第二章 ボクと出会いと学校と友達

第3話 ボクと出会いと学校と友達 -01

    一



 この日のボクは、ついていた。

 そう、あれはちょうど帰り道。

 駅に驚くほど並んでいる列の一番前で、電車を今か今かと待っていた時。

 線路の端の方の列の一番前。

 そこにいる彼を見つけた。

 彼の名は、遠山英時君。

 ボクの隣の席の男の子だ。

 彼は――『凄い』。

 それが彼を説明するのに一番相応しい言葉だ。具体的に言うと、勉強も運動も、その他のことも、ボクが知る限り何でも出来た。顔も性格も特Aクラス。人付き合いも悪くない。だから彼には、人気も人望もあった。

 しかしボクには、彼が今の日常に満足していないように見えた。もちろん、そんなことはおくびにも出していなかったが、何となく、そう見えた。彼は、一度会ったら友達になれそうだが、毎日会っても兄弟にはなれそうにもない気がする――って、それは当たり前か。

 とにかくボクが言いたいのは、彼は相手に対して気付かれない、見えない壁を作っている気がする、ということ。

 まぁ、それでも十分魅力といえば――


 ……何でこんなことを考えているんだ?

 自分の顔が赤くなるのが分かったので、ボクは思わず下を向いた。

 その時不意に、その様子を彼に見られたかどうかが異様に気になった。でも、まさかそんなことは億が一にもないとは思うけど……見てるわけない……見てるわけない……見てるわけない。

 ……あまりにも気になって、思わず彼の方を見てみた。


 その時。

 ボクは信じられない光景を目の当たりにした。


 


 それ以外の表現しようがなかった。

 彼が、ホームから線路に転落したのだ。

 いや……ちょっと待って?


 何で彼の後ろに、誰かの手があるんだ?


 右腕。

 夕日に反射して、その腕に着けられていた腕時計が鈍く光りを放つ。

 瞬時にボクは理解した。

 彼は落とされたのだ。


 その瞬間。

 ボクは無意識に。

 反射的に。

 自分の身体のことなど考えずに――

 線路へと飛び降りていた。


「痛ーっ!」


 右足から落ちてしまった。

 あはは……漫画みたいに格好よく、さっとずばっと助けることは出来ないんだなぁ。そんなボクが助けようとしている彼は、信じられないといった表情。まぁ、当然だろう。彼はボクがそんな活発な人だとは思っていないはずだし。そもそもボクのことを認識しているかも不明だし。

 しかしそんなことはどうでもいい。

 彼を助けなければ。


「えっと……大丈夫?」


 とりあえず聞いてみた。返事はない。でも屍ではないようだ。

 その時。


「あ……」


 右前方に電車の姿が見えた。


「やばっ!」


 ボクは急いで、彼を助けに行こうと立ち上がろうとした。だが、右足に痛みが走り、ボクは思わずしゃがんでしまった。どうやら捻ったらしい。とても動けそうになかった。

 しかし、線路に落ちた直後の様子を見ると、彼はどこかを打ちつけたのか、おそらく自分一人の力では動けないようである。

 だからボクが、彼を助けなければ。そうでなきゃ、降りた意味がない。

 そう本能では理解していたが、肉体が反応してくれない。満足に動くのは手と口だけだった。

 やがて線路が振動し始める。右を見ると、電車という名の鉄の塊が、ボク達に向かって来る。逃げなくては、確実に轢かれる。

 だけどボクは、逃げずに彼に手を懸命に伸ばした。それによってどうにかなる訳がないのは分かっていたが、彼を助けようと努力するのは止められなかった。

 電車は迫って来ている。線路の振動が大きくなる。

 ――ぶつかる!

 そう思った瞬間に、目の前が真っ暗になった。

 あぁ、ボク、眼を瞑ったのか。こういう状況になると眼を瞑るのって、漫画の中だけの話じゃないんだな。

 そんな呑気なことを考えている内に、身体が宙に浮かぶ感覚がした。

 ボクは轢かれたのだろう。だからこんなにも人がざわめいて……って、ちょっと待って。


 ここで一つの疑問。

 どうして耳が聞こえるんだ?


 恐る恐る眼を開けて見た瞬間、ぎょっとした。

 ボクの目の前に――


 ……落ち着け。状況を読め、鈴原佑香。

 状況。

 ボクは彼の腕の中にいる。

 この体制は、所謂お姫様抱っこ、というやつだ。漫画で見たことある。

 ……お姫様抱っこ?


「あ、あの……」


 思わず声を掛ける。

 彼は初めてボクに気がついたかのように、びっくりした顔でこっちを見た。


「あ、あの……」


 かろうじてもう一度声を掛ける。


「ん? ああ、何?」


 彼は平然とした様子で私の顔を覗き込む。

 しかしボクは、お姫様抱っこがとても恥ずかしかった。

 だからもう限界が来ていた。

 堪忍袋の緒が――というか猫かぶりの覆面が剥がれた。


「降ろせ」


 あの、と言った瞬間に少しながら動きを見せた彼は、再びその活動を静止させた。

 だがすぐに彼は動き出し、ボクを降ろしてくれた。


「ん……ありがとう……」

 とりあえずこういう時には「ありがとう」と言うのがヒロインの定石だ。いやでもボクがそう言われる立場になるはずだったのに。それが助けてもらって逆に言う立場に……って、え?


「動けたの!?」


 彼はボクを助けた。

 つまり、ボクの助けはいらなかった。

 なのに、動けない様子を見せた。

 まるでそのまま死ぬつもりみたいに。


「何やってんの!? あのままだったら轢かれてたよ!?」

「そうだね」

「そうだねって……死んじゃうところだったんだよ!」

「そうだね」

「そうだねって死にたいの!?」

「そうだよ」

「そうだねって……えっ……」


 ボクは絶句した。

 彼があまりにもあっさり言ったから。

 そんなあっさりと肯定してほしくなかった。

 命をそんなに軽く見てほしくなかった。

 世の中には、生きたくても生きることが出来ない人もいるっていうのに――

 だから、ボクは彼にこう言ってしまった。


「……だったらさ。

 


 本心を言ってしまった。

 真剣に言ってしまった。

 彼は、あまりにも突拍子もないボクの言葉に混乱しているようだ。しかし冗談だと思ったのだろう。すぐに冗談で返してきた。それをボクは、さらに冗談で返した。

 この時、思った。



 冗談だと思ってくれて良かった、と。

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