第22話 僕と舞台裏と告白と自覚 -04

    四



「しかし何だろうね、あいつら」


 僕と広人は、とりあえず外に出て、体力関係の催しものをしている校庭がよく見える草むらに座っていた。


「さぁ。でも、事情があるなら仕方ないんじゃない?」

「その事情が不明だっていうのがなぁ……」

「それがどうしたんだ?」

「お前……気にならないのか?」

「何で?」

「だってよ……あいつら、どこかの誰かと合コンに行くんじゃないかとか、不安にならないのか?」

「……合コンはないだろう」

「合コンはないにしても、誰か他の男と一緒に回っているかもしれないだろ」

「そうだとしても何があ――」


 ……え? 何だ?

 何なんだ、この――憔悴感は?

 何に焦っている?

 何で佑香の顔が浮かんでくる?

 何で胸がざわざわする?

 何でこんなにも……不安なんだ?


「……どうしよう、広人。僕、今めちゃくちゃ不安だ」


 そう言うと、広人は鼻で笑った。


「それが正しいんだよ。英時」

「正しい?」

「そうだよ」


 だってさ、と広人は目を細める。


「だって好きな人が自分の知らないところで何をしているのかが気になるのは、至極当然のことだ」

「え?」


 好き?


「僕は佑香のことが……好き、なのか?」

「気づいていないのか?」


 広人は眼が飛び出さんばかりの、ものすごい表情になった。


「あんなに分かりやすいのに!」

「じゃあ、僕に分かりやすく、そう思う根拠を教えてくれ」

「えっと……」と少し広人は考え込んだが、すぐに「あ、そうだ!」と手をポンと叩いた。


「さっき不安だと言ったよな。その時に、お前が思い浮かべた人物が鈴原さんだろ?だからお前は鈴原さんのことが好きなんだ」

「……そういうものなのか?」

「それは間違いない」


 自信たっぷりにそう言う広人。しかし僕はまだ理解出来なかった。


「……どうしてそう断言出来るんだ?」

「だって、俺もお前と同じ気持ちだもん」

「え?」

「お前が鈴原さん対して不安になっているように、俺も桜姉妹に対して不安になっているんだよ」

「……どういうこと?」

「こう言ったほうがいいな。俺が桜姉妹に対して不安に思っていて、お前も鈴原さんに対して不安になっている。だからお前は鈴原さんのことが好きなんだよ」

「それって、つまり……」

「そう」


 広人は大きく頷いて、そして言った。


「俺は、桜姉妹のことが好きだ」

「!」


 驚いた。

 まさか、広人が真美と奈美のことが好きだったとは……全くの初耳だ。

 しかし堂々とそう答える広人は、とても格好が良かった。


「……今まで、気づきもしなかったよ」

「まぁ、恥ずかしくて隠していたからな」

「好きだと言う気持ちが恥ずかしかったのか」

「いや、それもあるが、大半は違うな」


 ゆっくりと首を振る広人。


「俺が恥ずかしいのは、二人をまだきちんと判別できないことだ」


 広人は、ははっと嘲笑する。


「情けない話だよな。どっちか判別できないから、『桜姉妹』を好き、って言っているんだよ。でも……」


 広人は、笑顔で顔を上げた。


「言い訳に聞こえるかもしれないけど、判別できたとしても、多分俺は両方とも好きになっているだろうな」

「それは……どうして?」

「だって俺は、クールな時も、鈴原さんをからかっている時も、そして俺をからかっている時のあいつらさえも好きだと感じるからな」

「それは……」


 つまり、どんな状況でも相手を思う気持ちがあるということだろうか。

 それなら、僕にもある。

 でも……


「それは本当に『好き』なんだろうか?」

「ああ。それだけは誰にも否定はさせない」


 広人は力強く頷いた。


「……じゃあ、『好き』って一体何なんだ?」

「何なんだ、って?」

「どうして好きになるんだ? そして、どのような状態のことを好きだって言うんだ?」

「え……うーん……それは……」


 広人が返答に困って眉尻を下げた、その時だった。


「あ、あの……遠山君……」


 突然、後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、そこには長い黒髪の女の子がいた。

 彼女の名は堺早紀さん。

 クラスの副委員長で、僕とは仕事で結構一緒になる女の子だ。

 そんな彼女だが、心なしか顔が赤いようだ。


「どうしたの?」

「あの……ちょっとお話があるので、来てください」

「いいけど……ここじゃ駄目なの?」

「駄目です! お願いします!」


 堺さんがこんな大声を出すのを始めて聞いた。これは重大なことだな、と判断し、僕は了承する。


「分かったよ」

「本当ですか。ありがとうございます」

「じゃあ行こう、広人」

「え……ちょっと待ってください」


 焦った様子で彼女は言う。


「私は遠山君だけに用事があるのです」

「え?」

「だから……遠山君、一人で来てください」

「でも……」

「高見君には、あたし達が説明しておくよ」

「だから、遠山君。早紀ちゃんと一緒に行って」


 いつの間にか僕の後ろには、二人の女の子がいた。

 二瀬由宇さんと逆島公子さん。

 彼女達は堺さんと仲が良く、よく一緒にいるのを見かける。

 それはそうとして、説明しておくよって……何でだろうか? 理由が分からない。ここで事情を僕にも説明すればいいことではないか。


