第5話 ボクと出会いと学校と友達 -03
三
「ん……んん……」
突然だが、ボクには恋人がいる。
その日も恋人を抱き締めていた。
今は朝だ。
頭では判っている。
だが、今日のボクは恋人を離さない。
離せない。
「今日はもうちょっとだけ……」
「駄目よ」
バサッ
突然、恋人が宙に舞った。
ボクは慌てて手を伸ばす。
「ああ……恋人さんがぁ……」
だが無情にも恋人は、さっきの「駄目だ!」のという声を出した人――お母さんの手の中にあった。
「はいはーい。お布団とのあまーい時間は終わりだぞー」
「んー……お布団じゃないもん。恋人だもん……」
「寝ぼけていないでさっさと起きる」
お母さんは、ボクの愛人――枕をボクの頭から抜き去り、悪人面という言葉がよく合う笑顔を見せた。
「ほらほら。布団も枕も、お母さんの愛人になっちゃったぞ。早く起きないと……」
「んんっ……まだ本命がいるもん」
ボクはうつ伏せて本命にキスをした。
「ボクが寝てるのはベッドだよ。流石にこの本命を奪い取ることは出来な――」
「ふっふっふ……私を誰だと思っているんだ佑香。堺正章もびっくりだぜぃ……」
「え……ちょっと待ってお母さん……無理だってそれは……」
「三秒だけ待つ。三秒以内に地面に立って『アイムOK』って言えば、ベッドは抜かないでやる。さぁどうする?」
「……やっぱりベッドごと抜くの?」
「……さぁん……にぃ……いっち!」
「待って待って!」
ボクは急いで跳ね起きベッドから降り、敬礼のポーズを取って「アイムOK」と叫んだ。
「よし。それでよし!」
お母さんは大きく頷いた。
「おはよ。佑香」
「おはようお母さん……」
「朝ご飯できているよ。早く食べな」
「はぁい」
ふんふんと鼻歌を歌って上機嫌なお母さんの後ろで、ボクは、はぁと溜息をついた。
「……眠い」
いつも通りの朝。
いつも通りの食卓。
「お母さん……今日の朝ご飯の目玉焼きがないよ」
「う……ちょ、ちょっちタイミング間違えたんだよ」
「もう。目玉焼きはボクが当番の時だけのメニューだね。っていうか、何でお母さんは目玉焼きだけは作れないんだろうね? その他の料理は絶品なのに」
「目玉焼きだけは何故だか黒色に変化してしまう能力なのよ」
「それただ焦がしちゃっただけじゃない」
そんな感じで楽しい食卓。
母娘二人の食卓。
ボクにはお父さんがいない。
まだボクが幼い頃に、死んでしまった。
だけど、寂しくない。
お母さんがいるから。
お母さんは女手一つでボクをここまで育ててくれた。
お母さんは、ほとんど家にいない。
だけど、いる時はこうして構ってくれる。
だから、寂しくない。
だから、感謝している。
そして、ありがとうという気持ちを心に持ちながら。
今日も朝のツッコミに励んだ。
「じゃあ、行ってきます」
「あぁ。気ぃつけてな」
「お母さんもね」
玄関でお母さんが手を振る。ボクも手を振る。お母さんは重役だから、文字通り重役出勤でいいのだ。ただし、会議やら何やらがない今日だけの話だけれども。
いつも忙しいから、今日ぐらいは出勤までゆっくりしてほしいものだと思いつつ、ボクは学校へと歩を進めた。
と。
「……何やってるの?」
家の敷地から出た瞬間、ボクは眼を丸くした。驚きすぎて反応が取れなかった。
そこには遠山君がいた。
「むふぁふぇにふぃふぁんふぁよ」
ミルクパンを頬張りつつ、チョコパイにも手を伸ばしていた遠山君は、そう答えた。
「……日本語を喋って」
「ふぁふぁった」
遠山君はパンを無理矢理飲み干し、胸をどんどんと叩いてから、にこりと笑顔を見せてきた。
「迎えに来たんだよ」
「はい?」
「足、怪我したまままだろ? だから迎えに来た」
迎えに来てくれた。
そのこと自体は嬉しかったが、しかし、ボクの足は既に歩く程度では痛みが出ない程に治っていた。だからやんわりと断る。
「もう歩けるから大丈夫だよ。ありが――」
「さぁ、乗って」
「乗って? ……!?」
ボクは眼を疑った。
遠山君は身体を翻し背中をボクに向け、そして飛び立つ前の鳥のように、しゃがんで両手を後ろに広げた。
要するに、おんぶだ。
「乗って」とは、つまりは「遠山君の背中に乗れ」ということらしい。
ご近所さんの眼がたくさんあるこの場で、乗れと? いや、それ以前におんぶされろと?
「昨日、考えたんだ。この方法が一番足を痛めず、かつボクの負担も軽減できる方法だと。さあ、どうぞ」
「……あのさ、遠山君」
「なに?」
「ボク達、高校生だよね?」
「ああ。それは間違いないよ」
「だったら分かるよね? 常識的に」
「おんぶが駄目ってことだよね」
「分かった上で提案してきていたの!?」
衝撃の発言だった。
少し真面目すぎて天然な所があるかと思ったら、きちんと考えていたようだ。
考えた上で、提示してきていた。
その意図が読めなかった。
だから立ち往生していると、
「あらあら、何か騒がしいと思ったら」
お母さんが顔を出してきた。
途端に遠山君の表情が固まる。
無理もない。
先の言動どころか、目的は不純ではないとはいえ女の子の家に朝から張り込んでいたとなると、非難される行為しかない。
「あ、いや、では僕は……いやいや、そうじゃ駄目だよな」
そこで遠山君は何故か覚悟を決めたかのような真剣な表情で、お母さんに頭を下げた。
「初めまして。鈴原さんのクラスメイトの遠山英時と申します」
「あらあら。ご丁寧にどうも。クラスメイトの方がどうしてウチに?」
「それは……申し訳ありません」
突然、遠山君は頭を下げた。
「昨日、僕の所為で鈴原さんを傷つけてしまいました。だから彼女をこれから支えて行こうとお邪魔させていただきました」
「いやいやいや! 遠山君、何を言っているの!?」
「え? 何をって、事実を述べただけだけど?」
確かに事実だ。
だけど意味が別に捉えられる。
特にこの母親には。
「あらあらまあまあ。あの子もそんな年齢に……」
「お母さんも勘違いしない!」
「遠山英時君、と言ったかしら? 何で佑香を名前で呼んでいないのかしら?」
「え? それはその、普通のことでは……?」
「私だって鈴原さんなのよ」
「あ、そうですね。ごめんなさい」
「反省しているならば佑香のことはきちんと佑香とお呼びなさい。君のことは英時と呼ばせるから」
「は、はい。分かりました」
「何を言っているの!?」
「え? 何かおかしいかい、佑香?」
「順応速すぎないですか?」
「さあ、佑香も呼ぶのよ。英時、って」
「ああ、もう、お母さんうるさい。――行くわよ、遠山君」
「え? 英時って呼ばないの?」
「え? ……呼んでほしいの?」
「どっちでもいいよ。呼びやすい方で」
「じゃあ後で決めるわ。とにかくもう学校行こう。遅刻しちゃうよ」
「え? 歩けるの?」
「だからさっき言ったじゃない。もう……じゃあ行くよ」
ボクは咄嗟に彼の手を取って、その場から離脱した。
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