第五章 僕と舞台裏と告白と自覚

第19話 僕と舞台裏と告白と自覚 -01

    一



 死にたい。


 そう思った昔の自分に喝を入れたい。

 何でもできると思っていた、昔の自分の尻を蹴り飛ばしたい。


「どうしたの、遠山君?」

「ああ、鈴原さん。いや、昔の自分にどう焼きを入れてやろうかと考えていた所だよ」

「何で?」

「何でもは出来ないじゃないか。ほら見てみろ。女装は出来なかったぞ、って」

「出来る方が珍しいと思うよ……」


 あはは、と笑う鈴原さん。彼女も既に劇の時に来ていた恰好から着替えていた。当然、僕も着替えている。あんなもん二度と着てたまるものか。

 今現在は主役二人以外の人がお疲れ様と労い合っている状況だろう。僕達は真っ先にねぎらいというよりも散々笑いものにされたという方が正しく、そこから解放された隙を狙ってクラスの人から逃げるように素早く着替えて人気のない校舎の裏まで逃げてきたのだが、そこで偶然に佑香と遭遇したわけだ。彼女も同じような理由であったらしい。


「はあ……やっと終わったね」

「終わったね。色々な意味で疲れたね」

「お疲れ様、ロミオ」

「お疲れ様、ジュリエット」

「……もう二度とやりたくないけどね」

「あっはっは。そうだよね」


 佑香はコロコロと笑う。

 彼女とはこの劇を通じて、かなり仲を深められたと思う。

 あの屋上での出来事についてはうやむやにしてしまったが、どうやら何も気にしていない様子であるのは分かったので、敢えて触れようとはしなかった。

 そんなことは、もうどうでも良くなっていた。

 劇のこともあって、僕は彼女と触れ合う機会が増えた。

 なので彼女のことがよく分かってきた。

 彼女はよく笑い、よく怒る。冗談も言う。色々なテレビ番組や本を読んでいる。どうやらそれは母親の影響の様だ。ずっと『ボク』という一人称を使っている理由は分からない。なかなか聞き出せるものではない雰囲気があった。仲が良いのは桜姉妹であるが、何気に深い仲であるのは彼女達だけのようだ。女子というものは怖いのか何か分からないが、桜姉妹二人に対してと他の女子とではトーンが違う。まあ、それは僕の広人に対しての態度と同じではあるが。ならばきっとそれは、親友、というものなのだろう。

 そして、とても可愛らしい。

 今まで他人に興味を持たなかったから気が付かなかったが、佑香はとても可愛らしい。同年代のどの子よりも魅力的だ。

 だからだろう。

 僕は彼女をすぐ目で追ってしまっていた。

 自然と口元がにやけてしまう。


「お互いに見つめ合った。

 傍にいたい。

 彼女と一緒にいたい。

 もっと仲良くなりたい。

 あわよくば結婚したい。

 ――いつの間にか、そう思うようになった」


「……?」


 先の言葉は僕ではない。

 唐突に女性の声が、他方から聞こえて来たのだ。

 その声に、僕は聞き覚えがあった。


「お母さん!」

「あらあら。こんな人気のない所でふけちゃって」


 佑香のお母さんだった。一度だけしか会ったことは無いが、強烈なキャラクターだったのは印象づいていた。先の言葉はその母親がこちらに歩きながら告げた言葉であった。その内容については触れないで、僕は彼女に頭を下げる。


