第55話 僕と懺悔と怒りと白い世界 -09
九
翌日。
授業が終わるのがこんなに待ち遠しかった日はなかった。
僕はホームルームが終わるなりすぐに教室を飛び出し、病院へと駆け込んだ。病院内でも駆けて看護師に「走らない!」と怒られたが、知ったことではなかった。
僕は、胸にあのノートを抱えながら、佑香の病室をノックする。
少し間が開いた後、短く返事が返ってきた。
「どうぞ」
「……!」
その声を聞いて、僕はドアノブを捻る動きを止めてしまった。
およそ一週間振りに聞いた声。
「まさか……」
僕は勢いよく扉を開いた。
そこには、前と同じような形で真美と奈美がいた。
そして、ベッドから体を起こしてこちらを見ている――佑香がいた。
「佑香……良かった……」
僕は嬉しくて、自然と笑顔になった。
本当に、良かった。
僕が小説を書いている間に、何度も死んでいたらどうしようと思った。
でも、ちゃんと約束を守ってくれた。
涙が出そうになったので、それを抑えようと下を向いて奥歯を噛み締める。
でも、顔が見たい。
動いている彼女を――
「白々しい」
「……え?」
思わず、手に抱えていたものを落としてしまった。
今、信じられないような言葉を耳にした。
恐る恐る、僕は顔を上げ、佑香を見る。
「……」
佑香は――僕を睨んでいた。
何が何だか判らなかった。
信じられなかった。
だから、確認した。
「……今、何て言ったの、佑香?」
「だから、白々しいって言っているんだよ――遠山君」
「……っ!」
今日ほど耳を疑ったことはない。
佑香は「よかった」という僕の言葉に、白々しいと、そして何より――僕のことを『遠山君』と言った。
だが、それらは全部――事実。
「どうして!?」
僕は叫んでいた。
「どうして君は僕を『白々しい』なんて言うんだ!? 僕は本心から意識が戻って良かったと思っているのに!?」
「本心から? よく言うよ」
佑香は耳を傾けてはくれなかった。僕はもう、絶望感でいっぱいだった。
「どうしてそんな風に思うんだよ! 理由を教えてくれ!」
「……理由?」
佑香は震えていた。
悲しみ?
いや――怒りだった。
「教えてくれって……ふざけんじゃないっ!」
佑香は怒鳴り声を上げ、周りにあるものを投げつけてきた。
明らかに本気で怒っていた。
「佑香!」
「やめなよ」
真美と奈美が必死で押さえるも、佑香は足を使ってまでも物を飛ばそうとしてきた。
僕は、ただ呆然として、その場に立って呟くことしか出来なかった。
「どうして……?」
僕は、佑香をここまで怒らせることを、何かしただろうか? 真美と奈美に押さえられても、その体が病魔に蝕まれていても、そこまで暴れる程の怒ることを。
……判らない。
だから僕はゆっくりと彼女の方へと歩み、そして怒りに満ち溢れている彼女の眼を真っ直ぐに見て、口を開いた。
「教えてくれ。君がそんなに怒るほど、僕は何をしたんだ?」
「……本当に、白々しいな。そんなに自分で言いたくないのか」
「だから何をしたんだ?」
「はっ。教えてやるよ」
次の瞬間。
佑香は衝撃的なことを口から出した。
「お前がボクをこんな目に合わせたんだろうが!」
「僕が……佑香を?」
「そうだよ。覚えていないのか?」
佑香は鼻で笑った。
「僕にいじめをするように指示したことは都合よく忘れるんですか? いい脳みそですね!」
「……いじめをするように指示した?」
ちょっと待って?
「何のことだ? っていうか、やっぱりいじめだったのか?」
「本当、白々しいね」
佑香は嘲笑した。それだけでもきつかったのに、彼女はさらに僕を落とすような言葉を――告げた。
「あんた以外にボクに恨みを持つ人間なんかいないんだよ」
「……」
ショックだった。
あまりのショックに、倒れそうになった。
佑香は僕のことを、そう思っていたんだ。
そう思うと、絶望的だった。
振られて、悩んで、そして愛していることに気がついたのに、このざまか。
何とも言えないね、どうも。
僕は悔しさで臍を噛んだ。
「そうか……佑香は……僕が君に、恨みを持っていると思っているんだね……?」
「思いたくなかった! でも……」
佑香は何故か悲しそうな顔をした。そこに僕は希望を見出した。
「でも、何なの?」
「ボクが君を振った三日後、倒れた当日の朝からいじめを受けた。最近、恨みを持たれることは……ただ一つ、君を振ったこと……」
「そうか。それだけなら誤解は……」
解ける、と言おうとしたが、彼女は僕の発言を遮って「そして、決定的なのが――」と続けた。
「ボクは倒れた時、朦朧とした意識の中だったけど、確かに聞いたんだ――『恨むんなら、こんなことをしろって言った遠山君を恨みな』って」
「……は?」
「まだ言い逃れるつもり?」
佑香のこの質問に、僕は答えなかった。
答えられなかった。
怒りで頭がいっぱいだったからだ。
……誰だ、こんなこと言った奴は?
おそらく、佑香を混乱させるために言ったんだろう。
許せない。
絶対、見つけ出して――ブッ飛ばしてやる。
「……何か言ってよ……」
血が上っている頭に、佑香の声が届いた。
はっとして見ると、佑香は眼を大きく見開いていた。
急いで、違う、と言おうとした。
だが――間に合わなかった。
「ふざけんなよ! 英時!」
佑香は長い髪を振り乱して、大声を張り上げた。
「ボクだって振りたくなかったんだよ! だけど、この病気があるからって! 君に負担を掛けてしまうからって考えて、嫌々振ったんだ!
ボクだって英時が好きだったんだ! 好きだったから振った! 本当は嬉しかったんだ! ボクは……
……『私』は……」
僕は今、告白を受けた。
愛している人から。
だけど、それはとても悲しい告白だった。
嬉しかったけど、喜べなかった。
佑香が、泣いていたから。
「それなのに、英時は私のことなんかもう好きじゃなくなっていて、そしてこんな形で報復されるなんて思わなかったよ! もういい! 私の前から今すぐいなくなって! 早く! 早く早く早く!」
佑香はもう、首をぶんぶん振り押さえている真美と奈美がきつそうに顔を歪める程、激しく暴れた。明らかに体に悪そうだったし、佑香はもう僕が何を話しても聞いてくれないだろう。
僕は拳を血が滲み出るほど強く握り締め、言葉を搾り出した。
「……分かった。出て行くよ。でも、二つだけ言わせてくれ」
せめて、この二つだけは伝えたい。
「僕は、君を恨んでなんかいない。だから君をいじめろだなんて指示は誰にもしていない。そしてもう一つ。僕は君のことを……」
「うるさい! もう二個言っただろ! さっさと出て行け!」
やはり、佑香はもう聞く耳を持ってくれなかった。僕は悲しく小さな溜息を吐くと、真美と奈美に声を掛けた。
「真美、奈美。佑香をよろしくな」
そして僕は――佑香に笑いかけた。
「じゃあ、またね」
その言葉が、言いたかった。
この行動には二つの意味があった。
一つは、佑香が見る僕の最後の姿は、せめて笑顔の僕であってほしかったから、僕は笑った。
もう一つは、また会いたいという意味。佑香はきっと僕じゃないということを分かってくれると、僕は信じている。誤解が解けたらまた笑顔で会おう。そのメッセージを乗せた。
佑香に届け、このメッセージ。
そう願いながら佑香に背を向け、僕は病室を後にした。
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