(5)迷路園にて

 外に出ると、心地よい風がユリアナの前髪をなぶった。

 外階段に繋がる主塔キープの玄関を出たところで、周囲の招待客がざわめきとともに一点を見つめていることに気付く。ユリアナも思わずその視線を追い──主塔の屋根を見上げれば、夜闇に眩い蛍光が浮かび上がっていた。城の形をした蛍光オレンジの線だ。

 古城の輪郭をふち取るように張り巡らされたガラス管がその正体であるらしい──赤や青、ピンクや金色など、色とりどりのネオンの明かりが、城だけでなく、様々な建物の壁や扉、庭園の煉瓦塀や四阿あずまやの屋根、外階段といったあちこちにまで及んでいる。そして昼間の古城がまとう、どこかいかめしい雰囲気を遊園地さながらに一変させているのだった。

「――変わった試みですね」

 蛍光でライトアップされた前庭を見渡して、クラエスが呟いた。

遺失技術ロストテクノロジーのひとつね。ガラス管の内側に塗る蛍光体の種類で色が変わるのよ。私もよく知らないけど、この前そんな話を読んだわ。――会場はあっちみたいね」

 あちこちに置かれた矢印の形をしたネオンサインが、どうやらオークション会場への道標となっているようだった。それを頼りに進んでいけば、ほどなくして夜会服姿の男女が集う場所へとたどり着いた。

 しかしその場所は――

「……迷路?」

 脳内の地図と到着した場所を照合すると、ユリアナとクラエスは目を見合わせた。

 記憶違いでなければ、古城の敷地に設置された《迷路園》だ。

 興味深くはあるが、真夜中にまで大勢の人間が押し寄せるほど魅力的な施設とは思えない──そう考えて周囲の動向を窺えば、どうやら一定の間隔を置き、連れ合いごとに迷路園に足を踏み入れているようだった。列を成しているのもその所為らしい。

「推測するに、ここがオークション会場の入り口のようですが……。会場は当日案内するとはありましたが、まさかこんな場所だとは」

「何はともあれ、列に並んでみるしかないわね」

 そう結論づけ、ユリアナとクラエスは列の最後尾に並んだ。

 暫く待つと、順番が回ってくる。ふたりが先頭に立つと、駅舎の出迎え同様――例の黒い仮面を身につけた、白いドレス姿の女性が入り口の付近に立っているのが見えた。

「カードの提示をお願いいたします」

 ユリアナはハンドバックから招待状と交換した白いカードを差し出した。めつすがめつ、入念に確認されたあと、「これは決して無くさないようにしてください」と注意される。

「オークションの参加者の方には、こちらの迷路園に入っていただきます。会場は迷路の出口の先にございます。──進んでいくうちに、どこにも出口が無いように思われることがあるかもしれません。しかし、確実に辿りつくであろう行き止まりのいくつかには、電子錠が用意されています。その際、こちらのカードを差し込んでいただきますと、新たな道が出現する可能性がございます。ですから、どうか諦めずに進んでみてください」

「……あくまで可能性なのね」

「反応しない場合もございますから――ですが、必ず出口は用意されていますのでご安心ください。

 それでは、先にお進みください。主催一同、オークション会場でお会いできることを楽しみにしております」

 

 ◇ ◇ ◇


 迷路園に足を踏み入れると、それまでの喧騒が一変し、夜の静寂しじまが周囲を包み込んだ。やわらかな土を敷いた道は靴音を吸い込み、ユリアナの特徴的な足音さえほとんど響かせなかった。

 いっそ猥雑なほど明るい蛍光に彩られていた庭園や古城とは異なり、迷路園には足もとを照らす最低限の明かりがあるばかりだ。ユリアナの背の倍近くはある金雀枝エニシダや夏咲きの薔薇の株を用いた生垣が、複雑に分岐し、あるいは曲がりくねりながら遥か先にまで続いている。

「……クラエス、こういうの得意だったりしないの? 元軍人でしょう?」

 腕組みをして歩き、ユリアナは首をひねると隣を歩く青年に問いかけた。

「いったい私に何を期待しているんですか。確かに任務では――それこそクテシフォンの複雑怪奇な路地地獄のような――迷路のような地形を攻略することもありますがね。でも、今回はただのお遊びでしょう。場合によっては新たな道も出現するらしいですし、地道に進んでいくしかなさそうですよ」

「そうなのね。それなら、せめて通った道かどうかはわかるようにしないと。こんなに暗いと覚えようもないし、もし分岐が来たら‥…」

 いきなり左右に開けた道に出て、ユリアナは「左にするわ」と間を置かず宣言する。そして羽織っていたショールをおろすと、おもむろに隣のクラエスに手渡したのだった。

「……何ですか?」

「ちぎってほしいの」

「はい?」 

 クラエスが目をみはる。しかしユリアナが本気だとわかると、「……本当にいいんですね?」と何度も念押しをした末、繊細に編んだレースの生地を引きちぎった。

 ユリアナは顔色ひとつ変えず、破れかぶれのショールを受け取ると、絡んだ糸をするする解き始めた。手頃な長さにすると、曲がり角にある金雀枝エニシダの枝のひとつに結びつける。

