話」

「設定は面白そうだね。で、どう?」

「ん……今、最後なんだけど、ちょっと設定にこの作者の文章力が追いついていないね」

「へぇ……」

「二人とも。りんご剥けたよ」

「って、奈美! りんごで何を作っているんのさ!」

「何って、鳳凰ほうおう


 奈美が差し出したりんごは、大きく羽を広げている小さな鳥だった。しかも九匹。見事な作品だった。どうやったらこんなもの作れるんだろう。っていうか……


「……どこから食べればいいの?」

「羽から食べれば、雛鳥に戻るよ」

「何か嫌だなぁ」


 と、そんな風にのんびりと会話をしていた、

 その時だった。


 コンコン。


 扉を叩く、乾いた音がした。


「誰か来たみたいだね」

「多分、高見君じゃない?」

「佑香のお母さんはノックなんかしないしね」

「じゃあ、決まりだね。佑香」

「はいはい……どうぞ!」


 ボクは軽く、外にそう呼び掛けた。

 しかし、何の反応もなかった。


「あれ? いたずらかなぁ」


 と思い、眉を潜めて入り口を見た時だった。

 バァンと大きな音と共に、病室のドアが開いた。


「……っ!」


 そこにいた人物を見て、ボクは言葉を失った。

 そこにいたのは、ボクが振った相手。

 そして、ボクをこんな目にあわせた犯人。

 遠山英時だった。

 どうして、今頃来たんだ? 忘れようとしている、今に。

 あれか。嫌がらせか。

 画鋲を仕掛けたり水を掛けたりしただけじゃ、まだ足らないか。

 さぁ、何を今度はするんだ?

 しかし彼の言葉は、真逆だった。


「佑香……良かった……」


 ……何を言っているんだ?

 お前が、こんな目に合わせたんじゃないか。何でそんな震えた声で……

 しかし英時の表情の変化を見た瞬間、ボクは理解した。

 ああ、そういうことか。

 笑いに来たんだな。

 良かった、は嘘か。

 声を震わせたのは、演技か。

 あはは。

 ボクは心の中で笑い、そして言葉を吐き捨てた。


「白々しい」


「え……?」


 その言葉を聞いた彼は、驚いた表情をしていた。

 本当に白々しい。

 ああ、違う。図星だからか。

 そして英時は確認を取ってきた。


「今、何て言ったの、佑香?」


 佑香、だと?

 君とは、もう何も親しい仲でもないんだ。

 馴れ馴れしく呼ぶな。

「だから、白々しいって言っているんだよ、


 ボクは英時のことを、苗字で呼んだ。

 この意味が判るだろう?

 英時は狼狽していた。大声出す英時なんて、あの屋上の時以来だった。

 英時は喚いた。

 僕は本心から君の意識が戻って良かったって思っている、なんて言っているし。


「本心から? よく言うよ」


 自分が堺さんを使ってこんな目にしておいて、眼を覚ましてよかったじゃないよ。

 英時は、まだ喚いていた。そして次の言葉で、ボクの怒りは頂点に達した。


「どうしてそんな風に思うんだよ! 理由を教えてくれ!」

「……理由?」


 今更、理由?

 そんなの、君がボクにそんな仕打ちをしたからだろうが。

 そんなことを言われなきゃ分かんないのか?

 ボクの口から言わせたいのか?

 そんなことを……


「教えてくれって……ふざけんじゃないっ!」


 そこから先は何を言っているか、よく分からなかった。

 頭で何も考えず、自分の気持ちをそのまま英時にぶつけた。

 ただ一つ分かっているのは、ボクは英時に対して叫び、侮辱し、嘲笑し、罵声を浴びせ、近くの物を投げ、罵倒したということだけだった。

 英時は言い訳をしなかった。

 いい意味でも、悪い意味でも。

 それが、余計に腹が立った。

 でも。

 こうして冷静に考えている自分もいた。

 熱くなって喚いている自分が、よく分かっていた。

 むちゃくちゃなことを言っているの分かった。

 でも、止められなかった。

 行動も。

 言葉も。

 そしてついに

 勢いで、気づかずに言ってしまった。

 ボクの、本心を。



「ボクだって振りたくなかったんだよ! だけど、この病気があるからって! 君に負担を掛けてしまうからって考えて、嫌々振ったんだ! 

 ボクだって英時が好きだったんだ! 好きだったから振った! 本当は嬉しかったんだ! ボクは……


 ……『』は……」



 気持ちが、止まらなかった。

 涙が流れているのを、感じた。

 そして私は、彼を追い出した。

 私の前から今すぐいなくなれ、と言って。

 英時は、それに従った。


 だけど最後に英時は私に――笑いかけてきた。


「じゃあ、またね」


「……っ!」


 その言葉で私はハッとした。いや、まだハッとしていないのかもしれない。

 その言葉を言った英時の姿が、あの時の少年と重なった。

 じゃあ、またね。

 私と、また会いたいというのか?

 何で?

 どうして?

 さっき言っていたじゃないか。

 私の中の冷静な部分が答える。


『僕は、君を恨んでなんかいない。だから君をいじめろだなんて指示は誰にもしていない』って。


 だから、英時は犯人じゃないんだよ。

 嘘だ。

 そんなことはない。

 そんなことは……

 否定する、もう一人の自分。

 だが、その自分は、英時がドアを閉める音で――消え去った。


「あ……」


 その瞬間――後悔の二文字が、ずしっとのしかかってきた。

 とても、重かった。


 私はもう、理解していた。


 英時は、何もしていない。

 私をいじめろなんて言っていない。

 言う訳がない。

 そんなの……当たり前のことだったのに。


 ――しかし。

 それを理解したのにも関わらず、私は動けずにいた。

 体が動かなかった。

 どうして?

