第57話 僕と懺悔と怒りと白い世界 -11
一一
翌日の学校。
昨日のことを一晩中考えていたせいで、僕は寝不足だった。
病室での出来事と、先生から渡された封筒の中身。
どちらも、とても深いことだった。
特に封筒の中身は他の人に相談するわけにもいかず、一人で悩むしかなかった。
だから、それは自分の中だけで収める話だ。
――それよりも。
今は佑香にあんなことをした犯人のこと方が先だ。
そういえば、今日、久しぶりに真美と奈美が学校に来た。
二人の顔は――とても黒かった。
言い間違えたのではない。本当に黒かった。
絵の具のようなもので、べったりと。あまりの異様さにドン引きで静まり返った教室の中で広人がどうしたのかと訊ねると「海にバカンスに行ってきた」と二人は淡々と答えた。
勿論、それは嘘であるから、昼休みに広人と共に屋上に連れて行き、二人に改めて訊ねた。
すると黒い塗料だったらしいものを落とした二人は、暗い声で話し始めた。
話を聞くと、佑香に「一人にさせて」と、追い出されたらしい。佑香の精神状態は、昨日のあの時からかなり不安定のようで、それで二人は、自分達が佑香にちゃんとした言葉を掛けられなかったと、大分ショックを受けたらしい。だから暗い顔を見せないように顔を黒く塗ったという訳だそうだ。
「そうか……やっぱり……」
僕は拳を握り締める。
「佑香をあんな目にあわせた奴を……絶対、許さない」
「そんなことがあったなんて……俺も許せねぇ!」
広人も肩を震わせていた。
「俺、そいつ探し出してぶん殴ってやる!」
「駄目だ、広人」
僕は首を振った。そして力強く宣言した。
「それは……僕の役割だ」
その言葉に、広人は力強く頷いた。
「おしっ! 早速行くぞ、英時」
「ちょっと待って、二人とも」
僕と広人が立ち上がった時、真美が言葉を挟んだ。
「それは、駄目」
「どうして!」
広人が真美を睨んで叫ぶ。それは僕も同感だった。
奈美が首を振って答える。
「それは佑香に止められている。あの後に言われたんだ」
「……どういうこと?」
「それは……」
僕の質問に何故か、奈美は目を逸らして口を結ぶ。
「……佑香はあの後、言ったんだ」
代わりに、真美が口を開く。
「『どうせ英時が命じたんだから、その人に罪はないよ。捜して何かその人にしたら、絶対許さないからね』って」
「……」
そこまで悪いのは僕だと思われているのか。
本当、絶望的だな。
「ふざけんなっ!」
広人が怒鳴った。
「お前ら分かってんだろ!? 英時がこんなことを命じるわけがないことを!」
「分かっているよ」
真美は静かに悲しそうに呟いた。
「私だって今の佑香……好きじゃない」
「……」
奈美も、黙って頷いた。しかしその後、顔を上げて口を開いた。
「……だけど、私は信じたい」
「信じる? 何を?」
「佑香は、本当にそう思って言ったんじゃないって」
「はぁ? どういうことだ?」
広人は的確に、僕の言いたいことを言ってくれる。
すると奈美は――首を横に振った。
「……説明できない。私がそう思っているだけ」
「なんだよそれ……?」
「つまりね……」
真美が代わりに説明を始めた。
「奈美は佑香が、本心では遠山君がそんなことをしていないと思っているということを、信じているんだよ」
「……」
それは、ないと思う。
あそこまで言われたんだ。佑香は僕を信じてくれていないんだ。
「ここからは、私が思っていることを言うけど……」
真美は続ける。
「佑香は、遠山君に復讐して欲しくないから、ああいう風に言ったんだと思う。そして、心臓病で自分の命は長くないから、親しい人を遠ざけるためにああいう行動に出たんじゃないのかな?」
「……詭弁だな」
思わず、そう呟いていた。
「真美が言っていることは希望でしかない。あの佑香を見てどうしてそんなことを信じられるんだ?」