「にはーん」

「……何だよ、広人。いきなり変な擬音を口にして」

「行けよ、英時」

「はぁ? 唐突に何だよ?」


 何故か、にやりと笑みを浮かべている広人。


「いいから行けよ。お前が求めている答えが、多分そこで判るはずだ」

「え?」

「俺は後で連絡くれればいいからさ」

「え、ちょっ……」

「ほれ、行くぞ。お二人さん」

「「はーい」」


 瞬く間に、三人は何処かへと行ってしまった。


「……本当に行っちゃった」


 僕は、ふぅと溜息をついて堺さんに訊いた。


「で、話って何?」

「え? いや、はい」

「どうしたの? 君が何か話したいことがあるんでしょ?」

「あ、はい。そうです。あの……」


 堺さんは眼鏡の奥の瞳を大きく見開かせて、言った。


「その……遠山君って……彼氏いますかっ?」

「……」


 僕を何だと思っているんだこの人は? 広人と一緒にいすぎるのだろうか? いや、それは普通の親友との接し方だと思うのだが……少し考えるべきだろうか。

 とりあえず、きちんと否定しておこう。


「いや、いないよ」

「あ、そうですか……」


 どこかホッとしたような顔の堺さん。いや、安心されても……まぁ、残念な顔をされた方が大いに困るけれども。


「あ、あの……ならそれで……一つお願いが……」


 堺さんは、何故か身体をもじもじさせて下を向いた。


「何?」

「あの……私と……私と後夜祭のダンス踊ってくれませんか!」

「へ……?」


 後夜祭のダンス?

 あぁ、広人も言っていたな、そんなこと。


「でも、何でそんなこと聞くの?」

「はい?」


 少々抜けた声を出しながら顔を上げる堺さん。


「何でって……あの……ダンスは一回しか踊らないから、その……遠山君と踊りたいなって」

「つまり、一人としか後夜祭では踊れないってこと?」

「うん」

「へぇ……」


 予約制みたいなもんなんだな。でも後夜祭っていうんだから、もっと色んな人と踊れるようにしたらいいのに……って、待てよ?


「堺さん。一つ聞いていい?」

「はい? 何ですか?」

「どうしてそんな大切というか何というか……とにかく、そんな一人しか選べないものに、僕を選んだの?」

「え……あの……それは……」

「それは?」


 すると堺さんは下を向いて、ぼそりと言った。


「……きだから」

「はい? 聞こえないよ」

「……っ!」


 堺さんはバッと勢いよく顔を上げた。その顔は、何故か真っ赤だった。

 次の瞬間。

 思いもよらなかったことを叫ばれた。


「遠山君のことが好きだからっ!」


 ……はい?

 ちょ……ちょっと待って?

 堺さんが、僕のことを好き?

 好き?


「……何で?」


 僕は、ただ唖然とするしかなかった。


「何で……僕のことを?」

「え? な、何でってそれは……」


 堺さんは顔を真っ赤にさせたまま、しどろもどろに答える。


「それはえっと……好きになるのに理由なんて、ない、よ……」

「じゃあ、どうして僕のことを『好き』だと判るの?」

「そりゃ判るよ」


 困ったように笑う堺さん。


「だって私……しょっちゅう遠山君のことが気になっていたんだもの」

「へ……?」


 彼女ははにかみながら言う。


「遠山君の一挙一動が常に気になるし……遠山君に話しかけられると、とても嬉しくなるの。それが『好き』っていうことじゃなくて何だって言うの?」

「そう……か……」


 そうなのか。

 それが――


 それが――『好き』なのか。


 やっと……謎が解けた。

 今まで感じていた、不思議な気持ち。

 喜怒哀楽で表せない気持ち。

 僕を悩ませていたこの気持ち。

 それがようやく判った。


「ありがとう。堺さん」

「へ?」


 きょとんとする堺さん。


「君のおかげで、僕は『好き』という大切なことを知った」

「……それに『ありがとう』なの?」

「いや、それだけじゃないよ。もう一つ」


 好きな気持ちは、自分が好かれて初めて知るものだったとは、知らなかった。

 だから。


「……僕のことを好きになってくれて、ありがとう」

「っつ! い、いや、どういたしまして!」

「そう返すべきではないと思うよ?」


 その返答にくすりと微笑を零してしまうと、堺さんは恥ずかしそうに俯く。


「す、すいません……」

「いや、謝るべきなのは、僕だよ」

「えっ?」

「ごめんね。堺さん」


 僕は目を閉じて、そう言った。

 その時、瞼の裏に――佑香の顔が浮かんできた。

 そう。

 それが、僕の答えだった。


「僕は気づいたんだ。僕にも――ダンスを踊りたい人がいるってことを」

「……」

「だから、ごめん。僕は君とはダンスは踊れない」

「……そう」


 堺さんはそう呟くと、ふっと微笑んだ。


「ありがとうね、遠山君」

「いや、本当にごめんね。堺さん」

「……」


 下を向く、堺さん。彼女はくるりと背を向け、


「……ごめん、遠山君。自分勝手だし、ちょっときつい言葉になっちゃうけど……」


 震えた声で、こう言った。


「早く、どっか行って」

「……分かった」


 そう言って僕も堺さんに背を向け、集合場所の体育館へと歩みを進めた。

 直後、嗚咽が聞こえた。

 それがとても……とても辛かった。

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