第48話 僕と懺悔と怒りと白い世界 -02
二
「どうして言ってくれなかったの! そんな大切なこと!」
「……ごめん」
「ごめんじゃ理由にならないよ!」
私は彼を責めた。
彼は俯きながらまた「ごめん」と言った。
それだけで、理由は説明してくれなかった。
「……そう。分かった」
私は、下を向いて唇を噛み締めた。
「私は、あなたにとって話をする必要もないくらい、どうでもいい人だったんだね」
「いや、それは違う」
「じゃあ、何で話してくれないのよ!」
「それは……」
夫は何かを続けようとしたがそこで言葉を止め、下を向く。しかしすぐに首を横に思いっきり二、三度振ると、下を向いたまま弱々しく私にこう告げた。
「僕は怖かったんだ。君に知られるのが」
「……怖かった?」
「そう……」
夫は、ゆっくりと言葉を搾り出すように話し始めた。
「僕が心臓に病を持っていることは、幼い頃から知っていた。幼い頃はよく発作が起きていたからね。でも、発作は小学校で最後だった。中学、高校と発作もなかった。医者には完治したとまで言われたよ。だけど僕は怖かった。再発するのが怖かった。僕を心配してくれる人のその表情を、もう見たくなかった。だから親しい友人も作らなかったし、恋人も作らなかった。でも大学の時に僕は――君と出逢ってしまった」
「……」
出逢った時のことは、私もよく覚えている。
「君と接するのは楽しかった。けど怖かった。自分の気持ちが甘くなるのを感じていた。僕は君と離れなければならない。離れなければ、君の苦しむ表情を見ることになってしまう……」
そう語る夫の表情はとても苦しそうだった。
私はそんな夫を、もう見ていたくなかった。
そこで理解した。
夫は今、自分がしている表情を見たくなかったんだな、と。
「だけど……駄目だった」
夫は首を横に振った後、にこっと微笑んで私を見た。
「僕は君を――愛してしまっていた。離したくなかった。だから『もう治っているから大丈夫だろう』と僕は僕に、そして――君に甘えてしまった」
「……」
全く、恥ずかしいことをさらっと言って。こんな状況なのに赤面してしまったじゃないか。
しかし、そんな私とは裏腹に、夫の表情はまた暗くなる。
「でもね、そこで僕はまた怖くなった。今度はさっきとは違うものだった」
「……さっきと違うって?」
「僕は君に病気のことを知られるのが怖かった」
夫は両手で頭を抱えた。
「病気のことを知ったら、君は離れて行ってしまうのではないかと思った。しかも心臓の病だ。完治したといっても、おそらくそんなに先は長くないだろう。老人になって心臓が弱くなったら、すぐにね。だからこの状態になるまで言わなかった。いや、言えなかった……」
そこで夫は、ふふと漏らす。
「まぁ、老人になっても君がいてくれる保証なんてなかったけどね。本当に馬鹿だね、僕は」
「あぁ、馬鹿だよ。あなたは」
私は笑い返した。
「私がそんなことぐらいであなたから離れていくと思っていたなんてね」
「……!」
夫は声の感じから、驚いたのだろうか?
目の前に水があるから、歪んで表情が見えない。
「馬鹿にしないでよね! あなたが私を愛している様に、私もあなたを愛しているんだから! あなたが老人になろうがボケてしまおうが宇宙に行こうがあの世に行こうが、ずっと一緒にいるに決まっているでしょ! どこまでもずっと……ずっと……」
私は叫んでいた。
病室なのに、叫んでいた。
そして、夫の胸に泣きついた。
子供のように、泣きついた。
すると――優しい手が、頭をふわりと撫でた。
「ごめんね。僕は本当に馬鹿だった」
その声は震えていた。
「自分のことしか考えていなかったね。君がこんなにも愛していることに気がつかなかったね。本当に……本当に最低の夫だよ」
「……馬鹿」
私は顔を上げ、彼を見て微笑んだ。
「この涙が、この笑顔が……最低の夫に向けられるものだと思うの?」
私の笑顔。
無理矢理のものではない。
そう。
この人が作り出してくれたもの。
私の涙。
透明な涙。
そう。
この人がいたから、流されたもの。
この人がいたから、今の私がある。
「……ありがとう」
夫は聞こえるか聞こえないかのかすれた声で、そう言った。
「でも、ね」
夫は大きく息を吐くと、私から顔を背けた。
「少なくとも、僕は……最低の父親なんだ」
「そんなことはないよ」
私はきっぱりと否定する。
「だってさ、あの子はいつも笑っていた。あなたと遊んでいる時が、一番嬉しそうだった。だから――」
「そういうことではないんだ」
「……どういうこと?」
「いいか、よく聞いてくれ」
夫はしっかりと私の目を見た。
「これから僕の言うことはとても残酷だ。だけど耳を塞がないで聞いてほしい。いや、聞かなくちゃならない」
「……分かった」
私は頷く。
夫は長い瞬きの後、口を開けた。
「僕の病気は、祖父も、そして僕の父にも掛かって死んでいた。先天的な病だけど、それがはっきりと現れたのは小学生一年生の時で、それまではいくら検査しても分からなかった……つまり、僕が言おうとしている意味が判った?」
「……まさか」
私は絶句した。
先天性の心臓病。
そう聞いた時、その可能性を考えられたはずだった。
だけど、全く気がつかなかった。
「そう」
夫は悔しそうに顔を歪ませながら、言葉を吐いた。
「佑香も――僕と同じ病気である可能性がある」
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