第38話 僕とデートと告白と衝撃 -08

    八



「……というわけなんだ」

「あ……うん。その、なんだ。英時」

「しどろもどろになってどうした、広人?」

「こうしてお前の細かい心情まで包み隠さず話してくれるのは、親友としてすっごく嬉しいんだけどな……一つ、ツッコミいいか?」

「……どうぞ」

「今日は水曜日」

「うん。そうだね」

「お前がそう決意したのは、火曜日だよな」

「うん。そうだね」

「……何で未だに話しかけないんだ?」

「うぅっ!」


 あれから僕は、彼女に話しかけようとした。

 だが、何故か出来なかった。


「次の休み時間には言うぞ」「明日には言うぞ」「朝には言うぞ」「昼休みには……」と先延ばしに先延ばした結果、現在、決意から一日後の放課後になっていた。さらに放課後になってから長い間広人に話していたので、教室にはもう誰も残っていなかった。当然、佑香もいない。

 情けない話だ。

 そうやってうなだれている僕に、広人は小さく息を吐いた。


「駄目じゃん、お前。駄目のダメダメだな」

「判っているよ……これじゃあ駄目だって。でも……」

「でも、何だ?」

「でも……」

「その後が続かないのかよ」


 広人は「はぁ」と、はっきりとした大きな溜息をついて、僕の机に拳を強く打ち付ける。


「それじゃ、堺に言われた通り、本当に口だけだな」


 まさにその通りだ。

 今の僕は、口だけのヘタレだ。

 だから、何も言い返せなかった。


「……」

「何か言えよ」


 広人は段々と目に見えてイラついてきているようだった。


「……」

「言い訳でも何でもしろよ」

「言い訳はしないよ。出来ないよ。結局、彼女には彼氏がいて――僕なんか、どうだって思っちゃいないんだ。今更、そんな相手に何を――」

「……このボケが!」


 突然、広人の怒鳴り声を上げる。

 誰もいない静かな教室に怒声が響き渡る。


「いい加減にしろよ、お前!」


 僕は驚いた。

 広人は、本気で怒っている。

 今まで、こんな広人は見たことがなかった。なんだかんだ言って、広人は全然怒らないから。


「どうして判らないんだよ!?」

「何がだよ?」


「鈴原さんはお前のことを――本当は好きなんだよ!」


「……は?」


 今、何て言った?

 佑香が、僕のことを好き?


「……そんなわけがあるか!」


 僕は思わず怒鳴り返す。


「そんな適当なことを言うな!」

「……適当じゃねぇよ」


 広人は大きく息を吐いて首を横に振る。


「鈴原さんに口止めされていたから言わなかったけどな……」


 ハッ、と広人は短く息を吐く。


「俺、あの遊園地の帰りに鈴原さんを見たんだ」

「……あぁ、僕も見たよ。しかも男の人に抱きついているのをな」

「へぇ。お前も見たんだな。ってことは走り去って行ったのは、やっぱりお前だったんだな」


 そこまで知っているってことは、広人はあの場にいたのか。

 しかし、ますますわけが判らなくなった。

 その状況を見ていたなら、何故――佑香が僕のことを好きだと言えるんだ?


「訳が判らないって顔をしているな?」


 広人は的確に僕の心情を読み取ると、はぁと大きく溜息をついた。


「お前はその後、鈴原さんがどんな反応をしたのか知らないだろう?」

「……」


 知るものか。想像もしたくない。


「どうせその抱きついていた男の名前でも言っていたんだろ?」

「確かに、男の名前は言っていた。だが、それは抱きついていた男の名前じゃない」


 広人は指を――僕の額に押し付ける。


「お前の名前だ」

「僕の……?」

「そうだ。『えいじ』ってな」

「……」


 到底、信じられなかった。


「は、はは……ど、どうせそいつが僕と同名なだけだろ?」

「いや、それはない」


 広人はきっぱりと否定した。


「鈴原さんはその男に、『先生』って言っていたから」


 何の先生かは知らないが、広人が具体的な名前を上げないところから、この学校の先生ではないのだろう。僕もはっきりと覚えていないが、知らない人だった。しかし、そんなことはどうでもいい。

