(1)在りし日の肖像

 ――ファランドール家、医療用義肢の実用化に関連する遺失技術ロストテクノロジーの再現に成功。第八月シャアバーンに特許申請、来年には帝国軍で試験運用開始の見込み――

 電子端末タブレットに表示された記事を食い入るように見つめながら、私は指でそのページをスクロールしていった。記事の日付は十年以上前のものであり、一面に表示されたトラウゴット――ファランドール家当主の顔もどことなく若い。

 ある医療用義肢に関する生体関連技術の特許申請にまつわる記事であり、ページの下部には特許の申請者としてうら若い青年の顔写真も掲載されていた。

 彼の名はバラド・ファランドール。当時二十歳にも満たない若者だ。

 その名前で検索をかけると、義肢関連技術の特許申請情報がいくつも出てくる――その分野では、すこし名の知られた存在のようだった。弱冠十六歳でアズハル高等学院工学科の入学試験をパスすると、約二年で修了。人体工学――とりわけ義肢の開発分野でその頭角を現した天才だったが、二〇歳もそこそこの年齢の頃に突如として足跡を絶つ。――ある時期を境に、彼の情報を一切拾えなくなるのだ。

 画面に表示された、うら若い青年の顔を私はぼんやりと眺めている。

 見慣れた端正な顔立ち。しかしその夜色の瞳は正面を向いているようで、けっして、なにも映し出してはいない。空虚なのだ。

 私が知る《バラド》のものとはかけ離れた、冷たく乾いた目。

 その目を見ているだけで、胸が苦しくなる。

「――またその写真を眺めているんですか?」

 その声に、私は弾かれたように顔を上げた。

 すこし離れた場所に座るクラエスの顔を見上げる。彼は私の視線に肩をすくめると、「よくもまあ飽きませんね」と冗談っぽくつけくわえた。

「気になっちゃって……。いままでバラドが義足を調整してくれていたこと、何の疑問も持っていなかったけれど――よく考えれば、異常なことだったのね。今まででも、少し調べれば、知れたかもしれないことなのに……」

「それだけ、貴方にはあたりまえだったんでしょう。バラドの存在がね」

 電子端末タブレットの電源を落とし、クラエスに投げ返した。そして息を吐くと、かじかむ両手をすりあわせる。

 私は今、軍用車両のコンテナの中にいた。私たちを乗せたトラックは――先ほど位置情報をみた限りだと――属領アラクセス・カラバフに入るか入らないかあたりの幹線道路を進行中だ。車両には当然のように窓が無く、外の様子は確かめようもないが、標高が上がるにつれコンテナ内も冷え込むようになっていた。

 ある程度の冷え込みは予想できたが、問題は義足だった。特殊な金属でできている義足は氷のように冷たくなっていて、接続部分である右足のつけ根は痛いを通り越して痺れている。これが一番耐えがたいことだった。私は服の上から右足をさすりながら、気をまぎらわそうと小型のライフルを抱えて座り込むクラエスを横目で見た。――見慣れた軍装姿だ。

 ――下手なりには交渉が功を奏したのか、ひとまず、私はクラエスを自分の傍に置いておくという目的を達成していた。

 エレノアは『黒鳥』の居場所を知っているという私に対して、二つ条件を出した。ひとつは、遺構第二〇二に向かうこと。これは現在進行形だ。

 そして、もうひとつは――。

「……クラエス。あなた、本当にそれ、外さなくていいの?」

 白い息を吐きながら、私はスカートのポケットから小さな鍵を取り出した。視界の中のクラエスの首元では、あるものが存在を主張している。

 こざっぱりとした白い襯衣シャツの襟もとから、見え隠れするもの――『首輪』だ。大型犬用かなにかの革製の太い首輪からは南京錠がぶら下がっており、彼自身の意思では外せないようになっている。

 ――〝この人に首輪かなにかつけて、思うぞんぶん、引きずりまわすして、それから死ぬところを見る〟――そんな私の発言を受けて、冗談なのか本気なのか、エレノアがプレゼントしてくれたものだった。それも、既にクラエスに装着した状態で。

「もとは悪逆非道のファランドール家のお嬢様が言いだしたことですから。その手前、すぐに外すわけにはいかないでしょう」

 しかめ面でかぶりを振ったクラエスに、私は溜息をついた。

「まさか、エレノアだって本気にしてないでしょう。……苦しくないの、それ?」

「すこし息苦しい感じはしますが、慣れますよ。――それよりユリアナ、貴方こそどうしてそんな薄着なんですか。アラクセス・カラバフは首都やアレクサンドリアよりもずっと標高が高いし、寒いところだとあれほど行く前に……」

「うるさいわね。寒いところで暮らしたことが無いから、どれくらい着込めばいいのかわからなかったのよ」

「そんなこと言って、貴方はアラクセス生まれでしょう」

「昔のことは忘れたわ」

 素手をさすりながら、私はぶるりと身を震わせた。外套コートはあるし、タイツも履いてはいるが、いかんせんコンテナの中は冷えやすい。椅子もなく軍用物資がひしめき合うなかで床板の上に直に座っているから、どうしても体温が奪われるのだ。

