(9)温もりを感じながら

 改めて服を着替えると、私は場所を移そうとクラエスに提案した。

 ファランドール家が管理するこの施設は、遺構第二〇二への連絡通路を伴った、地中深くに建造されたものだという。大まかに研究用のラボと居住スペースに分かれるがどちらも大規模なものでなく、三十分もあれば全容を把握できる。おそらく遺構第二〇二での研究活動が主体であり、この施設はあくまで補助的な存在だったのだろう――と、クラエスは移動の道すがらに説明をしてくれた。

「――もとから、貴方のお父上から打診を受けていました。ファランドール家側の間諜として働くつもりはないかと。エレノアは薄々そのことに勘付いていたから、私を切ることを考えた」

「……グラナダ戦線に行けって話ね」

 そう、とクラエスはうなずく。「でも、彼女はできなかった」と呟き、非常灯が照らす暗い通路を見すえた。

「きっと、心のどこかで、私は裏切れないとあなどっていたんだ。私は12歳のときに生まれ故郷クイーンズランドを出た――エレノアに手を引かれ、軍人となるために。それ以来、私は彼女を見て育ったんです。

 母親でも、父親でもなく、エレノアの背を追いかけてね」

「実際、あなたは決めかねていたと言ったわ。……エレノアが肉親だから?」

「いいえ……どうでしょうね。ユリアナ、血を分けた人間というのはね、それだけで無条件に家族になれるわけじゃない。お互いを尊重して、努力することで、その関係性を維持できる――何にも言えることだけれども。そういう意味で、私たちの間には昔から断絶があった。彼女は私をもうひとりの自分のように思っていたんだ。あるいは私の父さえも」

 ――《剣》である、とエレノアは言った。

 その言葉が意味する深いところまで、私に推しはかることはできないが――エレノアは、クラエスに《剣》であることを強要していたのかもしれない。何よりも、あまりにも頑強なその背を見せつづけることで。

「いつかはわかたれる運命だったんですよ。私たちが別個の存在である以上ね。……彼女のことは嫌いじゃない。でも、不憫だとは思う。誰も彼女の孤独を融かせないから。――でも、私はファランドール家当主の申し出を受け入れたのとそのことは別の話ですから。決断したのはキナアが離反したときです。私ひとりでは、さすがに貴方のお守りは大変だし、やれることも限られていた。何よりも、貴方の『味方』になるのはそれが一番近道だと思った」

 地下施設のことも当主から、とクラエスはつけ加える。

 私は彼の横顔をじっとみつめて――うまい言葉が出てこず、そうなの、とだけ頷いた。


 その部屋に足を踏み入れると、頭上でチカチカと電灯が点滅した。

 さほど大きな部屋ではない。

 最初に目に入るのは部屋の三分の一は占めようかという巨大な作業机だ。書類や本が山積し、錆びた工具や実験器具が広がり――そのスペースでは収まり切らずに、部屋中が雑多と散らかっている。厚く積もった埃さえなければ、つい先ほどまでその部屋の主が居たと言われても不思議ではない、そんな雰囲気があった。

 私はその部屋をぐるりと見回し、そして目を細めた。

「ここは?」

「ウルヤナ・ファランドールの部屋……書斎と言うべきかしら。だんだん、思いだしてきたわ――私もここに来たことがあるの」

 椅子にかけられた白衣を手に取り、埃を払った。すこし黄ばんでいたが、かまわず袖に腕を通してみる。

 背の高いひとだったから、私にはすこし大きかった。

「……確か、当主の息子でしたね。若いうちに亡くなったと聞きましたが」

 今度はその椅子に腰かけ、私は目の前に迫った作業机からひとつの紙束を取った。――『生体移植における免疫抑制』と銘打たれた論文だ。著述者として、ひとりの男の名が記されている。別の紙束には、『角膜移植におけるアポトーシスプログラムされた細胞死の役割』――『戦傷者の生体認証に関する考察』――どの論文を見ても、そこには同じ人物の名前がある。狙って取り寄せたようだ。

 刻まれた名前は、ジンウ・ファランドール。あるいは陳鎮雨とも。

「――ここで謎解きをしようと思って来たの」

 その言葉に、部屋の隅で長椅子を『発掘』したクラエスが顔を上げる。「謎解き?」と、訝しそうに言って首を傾げる。

「ああ、あなたには何も期待していないから安心して」

「そういう意味ではないんですが……」

 むっとした顔をしたクラエスに、私はいたずらっぽく笑いかけた。

 椅子の背もたれに上半身を預け、白衣の袖に鼻先を寄せた。けれども一〇年間のうちに匂いが飛んだのだろう、埃やカビの匂いしか残っていない。

「……まず、情報を整理するわ」

 気を取り直して顔を上げると、行儀よく椅子に腰かけたクラエスへと視線を移した。

「遺構第二〇二は、人工衛星――それも攻撃目的の宇宙兵器を制御する目的で存在する。その核となるのが、人工知能――《オレーシャ》。推測するに、攻撃衛星を動かすためのプログラムに近い存在ね。

