第40話 ボクと誤解と水と恨み -02
二
「僕は君のことを……鈴原佑香のことが、好きだ」
先週の日曜日。
ボクは遠山英時に告白された。
好きな人から告白された。
嬉しかった。
とても嬉しかった。
自分が好きで、相手も好き。
両思い。
こんなに幸せなことは他にはないだろう。
それは普通だったらの話。
だけど……
「……」
気が付かなければ良かった。
今の今まで、気が付いていなかったのに。
どうしてこんな時に気が付いてしまったのだろうか?
本当に馬鹿だ。
気が付かなければ幸せだったのに。
でもボクは気が付いてしまった。
ボクは、彼の気持ちに応える訳にはいかない。
答えたいけど、答えられない。
だけど。
せめて、ボクが告白されて嬉しかったことは伝えたい。
伝えちゃいけないけど、伝えたい。
幸いカモフラージュは出来る。
だから多分、英時は気づかないと思う。
むしろ、悪い意味で取られても仕方がない。
でも、万が一でもいい。
どうか、この気持ちに気づいてほしい。
気づいてはいけないけど、気づいてほしい。
そんな矛盾の中、ちらりと左を見ると、外の景色の高度が大分低くなっていた。つまり、観覧車が、地上へと辿り着こうとしていたのだった。
それを見て、ボクは決意する。
彼に返事をする。
しかしそれは――偽りの返事。
ボクの本心とは、違う言葉。
それを、自分が出せる限りのとびっきりの笑顔で――英時に返した。
「ごめんなさい」
観覧車が止まった瞬間に、ボクは思わず外へと飛び出していた。
逃げた。
もうこれ以上あの場に居たくなかった。
我慢出来そうになかったから。
英時に、本当の気持ちを言っちゃいそうになるから。
でも、その気持ちは言っちゃいけない。
それが……英時のためなんだ。
ボクのためだったら我慢なんかしない。そもそも我慢する理由がない。
ボクが『鈴原佑香』だから、我慢する必要があるんだ。
ボクが例えば『桜真美』だったら我慢する必要はなかったのに。
「……あはは。馬鹿馬鹿しいな」
そもそも『鈴原佑香』じゃなかったら、好きになってもらえなかったじゃないか。
笑える話だ。
笑う……
……ボクは笑っていただろうか?
笑うことが出来ただろうか?
英時に笑顔を見せることが出来ただろうか?
「……あはは。どうやって確認するんだよ……?」
全く、馬鹿らしい。
……。
……どうしてボクは、笑えるんだろうか?
涙の一つも出てやしない。
ボクの気持ちは、そんなものだったのか。
ボクは、本当に英時のことを好きなのか。
……考えても、しょうがないか。
どっちでも変わらない。
どっちにしろ……ボクは英時とは……
「……」
ここにいたら、色々考えてしまいそうだ。
もう、帰ろう。
英時を置いていってしまうけど……それは仕方ない。
まさか、一緒に帰る訳にもいけないし……
「……あぁ、もう。やっぱり色々考えちゃうじゃないか」
ふぅ、とボクは大きく息を吐く。
そういえば、そろそろパレードが始まる時間だ。そうなると、正門の辺りは混みだすから……とりあえず小さな東の出口辺りが一番帰るのに適しているだろう。観覧車からも遠いし……
それにパレードになると、カップルが目に付くだろう。
嫌でも。
「……一刻も早く帰らなきゃ」
早く。
早く帰らなきゃ。
足を早く動かせ。
でなきゃ、英時に遭ってしまう。
遭ったら、気持ちが動いてしまうに違いない。
早く歩け。
走れ。
早く走れ。
もっと。
もっと早く……
――と、その時。
「あれ? 佑香?」
呼び掛けられて、ボクは思わず足を止めてしまった。
しまった! 恐れていた事態が起こってしまった! ……と思ったが、少し考えてみると違うことに気がついた。
英時の声はこんな低くはない。だから、ボクを呼びとめたのは英時ではない。
この声の持ち主は、今までのボクの記憶の中でただ一人だけ。
ボクはゆっくりと振り向き、その人の方を見て確認した。
「……先生」
「よう。元気か。って、聞くまでもなく元気でさっき走ってたな」
先生は、はっはと笑った。
ボクが幼い時からの知り合い。
そして――ボクの命の恩人。
「お久しぶりです」
「久しぶりって、一ヶ月ぶりじゃないか。そんなんで久しいって言うのか?」
「いえ、最近色々ありましたもので……」
そういえば、英時と親しくなれてから一ヶ月も経過していないのか。もっとずっと経過しているものだと思った。今考えると、とても濃い一ヶ月だったんだな。
「それにしても、先生。どうしてこんなところにいるんですか?」
まさか、遊園地にいたわけじゃないだろう。そんなことをしている暇がある人ではない。
「あぁ。気晴らしのドライブ中にちょっと眠たくなったから、そこの自販機で缶コーヒーを買っていたんだよ」
そう言うと先生は手にある缶コーヒーをこちらに放り投げる。ボクは反射的にキャッチしてしまう。
「ブラックだけど飲むか?」
「……ボクはホワイト派だからいりません」
「ホワイト派? ははは。何だ、それは?」
「……」
先生は笑うだけでツッコミを入れてくれなかった。
これがもし英時だったら、ツッコミを入れてくれただろう。
どんなツッコミをしただろうか?