「……仕方ないですね。そんなに寒がるくらいなら、こっちに来ればいいでしょう。ほら」

 溜息混じりにクラエスがそう言って、厚手の外套マントを広げた。目を見張った私に、「そのうち風邪を引きますよ」とどこか苛立った声が投げつけられた。

 迷いはあったものの、吐く息さえ凍り付きそうな外気温だ。私がおずおずと彼の傍まで行くと、強引に腕を引っ張られて外套のなかに巻き込まれる。腰を抱き寄せられて、私は彼に寄り添うかたちとなった。

「……本当に冷えてますね」

「義足があるからよけいに冷たくなるのよ。ふだん寒い場所で暮らしていなくてほんとうによかったわ」

 クラエスの肩に寄りかかりながら、私はゆっくりと息を吐いた――ひとりでいるよりかは、随分温かい。なぜか渋い顔をして正面を眺めていたクラエスは、ふと自分の手から革手袋をとると、私の右手を取った。

 そして、かじかんだ指をさすってくれる。

「……あなたって、意外と善良なひとよね」

「失礼なこと言わないでくれませんか? 私はもとから善良な人間ですよ」

「そうなの? 出会い頭に蹴られたこと、私、一生覚えているつもりよ」

「それは――その、」

 クラエスは口をつぐんだ。代わりに、節くれだった手が私の手を包み込む。見た目に反して滑らかではない、胼胝たこだらけの硬い掌にかさついた指先。ゆっくりと優しく撫でさすられて、凍り付いていた手にじんわりと血が通う感覚がした。

 体温が戻ってくると、私は徐々に眠気を感じ始めた。移動が始まって数日、遺構のあるアラクセス・カラバフも目前だが、気温が下がるにつれて眠りも浅くなっていたのだ。

 私がうつらうつらと船を漕ぎ始めると、「寝てもいいですよ」と声が降ってくる――その言葉に顔を上げると、私は横にあった彼の膝に転がった。

「ちょっと、ユリアナ。急になんですか。あなた、どんどん私に対して態度が……」

「――あなたの膝って硬いのね、クラエス」

 クラエスの両膝に後頭部を預けると、正面にある青年の顔を見上げる――薄暗い照明灯が、彼の淡青色の瞳ややわらかい金髪を照らしていた。

「だって、寝ていいんでしょう? バラドはいつも膝を貸してくれたもの」

「私はバラドじゃありませんよ」

「いいじゃない、膝くらい。枕代わりよ」

 クラエスは大げさな溜息をついた――その瞳があきらかに動揺しているのを見て、笑みがこぼれる。彼は自分の手で口もとを覆うと、しばらく視線を泳がせ――「あんまりごろごろ動かないでくださいよ」と言った。

「どうして? そんなに寝相悪くないわ」

「そういう意味ではなくて……もう、何でもいいですから。寝るなら寝ればいいでしょう。この私の膝を使うなんて、何様のつもりか知りませんけど……」

 ぶつくさと文句を垂らしながらクラエスは外套マントを脱ぎ、それを私の上にかぶせた。嫌がるそぶりを見せながらこういうことをするところが、本当に憎めないと思う――私は笑い声を漏らすと、頭の上までかぶせられた外套マントから顔を覗かせた。

「それならお願いをもうひとつ追加よ。手は握ったままでいてくれる?」

 一度離れてしまった右手を再度掴んでお願いをすると、クラエスはしばらくしてから観念したようにうなずいた。

 それからしばらくの間、私は目を瞑っていた。眠気を感じていたが、会話をしたせいか、頭が冴えてしまっていた。そうなると、頭のなかを駆け巡るのはバラドのことばかりだった。

 ――私の知る、優しい後見人のバラド。彼と過ごした十年はけっして偽りではないし、私にとっては損なわれることのない思い出だ。

 そう思う一方で、ふとした拍子に不安をおぼえる。

 彼の愛情は、どこからが演技で、どこからが真実だったのだろう。あるいはずっと演技だったのだろうか? ――与えられた愛情を疑っているわけではない。演技であっても事実であっても、『優しいバラド』は私を育て、生かしたに違いないのだろうから。

 けれどもほんとうに、その愛情を――彼はじぶんのものにできたのだろうか?

 あるいはほんとうに私を愛することができないまま、空虚に『それ』を演じていたのだろうか? 彼にとって、私といた時間がむなしいものだったなら――私はそのことが一番つらいと感じる。彼の若い頃の写真ばかり眺めてしまうのは、その乾いたまなざしが胸に突き刺さるから。私の知るバラドとあまりにかけ離れていて――それが今も彼の本性であるかもしれないから。

「……ユリアナ? 眠れないんですか?」

 ふと、そんな指摘が飛んでくる。

 私は再度外套から顔を覗かせた――寝ないならそこを退けと言われるのかと思いきや、繋いだ手にぎゅっと力がこもっただけだった。

 そしてもう片方の手で、ゆっくりと私の頭を撫でた。私の不安を感じ取ったのかもしれなかった。横髪を耳にかけてくれ、頬に触れる指先。

 その手のあたたかさに、目を細める。

「クラエス――――」

 胸にわだかまる不安を、こぼしかけた瞬間だった。それまで静かに走り続けていた軍用車両が急ブレーキをかけ、コンテナが左右に激しく揺れた。とっさに私の体を掬いあげたクラエスが、片方の腕で脇に置いた銃を手に取った。

 一拍遅れて、外から銃声音が響いた。――何発も、立て続けに。

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