第4話 ボクと出会いと学校と友達 -02
二
それからボクは医務室に強制連行された。足の怪我はそんなに悪くはないとは思っていたが、どうやら今日中には自由には動かせないらしい程らしい。悪いのか悪くないのか判らない。
治療が終わり、付き添おうとする駅員の厚意を断り、彼がいるであろう駅員室へと向かった。するとちょうど、彼が出て行く所だった。
しかし……あまりに早すぎる。
突き落とされたとなると、警察を呼ぶなどで相当な時間が掛かるだろう。つまり、事件性がないと判断された訳だ。
何故なのか?
その理由についてはすぐに思い当たった。
恐らく、彼が言わなかったのであろう。
落とされたのだ、と。
それは、きっと何かの考えがあるに違いない。
……ならば、ボクがあれこれ言うことではない、か。
そう流すことにした。
そして彼は足を痛めたボクの家まで送ってくれることとなった。
嬉しかった。
だけど、同時に困った。
今までそこまで親しくなかった――というよりも話したこともそこまで無かった男性と一緒に歩くのだ。
話題が無かった。
だから私は思わず、先に流そうと決めたことなのに、訊ねてしまった。
「……ところでさ。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいことって?」
「うん……あのね。どうして、落とされたことを言わなかったの?」
彼は硬直した。
しまった。あれこれ言わないとつい先程思っていたのに。どうしよう。場を先に進めるどころか後戻りさせてしまった。
自分の愚直さを呪った。
挙句の果てに、彼に疑いの眼差しを向けられてしまった。それは弁解して理解して貰ったが、しかし――心が痛んだ。少しでも疑われたことに対して。だが、普通は疑うだろう。自業自得だ。
そして、当然疑問に思うだろう。
どうして落とされたことが判ったのか。
これ以上疑われるのは嫌だったので、先に答えた。
見てた、と。
そうしたら彼は、当然の疑問を口にしてきた。
「ということは……僕を突き落した人を見た?」
「ごめん。見ていないんだ」
正直に告げた。
見えたのは腕だけ。
厳密に言えば男性特有のがっしりとした腕と、その腕に巻いてあった時計だけであった。
だが、もしその人物が誰だか分かったら……
「……ねえ? もし……もし犯人が判ったら、その……どうするの?」
「……どうするって?」
「いや、あの、その……仕返しとか」
「何もしないよ」
「えっ……」
思わず疑問の声を上げてしまった。
復讐したい、という言葉が訊きたかったわけではないのに。
それでも、その返答は意外だったから。
「何で?」
「何で、って……何で?」
「だって突き落とされたんだよ? 命の危機にあったんだよ? なのに……って殴るとか同じ目に合わせるとかそういうことしろっていう訳じゃないけど……でも矛盾してるけどさぁ……っあぁ! もうっ!」
「……混乱してるなぁ。復讐する訳がないじゃないか」
彼は、くすり、と笑った。
「だって僕は恨んでいないもの」
「へ……?」
予想外に予想外を重ねた言葉が重ねられた。
呆気に取られるボクに、彼は更に予想外を重ねる言葉が続けられた。
「だって僕は死にたいんだよ? むしろ犯人には感謝している」
そう彼が言い放った瞬間、ボクの頭の中は怒りで真っ白になった。
命を、こんなに粗末にして……死ぬことがどんなに怖いか判っていない!
やっぱり遠山君は、死にたくなくても死ぬ人がいることを判っていない!
命を……判っていない!
「何でそんな簡単に死ぬなんて言うの? 死ぬってことが本当に判ってるの? 何でそんなに死にたいの?」
ボクは思わず彼の胸倉を掴んでしまった。
言葉が、頭の中でずらずらと湧き出す。
彼を攻める言葉、彼に怒る言葉。
自分に対する悲しみの言葉。
ボクは思いを吐き出した。
何を言っているか判らない。
頭より先に口が動く。
想いが流れていく。
抑えきれなかった。
抑えちゃいけないものだと思った。
怒りで彼の言葉なんか聞こえない。
だけど。
「……まだ死ねないな」
と。
彼が呟いたその声で、ボクは正気に戻った。
正直、まだ怒りが収まらなかった。
だけど、考え直した彼に怒る理由はない。
途端に、先に傷ついた足が痛み始めた。怒った際にすっかりと忘れて動き回ったせいだろう。
そこから彼に手を差し伸べられたと思ったら、肩を貸された。
彼がとても近かった。
男性特有のがっしりとした固さ。
心臓が止まるかと思った。
それもあって気が付かなかった。
いつの間にか自分の家の前まで来ていたことを。
そうして玄関先まで連れてきてくれて、彼はそのまま帰ろうとした。
だけどボクは思わず、彼の服を掴んでしまった。
言ってなかったのだ。
「今日はありがとう」
ここまで連れてきてくれて。
そして、一緒に来てくれて。
細かいことは置いておいて、ボクに対して助けてくれたのは事実なのだ。
「それじゃあ、また明日」
「うん。じゃあまた明日」
彼に対して手を振った。
彼も応えてくれた。
そして彼の姿が見えなくなった途端。
「……っ」
途端に恥ずかしくなった。
今までずっと見ていた彼。
遠くから見ていた彼。
そんな彼と、こんな形でお話しできた。
それを、楽しんでいた自分がいた。
にやけた顔が見られなかっただろうか?
変に思われなかっただろうか?
考えれば考える程に羞恥が増えていく。
だからボクは家の中へ高速で入ると、自分の部屋のベッドに飛び込んだ。
足なんてどうでも良かった。実際、歩けない程ではなかった。
今痛いのは、ただ一つ。
この心臓だけだった。
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