「目印よ。枝を折ろうと思ったけど、ずいぶん綺麗に整えているし、器物損壊で訴えられたら困るもの」

 あっけらかんと言い放つユリアナに、クラエスは溜息をついた。

「貴方のなかでは筋が通ってるんでしょうけど、私には理解不能な行動ですよ……。普通に攻略するのでは駄目なんですか?」

「最短経路でたどり着くために、手段は選ばないわ。ルスラン・カドィロフの遺作を手に入れるためだもの。やり過ぎてちょうどいいくらいだわ」

 真顔で返し、ユリアナは「行くわよ」とクラエスを促した。

 肩を竦めつつ、クラエスは少女のあとに着いていく。

 見取り図で確認したかぎり、迷路園はかなり巨大であることが推測された――古城本体に匹敵する敷地面積だった――この場所を《入り口》に指定したことには、何らかの意図があるのかもしれない。

 分岐ポイントに辿り着くたび、ほどいた糸で目印をつけて先に進む。何度も行き当たりにたどり着いたが、どれも電子錠は設置されていない。そのたびに諦めて道を引き返しては、まだ試していない方の分岐を選び、戻っては進んでを繰り返し――ようやく迷路園の半分ほどを網羅した頃、初めて電子錠のある場所へと出た。

 他の行き当たりのような生け垣ではなく、煉瓦を積み上げた塀が行く手を阻んでいた。その表面に埋め込まれた無機質な電子錠――細いくぼみにおそるおそるカードを滑らせると、間を置かず、その壁が地面に

「なるほど。こういうことなのね」

 壁のむこうには生け垣に挟まれた新たな道が広がっていた。

 ふたりが塀のあった場所を越えると、音が響いて、再度行き当たりの壁が出現した。振り返っても、その場所に電子錠はない。一方通行のようだ。「これで間違ってたら最悪だわ」と嘆息をこぼしつつ、ユリアナは前に進んだ。


 時折、別の参加者と行き会うこともあったが、迷路園が広大なこともあり、大抵の場合は周辺に他人の気配を感じることはなかった。黙々と自然の通路を進み、懸命に目印をつけるユリアナを前に、ふとクラエスが声を漏らした。

「どうして……」

 ユリアナが振り返れば、すこし離れた場所に立つクラエスが目を細めた。

「どうして、ルスラン・カドィロフの遺作が欲しいんですか?」

 ――かねてから疑問だったとばかりに、クラエスは問いかけた。

「なあに、いまさら」

 ユリアナは微笑み、「欲しいからよ」とあまり要領を得ない返事をした。

 地面に埋めこまれた光源が放つ明かりに、クラエスの白金色の髪プラチナブロンドが淡く輝く。後背から駆け抜けた夜風が、夏薔薇の生垣を揺らし、そのほころびかけたピンク色の蕾を揺らした。

 ほのかに甘い匂いが漂った。

 怪訝な顔をしているクラエスを前に、ユリアナは肩を竦めた。歩みは止めず、通路を進んでいく。

「あのね、クラエス。私って、こう見えてもいろいろ後悔していることがあって……」

 肩上で切り揃えた髪が、風にふわりと揺れた。

 ユリアナは青い目をすがめると、一息を置いて、言葉を続けた。

「バラドもそのひとつなの。……これは憶測なんだけど、私はあの人がほんとうに欲しいものをあげられなくて……そのことをよく理解できないまま、私の信じているものを一方的に押し付けてしまったんじゃないかって、そう思っているの」

 ユリアナは夜空を見上げながら、淡々と囁いた。

「だから、バラドのことをもっとよく理解したいの。そのためには、あの人が理想とするルスランが手がかりになるんじゃないかって。変かしら? ……でも、私にとって、バラドは癒着してしまった火傷の同士のような……」

 言葉は途中で途切れた。ごく近距離で響いた銃声音に、注意を奪われたからだ。

 背後を振り返ったクラエスの背広が揺れる。何かを見つけたらしい彼が走り出し――次の瞬間、ユリアナはから衝撃を受けた。

 生垣から伸びた両腕が、ユリアナの肩を掴み、その口を塞いだのだ。

 間を置かず、生垣に空いた穴のなかへと強引に引きずり込まれた。暴れようとすればするほど、小枝や薔薇のトゲによって皮膚や衣服の裾がすり切れていく。髪の毛が枝に引っかかっては千切れた。そして、ついには向こう側の通路まで引っ張り出されてしまった。

「―――ッ、…………!」

 地面に押し倒され、何者かの体が重く覆い被さってきた。

「……っ」

 夜闇に浮かぶ巨大な影。首筋にかかる人の吐息。両腕の手首をまとめて拘束されると、身動きもろくにできなくなり――

 ユリアナは、その男に唇を奪われたのだった。

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