 今から行って謝れば、まだ間に合うかもしれないのに。

 それなのにどうして……


「あ……あ……」


 様々な後悔の念が、私を苛んだ。

 そして徐々に、自分がした愚かなことが分かってきた。

 犯人だと疑ったこと。

 英時が身に覚えのない罵倒をひどく言ったこと。

 嘲笑したこと。

 物を投げつけたこと。

 話を聞かなかったこと。


 そして――最低の告白をしたこと。


「あぁ……あああぁぁああっぁぁあ!」

 私は赤子のように、ただ泣くことしか出来なかった。

 横に真美と奈美がいようがいまいが、関係なかった。

 私は泣いた。

 自分の愚かさに。

 醜い自分に。

 そんな中、また冷静な自分がいた。

 何故、泣くことしか出来ないのか。

 冷静な自分は、それを理解していた。

 そして、体でも理解していた。

 だが、心がそれを拒否した。

 泣くことしか出来ない理由。


 それは、英時をこれ以上近寄らせないため。


 再発した心臓病。

 お母さんも先生も言わないけど、おそらくもう治らないだろう。

 お父さんみたいに。

 だから、もう時間がない。

 さっきのことをこのまま謝らなければ、英時はもう近付かないだろう。

 そして、さっきの醜態を見れば……。

 私は今まで避けていたことに、気がついていた。

 好きな人に苦しい思いはさせたくない。それが私の願いだった。

 好きな人は、何も異性だけではない。

 友達も、そうだ。

 だから、私は――


「……二人ともさぁ、いつまでいるわけ?」


 無理矢理泣くのを止め、私は感情を込めずにそう言葉に出した。

 二人はいつもの表情のまま、動かない。


「いつまでって」

「佑香が、落ち着くまで……」

「それが邪魔だって言っているんだよっ!」


 私は、怒鳴った。


「毎回毎回ボクの後ろにくっついてさぁ。挙句こんな風に学校休んでまでいてさ。何なのさ? 同情? いい加減にしてよね! そういうのウザいんだよ! さぁ、早くあんたらも出て行けっ! さっさと帰れっ!」

「「……」」


 二人は、黙ったままボクを見ていた。やがて二人同時に席を立ち、視線をボクに向けたままゆっくりと私に近付いてきた。

 殴られると思った。それ程最悪のことを言ったのだから、当然だ。

 私はぎゅっと目を閉じた。


 しかし、次の瞬間。

 私に与えられたのは痛みではなく――温かさだった。


「……」


 私はこの状況が理解出来ていなかった。

 真美と奈美が、ボクを抱き締めていた。


「どうして……?」

「馬鹿だなぁ、佑香は」


 その真美の声は、今まで聞いたことがない優しい声だった。そして奈美も同じだった。


「そんな風に思っていないのは、バレバレだよ」

「そ、そんなこと……」

「「だってさ……」」


 そう言いながら二人は突然、私の両頬に触れた。


「こんな表情で」

「こんなに泣いているじゃない」


 泣いている?

 さっき涙は止まった、いや止めたはずだ。

 だから、そんなはずはない。


「あはは。何を言っているんだよ? 二人とも」

「「じゃあ、これは何?」」


 二人はそう言って、頬に触れていた掌を見せてきた。

 その掌は両方とも――濡れていた。


「いや、嘘だよ。そんなことはない……」


 必死で否定した。

 否定しなくてはいけなかった。

 そうでなければ、この二人が……


「「佑香」」


 二人は一緒に、私の名を呼んだ。


「たとえ佑香が私達を嫌いになっても」

「私達は、佑香を嫌いにならない」

「だって私達は」

「佑香のこと」

「「大好きだから」」


「……」


 違う。

 私だって本当は二人とも大好きだ。

 でも……


「でも私は……もうすぐ死んじゃうんだよ……?」

「「知ってる」」


 二人は淡々と、いつも「そうだね」と言う時と同じ様に頷いた。


「だから、どうだって言うの?」

「私達だって、いつかは死ぬ」

「もしかしたら、明日にだって死ぬかもしれない」

「でも、突然死に恐れて他の人を悲しませないように一人でいるのは」

「絶対に間違っていると思う」

「佑香が明日死のうが、一〇年後に死のうが」

「私達を嫌いでも嫌いじゃなくても」


「「もう出会ってしまったんだから、悲しいものは悲しいんだよ」」


「……」

「私達は、出会ってしまった」

「これが変えられない」

「なら、どうすればいいか?」

「それは、簡単な話だ」


 そして二人は、私が今まで見たことない、初めての――笑顔を見せた。


「「残りの時間を、一緒に楽しく過ごそう」」

「……やめてよ」


 私は必死で、唇を噛み閉めた。


「そんなこと言ったら……甘えちゃうじゃない……」

「「いいんだよ」」


 二人は、そう優しく私をもう一度抱き締めた。


「「甘えてもいいんだよ」」

「……うぅ」


 その言葉に私は……我慢出来なかった。

 大声で、泣いた。

 二人に泣きついた。

 親友に、甘えた。

 私はもうじき死ぬ。

 だけど、二人は受け止めてくれた。

 そして傍にいてくれる。


 ――でも。

 そういうわけにはいかない。


 だから、せめて……

 せめて今だけ――

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