『牛乳じゃないか、それ?』あたりかな?
「……ふふふ」
何を考えているんだろう、ボクは。
もう、英時がボクにツッコミを入れることも、ボケをすることもないのに。
本当に、馬鹿だな。ボクは。
友達の関係にも、戻れない。
そもそもボクは、彼を初めて見た時から、見た目とかそんなこと関係なしに、理由もなしに惹かれていた。
だから――友達では、なかった。
恋愛感情で好き、だった。
最初から彼を好きで、好きなまま終わる。
前のように話すことなど、ボクには出来ない。
気持ちが出てしまいそうになるから。
もう、何回こんなこと考えているんだろうか。
「……ははは」
笑いが、止まらない。
このことばっか考えるなんて、馬鹿らしくて阿呆らしいな。
「おい、どうしたんだ?」
先生が訊いてくるが、ボクは反応しなかった。
ボクは、ただただ笑い続けた。
自分の愚かさを。
自分の気持ちを。
鈴原佑香を――
「――」
突然。
目の前が、急に真っ暗になり、同時に、息苦しくなった。
何が何だか分からず手を動かして探ろうとするが、何かにつっかえて探れない。だがそれは、手を外に回りこませて抱きつくような形になった時に、ようやく分かった。
先生が、ボクの顔を自分の胸に押し付けていたのだ。
「……せ、先生?」
ボクは困惑した。だが先生の次の言葉で、先生が何故そのような行動を取ったのか理解した。
「……とりあえず、落ち着いたようだな」
先生はおそらく、ボクが発作か何かを起こしたと勘違いし、落ち着かせるために抱きしめたのだろう。人の体温は、人が最も落ち着くことが出来る温度であると誰かから聞いたことがある。もっとも、驚いたから、という理由が主ではあったが、先生のその行動によって、ボクは落ち着きを取り戻した。
「……ありがとうございます、先生」
「いや、大丈夫か?」
「はい。もともと大丈夫ですよ」
「そうは見えなかったが……まぁ、それならそれでいいが」
「あはは。それならそれでって。もともと大丈夫だって言ったじゃないですか。おかしな先――」
生、と続けながら先生から離れた――その時だった。
「え……?」
思わず、身体が強張った。
「どう……して……」
思わず口から、言葉が零れ落ちる。
それは、ボクの視線の先に、一人の男性の背中が見えたから。
先程まで一緒にいて、今日、何度も見た背中。
――英時の背中が。
「えい……じ……?」
英時に見られた。
今のボクを見られた。
先生に抱きしめられていたボクを。
「……英時ッ!」
ボクは思わず叫んでいた。
なりふり構わず、必死で叫んだ。
「違う! 今のは違うの!」
英時の姿は、どんどん小さくなっていく。
声が届いていないのは判っていた。
だけど、止めることが出来なかった。
「英時! 本当に違うんだ! ボクが本当に好きなのは……っ」
そこまで言葉に出して、やっとボクは気が付いた。
この先の言葉は――続けちゃいけない。
続けてしまったら、彼を苦しめることになる。
だから――
「あ……」
ついに英時の姿は、見えなくなってしまった。
「……」
……これで、良かったんだ。
ボクの声が届かなくて。
英時に、勘違いされたままで。
「そうだよ。都合が良かったよ。これで……」
口に出して、確認した。
そして――認識した。
ボクの恋は――ここで終わったのだと。
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