「どうもお久しぶりです、鈴原さんのお母さん」

「おひ……って、何で佑香って呼ばないの?」

「あっ……」


 そうだった。彼女の母親の前では、佑香、と呼ばなくちゃいけなかった。

 違った。

 他の人の前では佑香って言っちゃいけない、ってだけだった。


「いや、他の人に佑香さんのことを噂されたら嫌だと思って」

「ん? 嫌なのかい?」

「僕は嫌じゃないですが、佑香さんが嫌だと思って」

「嫌じゃないならいいじゃない。佑香だって嫌じゃないと思うわよ」

「そうなの……?」


 と、佑香の顔を見たら、真っ赤だった。

 きっとそれは照れではない。

 怒りでだろう。


「もう! お母さんは何でボクのことを何でも知っているかのように!」

「あんたのお母さんだからね。あんたのことなら何でも知っているわよ。勿論――男装が似合っていたということも」

「あの演劇見ていたの!?」

「ええ、勿論。何でこんな面白いことをしてるって言ってくれないのさ?」

「言う訳ないでしょ! っというかどこから……真美、奈美か……」

「言う訳ないでしょ!」

「真似しないでよ!」

「たまたまよ。というか親娘なんだから言い方も似るに決まっているじゃない」

「うぅ……」


 黙り込んでしまった。やはり母は強し、ということなのだろう。佑香を圧倒している。

 ……そういえば、劇を見たということは僕の姿も見たということか。

 ……。

 ……触れないでおこう。


「で、で、君、遠山君? どうして佑香のことをこれからはきちんと人前で佑香と呼ぶこと。これは母親命令よ」

「は、はい」

「お母さんにそんな権限ないわよ!」

「落ち着いて、佑香」

「そうだよ、佑香」

「前もだけど遠山君は何でそんなに順応速いの!?」

「こんな風に僕のことも名前で呼んでくれないんですよ」

「ああ、だからなのね。それは佑香が悪いわ」

「名前で呼んでくれても僕は一向に構わないのですが」

「ほら! 彼もそう言っているんだし呼びなさい!」

「もう! 二人してからかって!」


 膨れる佑香に、僕と彼女のお母さんは笑い合う。


「もう! お母さんはもう帰って!」

「はいはい。お邪魔者は退散しますよー、っと……」


 背中を押されて苦笑しながら母親はひらひらと手を振ってくる。

 と、そこで佑香の母親は佑香に耳を寄せる。


「………………」

「……うん。大丈夫。大丈夫だから」

「そ。良かった」


 物凄く優しい笑みを、母親は見せた。

 それはまさしく母親が娘に見せる慈愛の表情。そう僕は思った。


「ん、じゃあね、遠山君」


 手を振る母親に対し、僕は頭を下げる。このままずっと、色々な意味で頭が上がらなそうだ。


「全く……どんな嗅覚をしているんだか、うちの母親は……」


 上機嫌に鼻歌を奏でながら去って行った母親の後姿に、佑香は深い嘆息を投げつける。


「相も変わらず凄い人だね」

「母親にすると大変だよ」

「でも……いいお母さんだね」

「……うん。いいお母さんだよ」


 そう言う佑香は、とても嬉しそうな顔だった。

 その顔を見た瞬間、僕は何故か顔が熱くなるのを感じた。

 ……さらっと言っているけど、今、実はいっぱいいっぱいだ。

 その証拠に、


「あ、あのさ。これから一緒に回らない?」


 そんな文脈もくそも何にもないことを口走ってしまった。

 本心だったけど。

 内心だったけど。

 でも、やっぱり言うタイミングじゃないよな。

 予想通り、佑香はぽかんと口を開けている。


「ごめん。何でもない。気にしないで」

「ん? いや……うん、いいよ。一緒に回ろう」

「はい?」

「『はい?』って何だよ! そ、そっちが誘ってきたんだろ!」

「いや、そうだけど……」


 まさか、本当に肯首してくれるとは思わなかった。はっきり言って駄目元だったのに。


「何でさっきから黙ったままなの? 冗談だったの?」

「いや……違……」

「……ボクと回るの、本当は嫌なの?」


 う……上目遣いで僕を見ないでくれ。

 胸が苦しくなる。

 ……って、何で?

 何で極度な運動をした訳でもないのに、恥ずかしい思いをした訳でもないのに……

 この気持ちは一体……?

 ……なんて、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 やるべきことは、ただ一つ。

 早急に返事をすること。

 でないと、ひどく後悔するような気がする。


「嫌じゃない。嫌じゃないよ」

「……随分と、考える時間が長かったじゃない」


 じとーっとした目で僕を見る佑香。


「うっ……少し考えていたんだよ」

「何? ボクのことが嫌かどうか考えてるのがそんなに長くなるわけ?」

「それは違う」

「じゃあ何なのさ」

「えっと……これから行くコースを考えていたんだよ」


 咄嗟に出て来た言い訳にしては上出来だ。まさか「君を見ていると、何故胸が苦しくなるのかを考えていた」とは言えない。何故だか判らないが言えない。


「んー、まあいいや。じゃあ、行こっか」

「……うん」


 こうして僕達は、二人で文化祭を楽しむべく一緒に歩き始めた。

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