 どうでもよくないのは、佑香が僕の名を言っていたということだ。


「何で……僕の名を……」

「それは俺も予想しか出来なかった。でも、さっきお前がその場にいたということで、確信した」

「……何をだ?」


「英時にその場を見られて悲しんでいたんだよ。彼女は」


「え……」


 僕は一瞬、思考が止まった。


「……は、ははっ。何でそうなるんだよ?」


 全くもって馬鹿らしい。

 どうしてそんな話になるんだ。

 見られて悲しむ?


「ありえないだろ。その先生が彼氏なんだから」

「いや、それはない」


 広人はきっぱりとそう言った。


「さっき『鈴原さんに口止めされていたから言わなかった』って俺、言ったよな。それ実はな……俺、一昨日の朝にもう鈴原さんに話しかけていたんだよ」

「……」


 あの日の朝は結局ぐずぐずして遅刻ギリギリになってしまった。だから朝に広人が話しかけていたとは全く知らなかった。


「んで、その時に『昨日鈴原さんと一緒にいた、先生と呼ばれた人は彼氏かどうか』を訊いたんだよ。そしたら鈴原さんはこう答えた。『彼氏じゃない。あの先生はボクにとってとても大切な人ではあるけど、恋愛感情は一切ないんだ』って」

「……」

「そして鈴原さんは『ボクにとっての恋愛感情の類は……』って言った後に口を噤んでその先を言わなかった。だけど、判るだろう? 俺がお前に対して『鈴原さんはお前のことを本当は好きなんだ』と言い切った理由が」

「……」


 あぁ。

 確かに判った。

 その先に続く言葉も。

 どうして広人が言い切ったのかも。


『佑香が僕の名を叫んでいた』。

『先生は彼氏ではない』。


 その二つは単独では判らない。

 だが二つ合わされば理解できる。

 まるでジグソーパズルのように。


「……広人、それは確かなんだな」

「あぁ。俺はもうお前を傷つける嘘はつかない」


 広人はにかっと笑って、自分の右耳を指差す。


「この耳で――この身体で、ちゃんと聞いたからな」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かがすぅっと消えていった。体が、そして心も軽くなった気がした。ほっとして、とても嬉しくて、そしてちょっと恥ずかしくなった。


「……」


 落ち着くために僕は眼を閉じて大きく深呼吸をした。すると色んなことが判ってきた。さっきまでの自分の愚かしさ。広人が必死で僕を元気付けようとしてくれていたのも。

 そして、ツッコミどころも。


「ちょっと待て、広人」

「ん? 何だ?」

「身体で、ってお前……まさか」

「いや、いやいやいやいや! 誤解するなよ! かっこよく言おうと思っただけだ!」

「え? 本当か?」

「本当も本当! 肉体関係は誰とも持ったことがありません! だから信じてよ!」

「……あはは。最初から判っているよ。そんなことは」


 僕は――笑った。

 ようやく三日ぶりに本心から笑うことが出来た。

 そしてこの笑いは、ようやく自分がいい意味で吹っ切れた象徴だった。


「うん。そんだけ笑えりゃ、もう大丈夫だな」


 広人が満足そうに頷いた。


「これでようやく、鈴原さんに話しかけられるな」

「あぁ。そうだな。仮にそれが勘違いでも自惚れでも――前に進めそうだ」


 広人が持ってきてくれた二つのカケラのおかげで。

 しかし――実は、ジグソーパズルは、まだ完成していなかった。

 僕の手元には、まだ不思議なカケラがいくつかある。


「……あのな、広人。疑問に思っていることがまだ三つ程残っているんだけどさ」

「おう、何だ? 言ってみろ」

「何で佑香は僕にそのことを隠そうと思ったんだろうか?それに先生と呼んだ人に一体何の理由で抱きついたんだろうか? さらに先生って何の先生だろうか? そして、佑香が本当に僕のことを好きだったら、何故僕を振ったんだろうか?」

