―追想(2)―

 鎮雨ジンウが参加した発掘プロジェクトは、ステパナケルト近郊の山岳地帯に位置する遺構第二〇二を対象としたものだ。軍事関係の施設であるという他に前情報はとぼしく、莫大な報酬金だけが参加希望者に提示された。そもそも医療分野の遺失技術ロストテクノロジーを専門としてきた彼にとって、『兵器製造』は未知の領域であったから、名乗りを上げたとき、ほとんど期待はしていなかった。しかし計画の主導者であるウルヤナに気に入られると、あっけなくアラクセスへの派遣が決まった。

 報酬金は、アラクセスが紛争地域に該当することにるものであると、当初鎮雨は考えた。アラクセス・カラバフは帝国の属領である一方で、ユーラシア大陸の統一を目指す《新ユーラシア主義》を提唱する白系ロシア圏ホワイト・ルーシの影響下にあり、両勢力にとっての歴史的な緩衝地帯であった。同時に、『アラクセス人』そのものがやっかいな存在である。かれらは遺失文明時代から、度重なる迫害や民族浄化ジェノサイドを発端とする離散を経験しており、その民族は世界中に散在しているのが現状だ。アラクセス独立派は国としてのアラクセスを悲願とするものであるが、けっして一枚岩の存在ではない。何をもってアラクセス人とするか、あるいは国としてどのような政治体を目指すのか、組織の背後には複雑な利害が絡んでいる――遺構への中継地である山岳地帯に潜伏するのは白系ロシア圏の支援を受けたゲリラ部隊であり、都市内で小規模な衝突を頻発させているのは新大陸生まれのアラクセス人集団だ。そして、それらの集まりに対して圧倒的な軍事力で挑む帝国ハディージャ

 この紛争に明快な《出口》はなかった。たとえアラクセス独立派が勝利を勝ち取ろうとも、その後の政治運営が泥沼化するのは目に見えている。ゆえに終わりのない争いであると鎮雨ジンウは考えていたのだが、それが《遺構》の権益をめぐる代理戦争であると知ったのは、ウルヤナに教えられてからだった。

 

 ――あそこは、研究者ルスラン・カドィロフの『劇場』なのさ。


 白系ロシア圏ホワイト・ルーシの前身であるソヴィエトが開発した攻撃衛星。文明が後退したこの世界で、それを手に入れることは『空の支配権』を得ることに等しい。

 著名な研究者であったルスラン・カドィロフの作った、一対の義足。左足の黒鳥オディール、右足の白鳥オデット――それらを鍵として、その遺構は


 ◆


 冬のステパナケルトは、樹々が霧氷で白く凍りつき、あまつさえ空からは雪ではなく氷が降る。窓越しに響く氷の音を聞きながら、いつものように談話室サロンで本を読んでいた鎮雨は、視界の端をちょこまかと動くものに気がついた。

 寝椅子から身を起こし、その動くものに声をかけた。

「何をしているんだ?」

 肩上で切り揃えてやった髪がふわりと揺れて、少女が振り返った。彼女は無言で鎮雨をみつめると、玄関のほうを指差した。

「外に出たいのか? やめたほうがいい。凍え死ぬぞ」

 少女はめずらしく頑なな態度を取り、そこから動こうとしなかった。てっきり『母親のもとに帰りたい』とでも言いだすのかと思ったが――そもそも、彼女の記憶は母親を殺されたショックからかひどく曖昧で、自分のこともほとんど覚えていなかった――ふるふると頭を左右に振る。

「だれかいるよ」

 その言葉に、鎮雨ジンウは腰を上げた。

 談話室サロンは玄関口に直結している。扉の上部にとりつけられた擦りガラスをみるが、夜の闇しか映してはいなかった。

「あのね、ジンウ、みにいってくれる? おばけだったらこわいの」

「おばけ?」

「きのうのよる、ウルヤナがそんな話をしたの」

 「あいつの寝物語は怖そうだな」と言うのに「すごくこわい」と答えた彼女に、部屋に戻っていなさいと言いつける。

 青い目をぱちぱちと瞬いて、こくりとうなずく。少女は軽い足音を立てて、談話室を去っていった。その後ろ姿を見て、鎮雨は緑色の目をすがめた。

 少女はおどろくほど従順だ。ほとんど騒がないし、我儘も言わない。あきらかに年相応ではないが、紛争下で抑圧された生活をいられていた影響かもしれないと鎮雨は考えている。なにせ、帝国ハディージャ軍の徹底的な『殲滅』の対象にはアラクセスの現地民が含まれており――隠れ家で暮らす上では、『子供らしい』ふるまいは嫌がられたに違いなかったからだ。