「それは……」
真美は黙り込む。
「でしょ? だから、そんなことを信じるなんて――」
「馬鹿野郎」
そこで広人が僕にそう言った。
「はぁ? 何が馬鹿野郎なんだ?」
「お前が信じないでどうするんだ。大馬鹿野郎」
広人は真剣な表情で、僕の肩を掴んだ。
「俺は正直信じられないし、鈴原さんのことは真美が言っているようなことを思っているとは到底思えない。だけど……お前は、その可能性にすがりつけよ。信じろよ。鈴原さんが、どうしてお前の告白を断ったのか判っているんだろ? どうしてお前は信じられないんだ?」
「……っ!」
そうだ。
佑香は僕に負担を掛けたくないから、僕を振ったんだ。
だから、それを今回も……
「あーあ。言っちゃったよ」
真美がやれやれと首を振った。
「せっかく真美が、自分で気づくギリギリの線の所までで話を止めたのに……この馬鹿」
奈美は、はぁと溜息をつく。
「だってよ……」
「「言い訳しない」」
「……はい」
広人は頭を垂れた。
一体、何が何だか分からなかった。
すると真美が「もう、全部言うけどね」と、話始めた。
「佑香は、遠山君を追い出してから、ひどく後悔してね。自分が遠山君に言ったひどいことを反芻していたよ。で、こう言った。『……英時には、伝えないでね。私が後悔していること。そしてこう伝えて。私はあなたが嫌いだ、と』」
「……」
「佑香は確かに、遠山君にぶちまけた時は、心からそう思って言っていたよ。だけどその後にきちんと、自分が言ったことの愚かしさに気が付いて、その上で、言い訳をするより、遠山君のことを思って離れさせるほうがいいと考えたんだ。後付けな理由だけど、後付けだからこそ、佑香には戻ることが出来た。でも、しなかった。何故だか分かる?」
「……」
「佑香は自分を罰したんだよ。少しでも遠山君を疑った自分を。だから、もう戻れないような選択肢を取った。遠山君に嫌われるための選択肢を」
「……」
そうか。
佑香はあの時、やっぱり本心から言っていたのか。
しかし、考えるところはそこじゃない。
ちゃんと、僕がやっていないと――分かってくれたんだ。
僕を罵倒した後に、分かってくれたんだ。
その後に、謝れば僕は許したのに……
いや、違う。
それが分かっているから、佑香は僕のことを考えて――
「……僕は、馬鹿だ」
思わず、柵を乗り越えて身を投げ出してしまいたい程、僕は自分の愚かさを呪った。
「また自分のことしか考えていなかったな、僕は」
ふぅと短く息を吐いて、僕は地べたに座った。そして微笑んで、感謝の意を述べた。
「僕も佑香を信じるよ。ありがとう。真美。奈美。広人」
一人は笑顔で、もう二人は無表情でこくりと頷いた。
と、奈美が口を開く。
「分かったところで遠山君。一つだけお願いがある」
「え? 何?」
「佑香の意志をくんであげて」
「佑香の……意志……」
「うん」
奈美は頷くと、具体的に羅列した。
「佑香にいじめをした犯人を見つけようとしない。その人に復讐しない。そして……もう二度と、佑香に近付かない」
「……」
あぁ、分かっている。
佑香は、僕達のことを思ってそうしているんだ。
だから、その意志は尊重すべきだ。
だけど……
「――嫌だ」
僕は、はっきりと拒否の意を言葉に出した。
「僕はあんな目にあっても……佑香を想っているんだ。だから、佑香にもう近付かないなんてことは――絶対に出来ない」
例え佑香にどれだけ先日のような反応をされても、僕は彼女を想い続ける。先刻に揺らいだ意思は、ようやく固まった。
さらに――あることも決断した。
だから、僕は胸を張って言える。
もう僕に迷いはない。
「……うん。それでいいんじゃない?」
ふぅと広人は短く息を吐いた。
「俺達もそのことだけは、鈴原さんの意志を汲むつもりは毛頭ねぇよ」