「……一気に言うなよ。ってか四つだし」


 広人は呆れたように眉を潜めた後、「でも、ま」と、僕の肩をポンと叩いた。


「いくつかは推測が立つけど、俺が言うことはあくまで推測の域を出ない。幸い、彼女の鞄はまだこの教室にある」


 広人が顎で示す。

 確かに彼女の席には鞄があった。


「ってことは、まだ校内にいるってことだしな。だから敢えて言おう」


 そう言って広人は僕の後ろに回りこみ、背中を押した。


「俺に聞くなよな」

「……」


 僕に、背中を押した広人のメッセージがひしひしと伝わってきた。

 鈴原さんの所へ行って来い。

 話して来い。

 そう、言っていた。

 だから僕は、それに答えた。


「……文章、めちゃくちゃになってるよ」

「な、うっさいなぁ! かっこいい場面なんだから、素直に『うん。分かった。行ってくるよ』って言っておけよ! 雰囲気ぶち壊し!」

「分かった分かった」


 僕は、ふふと笑って、広人を見ずに手をひらひらと振った。


「うん。分かった。行ってくるよ」


 勘違いでもいい。

 佑香が本当に、まだ僕のことを好きなのならば――チャンスはある。

 広人の言葉が嘘を含んでいないのならば、僕はまだチャンスがある。

 自惚れで勘違いである可能性は、非常に高い。

 だが、これは――きっかけ。

 前に進むためのきっかけ。

 だから僕は、進む。

 訊く。

 問う。


「……おし」


 そうして僕は、佑香を捜しに行くべく、教室の扉に手を掛けようとした――


 ――その時だった。


「いた! 遠山君!」


 教室の扉が乱暴に開かれ、黒髪を目元まで隠れる程伸ばした一人の男子生徒が入ってくる。

 彼の名は時美ときみ次実つぐさねといい、クラス内でも特段目立った存在ではなく、地味というのが言葉が悪いが表現としては正しいように思える。しかし、彼は意図してそのように目立たないようにしている節があると、僕は思っていた。そんな彼は先の文化祭の劇ではロミオの親友のマキューシオ役をやったことから、『地味―シオ』というあだ名でからかわれている。苗字の『時美』が音読みすると『じみ』となることからも付いているのだが、彼は『地味』の単語に反応し「地味じゃないよ! 時美だよ!」って定型文を返してくる。それがまたお決まりの形であり、最近の常套句の冗句であった。

 だからこそ、彼の姿を見た瞬間に僕達は彼に軽口を叩く。


「あーあ。今、いざ行かんとしているところだったのに……」

「さっきまで俺達が作っていたかっこいい雰囲気がお前の登場で地味に崩れたよ」

「地味にギャグ路線に走っちゃうじゃん」

「でも、登場は地味じゃなかったな」


 さっきのかっこいい雰囲気がなんだったやら、僕達は地味―シオいじりに走っていた。

 だけど僕は即座に、彼の反応がいつもと違うことに気が付いた。

 地味という単語への返しについて、今回は全く反応しなかった。


「あれ? いつものやつは?」

「そんなのどうでもいい! 本当に大変なんだよ! 特に遠山君には!」


 その表情には、あまりにも鬼気迫るものがあった。

 僕はそれに深刻さを感じ、彼の肩を掴んで訊ねる。


「何があったんだ?」

「……鈴原さんが」

「佑香が?」


 そこで彼は言葉を紡いで、下を向いた。それは言うのをためらっているように見えた。


「お願いだ! 聞かせてくれ! 佑香がどうしたんだ!?」


 肩を強く揺さぶると、彼は一つ大きく息を吐く。


「お願いだから取り乱さないでね」


 そして衝撃的なことを告げた。



「鈴原さんが今……意識不明の重体で救急車に運ばれた」

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