 鎮雨は本を置くと、代わりにクッションの下に隠していた自動小銃を取った。弾の装填を確認すると、おもむろに玄関口へと歩み寄る。――そして、扉を開け放った。

 みぞれが風とともに室内に飛び込んだ。正面には誰もいない。不審に思った鎮雨が視線をめぐらせると、扉の脇に、何者かが座り込んでいるのを発見した。

「――おい」

 銃を構えたまま、その大柄な男に声をかける――反応が無ければ、そのまま放っておくつもりで。

 しかし。

「……バラド?」

 玄関脇の照明に照らされたその容貌は、鎮雨にとって既知のものだった。――かつて、ファランドール家でともに働いた男だ。

 しかしある日を境に連絡を絶ち、行方をくらましていたのだ。最後に会ってからは、ゆうに二年近い月日が流れていた。

「お前、どうしてここに――。おい、しっかりしろ。怪我をしているのか?」

 白い大理石の床に、出血の痕があった――それはみぞれによって洗い流されながらも、はっきりと赤い色をしていた。


 

 ウルヤナを呼びつけると、開口一番、知り合い?と問いかけられた。

「後継ぎのお前なら知っているだろう? バラド・ヴィ・サフサーフだ。元ファランドールの……義肢関係の特許をいくつも持っていて……」

「あー、そんなのもいたね。何度か仕事をしたことがあるな。僕と知能テストの結果が同じだったことがいけ好かなくて忘れていた」

 血に触りたくないとしぶる彼をなんとか説き伏せ、バラドを室内に運びこむ。談話室サロンの長椅子に寝かせ、傷の具合を確かめた。

 彼は脇腹を負傷しており、出血もそれが原因だった。

 意識を失った男の手当てをしようと、服をまくりあげた。そして、鎮雨は目をすがめた。彼の腰には、焼き印の治療痕を隠すために蔦模様の細かい刺青いれずみがきざまれている。そしてその上に――あらたな焼き印があるのを発見したのだ。

悪竜ヴィシャップの紋だ。アラクセスの古英雄ヴァハグンが退治したことで名高いドラゴンだね」

「……なんでこんなものが? この紋は……」

 ――既視感があった。鎮雨ジンウは、首都にいるはずの恋人が同じものを左胸に刻んでいることを知っている。そのことを口には出さなかったが。

「なるほどね。ファランドール家を出たと思ったら、行きつく先は皇帝直属軍イェニチェリだったというわけだ」

「あそこは幼少期に引き取って養育するはずだろう。なぜ今更――」

「引き抜きじゃない? ファランドール家の知識をたくわえた技術工エンジニアが欲しくて金を出したんだ。理由は――そうだね、彼が今この時期のアラクセスにいるというだけでおおむね予想がつくよ」

 怪訝な顔をした鎮雨ジンウに、ウルヤナは意味深に笑うだけだ。「手当をしなくていいの?」とせっつかれると、鎮雨は慌てて手を動かし始める。清潔なタオルで血を拭い、傷口を消毒する――銃創だが、幸いにして臓器に損傷はない。弾も抜けていた。

 ひととおりの手当てを終え、傷口を包帯で圧迫する。肋骨ろっこつを締め上げられる痛みに、バラドがうめき声を上げた。遅れて目を覚ました彼は、長椅子に横たわりながら、不思議そうに鎮雨とウルヤナの顔を眺め――そして、「その娘は?」とつぶやいた。

 弾かれたように鎮雨ジンウが振り返ると、ウルヤナの影に隠れて、少女の姿があった。いったい、いつのまに談話室に戻ってきたのだろう。青い目が、不安そうに傷ついた男を観察していた。

「――一時的に預かっているだけだ。それよりも、バラド。何故お前がここにいる? 失踪したと思ったら……」

「子どもは嫌いだ……あっちへやってくれ。頼む、鎮雨……」

 意識が混濁しているのか、バラドの言葉はあまり要領を得なかった。鎮雨は溜息をつくと、少女に声をかけようとした。――その矢先。

「いいじゃないか、ここにいても。悪さなんてしないよ」

 ウルヤナがあっけらかんとした態度でそう答えた。少女の痩せた体を抱きあげると、横たわるバラドの正面に置いた椅子に腰かけてみせる。

 そしてにこにこと笑ってみせたのだった。

「君も情緒というものを育むべきだよ、バラド。子どもはいいよ、予想がつかないことをする。でもちゃんと理由がある。たまに無いこともあるけどね。総じてかわいいものだよ」

「……お前、ウルヤナか? なんだ、気が狂ったのか……?」

 鎮雨から鎮痛剤を投げつけられて、バラドは苦痛に顔をしかめながら身を起こした。次いで渡された水で一息に薬を飲む。しばらくして頭もはっきりとしてきたのか、呂律のまわっていなかった舌もしっかりしていた。