「試したのよ」
「遠山君を」
広人は、にししと笑って、真美と奈美はいつものように淡々とそう言った。
「ってか、試したって何だ?」
「佑香に対する遠山君の決意の最終確認」
「それを試したの」
「……どこからだよ」
「「最初から」」
優しすぎないか、お前達。
ヒント……というか最早答えを出し過ぎていたよ。
最初の僕だったら、確実に不合格だよ。
「それだけじゃなくて、一応忠告もある」
「佑香の意志を汲むべきとこは、ちゃんとくまなくてはいけない」
「……分かっている」
犯人捜しと復讐のこと。
それだけは、絶対にしてはいけない。
佑香は僕達が自分のせいで報復行為に出ることを恐れているのだ。もしかしたら、いじめた相手のことも考えているのかもしれない。
佑香は、自分の感情ではなく、他人のことを思ってそう言っているのだ。
だから、僕達がそういう行動に移すのはいけない。
佑香を――悲しませるから。
「……はい。この話はもうここでおしまいにしよう」
僕は手を叩いて無理矢理話を終わらせ、そして三人に呼びかけた。
「それでは次の話へといこうと思います」
「次の話?」
「はい、広人君。何故首を傾げているんですか?」
「いや、何故って……次の話が何かが分からないからだよ。ってかテンションが高くなったな」
当たり前だ。
ここまで空気を悪くしたんだ。
責任を取って、明るくさせます。
「うん。次の話ってのはな……」
僕は笑顔で、三人に告げた。
「今日、病院に何を持って行くかって話だ」
◆
それから、そのことについて昼休み中議論した。広人がオーソドックスに花だろうと提案すれば、合わないと満場一致で否決され、真美がメリケンサックはと提案すれば、奈美がトンファーの方がいいと反論し、どっちも違うだろ、と僕と広人のダブルツッコミが入った。結局、佑香は暇にしていそうだからトランプを持って行って大貧民でもしようという話になった。
そして放課後。
僕達はいち早く教室を出て、途中の雑貨屋で普通のトランプを購入し、いざ病院へと行かんとする、その時だった。
「あ……」
と、真美が何かを思い出したように声を発した。
「どうしたの、真美?」
「いや、奈美。あのさ、教室に佑香に渡すプリントを忘れてさ」
「プリント?」
思わず疑問の声を上げると、真美はうんと小さく頷いた。
「文化祭の写真の申し込み用紙なんだけど」
「ってか、何でうちの学校ってそんな小学校の遠足の写真みたいなやつをやるんだろうな」
「はい、広人。ちゃちゃを入れない」
うちの学校は疑問に思ったら負けだ。所々おかしい。
しかし、それとは別に一つ疑問がある。
「なぁ、真美。肝心の写真はどうするんだ? 学校に見本が貼ってあるんだから、用紙貰っても意味ないんじゃない?」
「そこらへんは、大丈夫」
奈美は自信満々にそう言うと、胸元から携帯電話を取り出した。
「撮ってある。綺麗にばっちりと一枚一枚」
「……それをプリントアウトしてあげた方が安くない?」
「駄目だよ、遠山君」
真剣な顔で奈美は首を振った。
「それは違法だよ。小さなことでも犯罪はいけない」
「まぁ、確かにそうだけど……」
あなた達三人は、僕達のプライバシーの侵害をしておりますがね。
「……まぁ、いいや。じゃあ僕、取ってくるよ」
「あ、いや、別に今すぐ必要なわけじゃないから」
「いいって。すぐだし。広人、鞄お願い」
「おう」
「んじゃ、行ってくる」
そうして僕は、学校まで再び戻ることになった。
その日の夕焼けは妙に眩しく感じた。いや実際、一瞬前が見えなくなるくらい眩しかった。
後から思えば、この夕焼けは止めようとしてくれていたのかもしれない。
これから起こることを。
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