 それを起動するために必要なのが、この義足――その所持者」

 トラウゴットやエレノアから断片的に聞いた話を頭の中で繋ぎ合わせながら、推論を組み立てる。全容を把握する必要はない。――私に必要なのは、を知ることだけだからだ。

「そして義足は本来、ふたつでひとつの存在なの。それが《白鳥》と《黒鳥》よ。《リエービチ》は愛称ね――商業モデル版と区別するための。

 《リエービチ》は人工知能オレーシャを起動させるためのものだと聞いたわ。そしてもうひとつ、《黒鳥》……用途はわからないけれど、おそらく、この義足よりずっと危険な使用価値を秘めているわ」

 そしておそらくこの一〇年間、《黒鳥》は破壊されたと思われていた。

 そのために、義足を再現するための設計図がアラクセス独立派と軍部の間で争われていたのだ。

 ――しかし、本来の持ち主であるファランドール家はそれを再現していなかった。

 義足がふたつでひとつであるように、《白鳥》が機能している限りは、対の《黒鳥》も機能しているはずだからだ。本来このふたつは同じ所持者しか許されず、それぞれを別の人物が身につけることはあり得ない。

 そこまでを一息に喋り、私は言葉を切った。

 気を落ちつけるように、ゆっくりを息を吸う。

「第一に、私たちには大きな誤認があった。この義足の本来の持ち主は、わたしユリアナじゃない――義足、そしてあの遺構の管理者は、ウルヤナ・ファランドールなのよ」

 私の言葉に、クラエスは目をすがめた。

「……どういうことですか?」

「私には名前があるの。生まれたときの属領人としての名前、帝国人のユリアナ、――そしてファランドール家の後継であるウルヤナ。

 ……私がウルヤナなの」

 クラエスの眉間に皺が寄る。私は作業机の上に両肘をつくと、彼が抱いているであろう疑問には触れずに、言葉を続けた。

「すくなくとも、義足は私を所持者ウルヤナと認識しているの。彼は一〇年前、なんらかの理由でふたつの義足を破壊しようとして、失敗した。その代わりに、義足を分散させることにした。そのために遺構に連れてこられたのが私よ」

 〝――本当は君を認証者にして、永遠に葬り去るつもりだった。〟

 一〇年前、ウルヤナは私に対してそう言った。

 ふたつの義足を装着させる目的で、当初の彼は私を拾ったのだ。けれどもその考えが変わり――何らかの理由で、義足を破壊することさえできなくなった。

「ウルヤナは、今なお遺構にいる。彼は遺構――中央制御室の地下深くにあるシェルターに閉じこもった。《黒鳥》を身に付けたままね。そしてそのまま息絶えたの……災害で吸気口が塞がれて……痛みと酸欠に悶えながら。それでもまだ、彼はこの義足があるために、生きている存在として扱われている」

 たぶん、それは悲しいことなのだろう、と私は思う。魂や宗教といった概念はこの国では希薄だが、それでも冷たい骸を地下に置き去りにしておくのはよくないことのような気がする。何よりも、私がそうしておきたくはなかった。