「お前がそんなことを言うとは。ボケが始まったのか?」

「失礼だな、僕はまだ二十代だよ。これは《試行》さ――僕が人間を育てられるかどうかのね」

 そう言うウルヤナの手を、膝上に載せられた少女がふいに掴んだ。

 夜色の手とウルヤナの目を交互に見やったかと思えば、おもむろに

「――失敗じゃないか?」

「これは甘えているんだよ。口のなかにものを含むと安心するし、保護者の気も引ける。ちいさな子どもにはよくあることさ。この子は賢いけど、感情を言葉にすることはまだ苦手のようだね」

 ガジガジと容赦なく手をかじられても顔色ひとつ変えることなく、ウルヤナはそう言い放った。バラドは氷で濡れた髪をうっとうしげに掻きあげながら、「狂犬同然だ」と返した。

「それで、バラド。……お前、どうしてここに?」

 ――このままでは、延々ウルヤナの話に付き合わされそうだ。

 そのことを察して、鎮雨は話に割って入ることにした。

 バラドは顔を上げ、立ったままの青年をみやった。――感情を読み取らせない瞳であることに、鎮雨はすこし驚いてしまう。比較的歳の近いバラドとは、少年時代に首都の学校で机を並べ――技術工エンジニアとなってからも、ときおり同じ遺構で仕事をすることのある仲だった。『友人』と言って差し支えなかったはずだ。

 ――彼が失踪するまでは。

 過去に向けられていたはずの親しみが、その瞳にはない。ただ凍りついた湖のような、冷たく、鋭い眼差しだけがあった。

「――深い理由はない。怪我をして、たまたま近くにファランドール家のクラブハウスがあった。昔のよしみで助けてもらおうとしただけだ」

「今、皇帝直属軍イェニチェリにいるんだろう。お前なら、そんなところに入らずとも――」

「鎮雨はあいかわらずだな。愚鈍なことこの上ない。他人のことを考えている暇があったら、自分のことを考えるべきだ。そんなんだから永遠に属領人であることから抜け出せない。妹の戸籍は買えたのか?」

「っ……それは」

 嘲笑まじりに返してきた男に、鎮雨は表情かおをこわばらせた。――明らかな拒絶を感じた。鎮雨の知るバラドとは、もうすこし気さくで、このような悪態もつかないはずの人間だった。

「――手当をしたんだ。相応のお返しをくれるかい、バラド? 君なら……いいこと、知っているんだろう」

 いまだに少女に指を噛まれているウルヤナが、沈黙したふたりを見て口を挟んだ。

「報酬? がめつい奴だ。――道路封鎖はまもなく終わるだろう。山岳地帯に潜伏するゲリラ部隊は皇帝直属軍イェニチェリが殲滅中だ」

 バラドは痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと立ち上がった。任務中なのか、この場所で休んでいくつもりもないようだった。

「……お前はその作戦に参加していないのか?」

 鎮雨の問いには答えない。男はウルヤナの膝上にいる少女を見下ろすと、不愉快そうに顔をゆがめただけだった。

「……お前に子育てなんてできないだろう、ウルヤナ。俺と同じように、お前に人の心はないんだから」

「そうかもね。でも、演じればいつかそれが僕にとっての真実になるかもしれない。すくなくとも、この娘にとって僕の演技は真実だろう」

「夢見がちな話だ。その子どもも、離れればすぐにお前を忘れる」

「それでもいいだろう。バラド、言っておくけど、君と僕は違う。君はただのがらんどうだ。僕以下だ。なにも無いから、なににもかかずらないし、傷つかない。心がないんじゃなくて、自分がないんだよ。――可哀想なやつ」

 ――ウルヤナにまっすぐに見据えられ、バラドは一瞬、押し黙った。

 しかしすぐに表情を取り繕うと、「世話になったな」と言って、ふたりに背を向けた。そして、雨の降る暗闇のなかに消えていった。


 翌朝、バラドの言った通り、山岳地帯に通じる幹線道路の封鎖が解かれた。これまで溜めていた鬱憤を晴らすように、ウルヤナは喜々として移動の準備を始めた。

 そして何を思ったのか、「この子も連れて行くよ」と言い放った。

 何故かと問うた鎮雨に、ウルヤナは笑って答えた。「このプロジェクトに必要だから」――そして、運命の輪が回り始めた。


 ◆


【十年前】

 属領アラクセス・カラバフ

   XXX


 鎮雨は血液製剤に刻まれた文字をみつめた。A型のRHマイナス――この血液型の比率が帝国人や他民族と比較して高いのがアラクセス人の特徴だ。ウルヤナが少女を拾ってきた当初に行ったメディカルチェックでも、例にもれず、彼女もその特徴を有していた。

 検査台に力なく横たえられた少女には、右足がない。このまま放っておけば死んでしまうだろう。しかしふとした拍子に、彼の頭には疑念がわきおこり、手が止まってしまったのだった。

 死こそがこの少女の運命ではないのか?

 あるいはあのとき路傍で凍え死んでおけばよかったのではないか。そんな考えに取り憑かれてやまなかった。なぜならば、これから彼女に与えられる運命は――死ぬことよりも過酷であるはずだから。

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