第41話 ボクと誤解と水と恨み -03
三
「……うふふ」
あぁ、やっと自覚したよ。
もう、あの頃に戻れないんだ。
ここまでならなきゃ判らないなんて。
本当に馬鹿だな、ボクは。
「佑香……」
……あぁ、いたんだ。先生。
全く頭になかったよ。
「何ですか、先生?」
「訊いちゃいけないとは思うけど……今のは何なんだ?」
「……何でもないですよ」
本当に、何でもないこと。
「ただ、一人の少女が一人の少年を、振って振られただけのことです」
それだけの物語。
「だから、そんなに気にしないで下さい」
「……そうか。分かったよ」
先生はそれ以上は何も訊かず、左手の親指で自分の車を指した。
「とりあえず、もう暗いから送ってやるよ」
「……ありがとうございます」
それは本当にありがたい。
駅で、英時と顔を合わせる可能性が〇になる。
彼に真実を伝える可能性も〇になる。
ボクが彼を好きだということを。
「……先生、早く車を出してください」
「……まあ、せっかちだな。まずは乗ってから、そう言え」
「はい」
頷き、車に乗る。
そして先生は運転席に乗ると、即座にUターンし――英時が走って行った方向とは逆方向に車を発進させた。
そちらは、家に向かう方向ではない。
気遣ってくれたのだ。
「……ありがとうございます」
「ああ、いいって。気にすんな」
先生は軽く左手を上げ、そこから何も言わなかった。
車内は静かになる。
ふと外を見る。街灯が、鮮やかに通りの人々を照らす。夜なのに明るい。人は電気を発明し、夜でも明るく照らすことが出来るようになった。もっと人類が進歩すれば、ボクの夜も明るく照らすことが出来るのかなぁ。
なんて、詩人のようなことを考えていると、ちょうど赤信号により車は停止し、目の前を、仲良さそうに渡る一組の男女の姿が眼に入った。
その姿に、ボクは自分と英時を重ねてしまった。
「……」
しかし、それは所詮幻想。すぐに消えてしまった。
さっきから、本当に情けない。
ボクはこんなにも弱い人間だったのか。
それじゃあ何のために『ボク』って――
……でも。
でも、どうしても考えてしまう。
ボクはいつまでもこうなのだろうか。
こうしてカップルを見た時、それに重ねて幻想を見るしか出来ないのか。
ずっとずっと、こうすることしか出来ないのだろうか。
一生、このまま……
「……着いたぞ」
先生のその言葉と共に、車がボクの家の前で停止する。
「……ありがとうございました」
車から降り、先生に頭を下げる。
「じゃあ、おやすみなさい」
「あー……ちょっと待て、佑香」
「……何ですか?」
「一言だけ言っておく」
先生は自分の眼を指差して、言った。
「泣きたい時は、泣いてもいいんだぞ」
「……」
先生はやはり凄いなあ。見るからに落ち込んでいるとはいえ、その様なことまで察せられるとは。
だけど――
「……そうですか」
ボクは笑顔で、こう返した。
「なら、泣かなくてもいいんですよね」
「……お前……」
ボクの言葉に、先生は何かを言おうとしたが、
「……あぁ。確かにそうだ」
やれやれと首を振って人差し指を突き付ける。
「だが、泣かなくてもいいが……絶対に、無理矢理笑うなよ」
「……」
「言うことはそれだけだ。じゃあな」
先生は背中を翻し、一度も振り返ることなく先生は車に乗り、走り去って行った。
ボクは先生に挨拶をすることが出来なかった。
それ程、衝撃的な言葉だった。
笑うな?
無理だよ。
笑わなきゃやってられないよ。
……何で?
何で笑わなきゃやってられないの?
笑わなかったら、どうなるの?
あれ? 頭の中、おかしいな。
あははははは。
……もうどうでもいいや。
とりあえず、家に入ろう。
「お母さん、ただいま」
「あ、お帰りぃっ! 佑香。ちゃんと七時って門限、ギリギリだけどちゃんと守ったねぇ。偉い偉い。うんうん」
お母さんはおたまを持ったまま顔を出し、にっこりと笑う。
「あ、そういや車の音がしたけど、タクシーでも使って帰って来たのかい?」
「まぁ、そんなとこ」
「ふぅん。まぁ、そんなのはどうでもいいや。それよりも、楽しかったかい? あのイケメン君……遠山君とのデートは」
「……」
「うぉっ! デートってとこでツッコミを入れないと、お母さん泣きそうになっちゃうぞ!」
「……楽しかったよ。とても」
とても。
「おう、そうか。じゃあ、晩御飯にしな」
「……ごめんね、お母さん。食欲ないの」
「そうなの? どっかで食べてきたの?」
「……うん」
「なら連絡ぐらいしなさいよ。作っちゃうから」
「……ごめんなさい」
「まぁ、それ程楽しかったってことか」
「……うん」
ボクは――笑顔でそう言った。
「じゃあ、もう部屋に戻るね」
「おう。今日の思い出をしっかり噛み締めておきな」
「……うん。しっかりと、噛み締めて心に残しておくよ」
そう言って、笑顔のまま、ボクは足早に自分の部屋へと向かった。
部屋まで辿り着き、扉を閉めて鍵を締める。
その瞬間――
「――あははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
ボクは、声を上げて笑っていた。
笑い始めた。
「あはははははははははははははははははははは!」
何故、ボクは笑っているんだろう?
さっきから、ずっと。
何が、そんなにおかしいんだろう?
分からない。
そんなに笑うことなんて、あったっけ?
「あはははははははは!」
あったよ、たくさん。
色々。
いっぱい。
いっぱい……
「あはは……は……」
いっぱい、笑うことが――
「……」
……ない。
笑うことなんて、ない。
本当は笑うことなんて――出来ない。
笑え、ない……。
「えい、じ……」
自然と、彼の名が口から出てきた。
こんな状況に、一体どうしてだろう。
遠山英時。
ボクが好きだった人。
ボクのことが好きだった人。
そして――ボクが振った人。
ボクは彼を振った。
さらに、誤解させるような場面も見せてしまった。
だから、もうあの頃には戻れない。
英時の笑顔が傍にあった――あの、楽しかった日常に。
「……」
ねぇ、英時。
何で、こんなことになったんだろうね?
どうしてだろうね?
どうして、今日は晴れだったんだろうね?
どうして、あの時の夕焼けは綺麗だったんだろうね?
どうして、君は遠山英時だったんだろうね?
どうしてボクは……鈴原佑香だったんだろうね?
どれか一つでも違ったら、こんな風にはならなかったのに。
まさに、これは――
――『奇跡』だよね。
「……っく……うっく……」
それは駄目だ!
駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!
でも……駄目だ。
抑えきれない。
「っく……えっく……」
布団に顔を押し付けた。
それで止めることが出来ると思った。
でも、出来なかった。
体をつねった。
頭を思い切り振った。
腕を叩いた。
頬を何発も打った。
でも……もう、我慢できなかった。
ボクがずっと笑っていた理由は、これだった。
笑っていないと――こうなってしまうから。
ある日曜日。
朝から晴れ。
天気はずっと良好。
絶好のデート日和。
その日の夜。
星の綺麗な夜。
ボクは一〇年振りに――涙を流した。
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