 作業机に放置された電子端末タブレットを引き寄せ、私は懐から出したマイクロチップを入れた。

 間もなく画面上に浮かび上がったのは――想像していた『図面』――義足の設計図ではなかった。

 一見すると意味をなさない、暗号めいたコードだ。それも膨大な量の。

 しばらく考えて、それからひとつの推測が頭の中に浮かぶ。それはこれまで五里霧中であった私に示された、ひとつの『道』だった。

 電子端末タブレットから顔を上げる。そして、膝に置いた拳を強く握り込んだ。心を奮い立たせ、ゆっくりと言葉を声にする。

「……あのね、クラエス。私、ウルヤナにできなかったことをするわ。義足を破壊して、遺構を完全に停止させる」

 そのコードを視界の隅に置き、クラエスにむかって宣言する。彼はやはりすこし信じられないという顔をした。

「――協力してくれる?」

「勝算は?」

「自信満々に頷けたらいいけど、正直あんまり無いわ。でも私以外にやれる人間はいないわ。私、あらためて覚悟する。……パンドラのはこを開けることを」


 ◆


 その後はふたりで作戦を立て、翌朝、連絡通路を使って遺構に移動することになった。

 深夜になってもウルヤナの部屋から動こうとしない私を見かねて、クラエスは別の部屋から毛布を持ってきてくれた。

「いい加減、すこし休んだらどうですか。……ずいぶん、ここも冷えてきた。体がもちませんよ」

「ここから動きたくないのよ」

 そう言って、私は作業机に転がっていた小さなつちを手に取った。机の上に置いたマイクロチップを二度三度と叩き、粉々になるまで潰してしまう。

「何してるんですか」

「証拠隠滅よ。中身は頭に入れたから」

 反響音に肩を揺らしたクラエスに、私はすげなく返した。

「ここにいると、いろんなことを――些細なことばかりだけど――思いだすのよ。一〇年前のことをね。思うんだけど、私、きっと初恋がウルヤナだったんだわ」

「……そうですか」

「もちろん、そのときはよく分からなかったわ。雛鳥みたいに、あのひとの後を追って、片時たりとも離れようとしなかっただけ」

 それで鬱陶しがられて、よく追い出されたものだ。――彼は特段優しい人間でなければ、鎮雨のほうがよく私の面倒を見たものだけれど。

 何故か、彼のことが一番好きだった。好きでたまらなかったのだ。

 なぜか渋い顔をしたクラエスに、私は「ここで寝るわ」と宣言する。

「あなたはどこかの部屋のベッドでも使って」

 すると、突然腕を掴まれた。その拍子に膝に置いた毛布が床に落ちた。クラエスはそれを拾い上げて、ぐいぐいと私を部屋の隅まで引っ張った。

 長椅子の前まできてようやく解放される。肩を押され、私はぽすんとその上に腰を下ろした。

「だったら、貴方はそこで寝てください。私は床で寝ますから」

「別にいいわよ」

「いつ侵入者が現れるか分からない。離れるのは得策じゃないでしょう」

 どこか不服そうなクラエスに、何が彼の機嫌を損ねたのかを考え――まあ何でもいいか、と思考を放棄する。心配されたとおり、疲労が勝っていたのだ。

 おとなしく長椅子に身を横たえ、毛布をかぶる。しかしどうにも寝付けず、物の散乱する床を片付けるクラエスの後頭部を眺めた。

「ねえ」

「うるさいですね。寝てくれませんか?」

「こっちに来て」

 有無を言わさぬ口調に、クラエスは渋々といった顔で振り向き――ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 私は上体を起こすと、彼を前に右足を投げ出した。

「これ、外してくれる?」

「……自分で外せるでしょう」

「お願いよ、クラエス。ここの金具を外すの」

 クラエスの右手を掴み、義足の装着部分に誘導する。クラエスは溜息をついて、「何で私が……」と文句をこぼしながらも、私の前に跪いた。

 そして言われたとおり、義足を外そうとする。

「けっこうコツがいるのよ」

「そうですね…………。……ほら、取れましたよ」

 しばらく試行錯誤が続いたのち、右足がふっと軽くなった。私は礼を言って、外した義足を椅子に立てかけた。

「……代わりの義足がないと不便ですね」

「あら、これで十分よ。それよりクラエス、ここ、さすってくれない? ずいぶん冷えてきたから、痛くて眠れないの」

 古傷を撫でて、私はさらなる要求を重ねた。「今度こそ深い意味はないわ」そうつけ加えると、クラエスはやれやれとばかりに肩を竦めた。

「……横になって」

 言われたとおり、長椅子の上でからだを横倒しにする。クラエスは私の肩までずり上げた毛布をめくり、右足の表面に触れた。

 そしてゆっくり、隆起した皮膚を撫でてくれる。金属と密着していた部分は、室温が下がるにつれて冷たくなり、ズキズキと痛むほどになっていた。

「……バラドにもこうしてもらっていたんですか?」

「いいえ? あなたが初めてよ。傷が痛むときは鎮痛剤を使っていたし――それに、首都は暑いでしょう。寒いとこんなに痛むだなんて知らなかったわ」

 ふうん、とクラエスが満更でもない顔でうなずく。手袋を外した彼の指先は、慎重に、氷のような皮膚に熱を与えようとゆっくりと上下していた。

「思った以上に冷えていますね」

「そうなの。……あなたの手、温かいわ」

 じんわりと熱が戻る感覚に眠気を誘われ、思わずあくびをこぼす。「眠っていいですよ」とクラエスがやわらかな声で囁いた。

「こうしていてあげるから」

 ぼやける視界のなかで、クラエスが微笑んでいる。うん、と小さな子どものようにうなずいて、私は目を閉じた。

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