(2)再会


 しばらく銃撃戦が続いた様子だった。

 私たちを乗せた軍用車両は急ハンドルを切った。コンテナが上下左右に揺れたかと思うと、足もとから伝わる振動があきらかに荒々しいものへと変化する。もとから乗り心地がよいとは到底言えない代物だったが――それにしても常軌を逸した揺れに今にも身が投げ出されそうになったところを、クラエスが私の腰を力強く引き寄せた。ぴったりと体が密着し、ともすれば彼の心臓の音まで聞こえそうだ。

「……難民解放戦線なの?」

 車両が進路を変える前に聞こえた、数発の銃声――「おそらくは」とクラエスがうなずいたとき、一段と激しい揺れが私の体を突き上げた。

 思わず、目の前の体にしがみつく。

「すごいっ、揺れだわっ、――」

「舌を噛みますよ。おそらくは幹線道路を外れて山道へ入ったのでしょう」

 クラエスの推測に、私は電子端末タブレットで確認をした地図を思い起こした。属領アラクセス・カラバフは、小カフカス山脈を擁くアラクセス地方――そして「カラバフ」という山岳地帯を含めたことによる呼称だ。遺構第二〇二はアラクセスではなくカラバフに位置しており、私たちは既にその領域へ入っていた。

 そのとき、クラエスが腰に提げたポーチへ入れた無線に連絡が入った。機器を取り出すやいなや、エレノアの声が響き渡る。

 クラエスは片目をすがめて、彼女の声に応答した。

「ああ、はい――。なるほど」

 しばらく会話を続けるにつれ、彼の顔はどんどん渋くなっていく。

 遺構第二〇二に向かう軍用車両は数台あり、私たちはそのうちの一つ、物資輸送用のトラックに間借りをしていた。窓のないコンテナからでは外の様子は確認しようもないが、先行車両にいるはずのエレノアはすくなくとも私たちよりは明確に状況を把握しているのだろう。実際、何が起きているのかはわからないが。

「――外に出ますよ」

 無線を仕舞いながら、クラエスが言った。と同時に、車両の揺れが止まる。どこかに停車したのだ。――クラエスの推測が正しければ、山の中だろうか。

「どういうこと?」

「ここはステパナケルト近郊の山岳地帯です。もともと、十年前の第二次アラクセス紛争の折には独立派のゲリラ部隊が潜伏していた場所で、そのころの残置物は帝国側も把握しきれていない――先行車両がスパイクストリップを踏んで足止めを食らったそうです。先ほどの銃撃戦は囮で、本当の狙いはこの山に誘い込むことだったとみるべきでしょう」

「……難民解放戦線はこの山を掌握しているの?」

「当時の残党がいるんでしょうね。難民解放戦線は、第二次アラクセス紛争で壊滅した複数の派閥がアラクセス独立の大義のもとに集った新興組織だ」

 そこでふと、クラエスが溜息まじりに「離れてくれませんか?」と言った。

 揺れは収まったというのに私は彼にしがみついたままだったのだ。我に返って、私は慌てて彼の膝から退いた。

「一方で、この山を経由することは遺構第二〇二への最短経路でもある」

 クラエスは立ち上がって、私の肩に自分の外套コートをかけた。

「エレノアは車両に残って敵を誘導し、私たちは徒歩で山を越え、遺構付近にある軍用施設を目指す。さいわい、大きな山でもない。一晩あれば十分とみるべきでしょう。――問題は、目下位置情報が攪乱されていて、詳細な地理が把握できないこと」

 淡々と語るクラエスを前に、私は不安を覚えた。

「私、山越えなんかしたことないわ。この寒さだし、この夜闇だと視界もきかなくて遭難しかねないと思うの――ましてや、地理情報もないなんて。あなたが言うには昔の残存物だってあるんでしょう?」

「――《リエービチ》を使えば、ソヴィエト時代の衛星情報にアクセスできる。当時の気象衛星が生きていれば、あるいはそれが抜け道となるかも」

 そう言って膝を折ったクラエスが、おもむろに私の右足に触れた。「そんなの聞いてないわ!」と声を張り上げれば、「私もいまエレノアから聞きました」と返される。

「《リエービチ》が攻撃衛星統制AIオレーシャへのアクセス権限であることを考えれば、あながちおかしな話でもない。まあソヴィエト時代の衛星はほとんどが墓場軌道に乗っているし、こういうときじゃないと役には立ちませんよ。……申し訳ないんですが、これ、脱いでくれません?」

 タイツを指差して、クラエスが言う。むう、と唇をとがらせて、私は彼に背を向けた。こっちを見ないでよ、と言い付けてから、靴と厚手の黒タイツ、そして人工皮膚のカバーを脱ぐ。夜闇のなかで、私の義足はキラリと光った。

 寒さに震えながら振り返って、彼に右足を差し出した。

 クラエスは跪いて義足の側面に触れると、横のパネルを開けてケーブルを引っ張り出す。それを自分の電子端末タブレットに接続して表示された画面を一瞥すると、苦い顔をして私に投げて寄越した。

「……いや、これは無理でしょう」

「なによ。私が寒さに震えただけ損ってこと?」

 一面に表示されているのはキリル文字の羅列――ロシア語だろうか? 無機質な単語の並びに、いったい何を意味しているかわからないまま、目についたものをとりあえずタッチしてみる。

 すると画面が切り替わった。蛍光緑の曲線上に、複数の点がある――そのほとんどか赤く点滅していて、《死》を意味する単語が浮かんでいた。もしかして、これがクラエスの言うソヴィエト時代の衛星だろうか。うまくいけば、ここからこの山の衛星地図を引っ張りだせるかもしれないが、これが私たちの空の上を回っているものだと思うとあまり下手なことはできない。間違えて墜落でもさせたら大事故になる。

 その図を睨みつけていると、ふと、頭の片隅に引っかかるものがあった。いったい、何だったか――次の瞬間、私の脳裡をぎったのは、これまで長い間、記憶の奥底に押し込められていたひとの姿だった。

 私はとっさに電子端末タブレットを操作した。10年前――ウルヤナがひそかに私に教えたアドレスを打ち込むと、海外サーバを経由した《金庫》に行きついた。のデータバンクだ。そして認証画面にある名前を打ち込む。

 ――〝ウルヤナ・ファランドール〟と。

 彼のIDとパスワードでいくつかのセキュリティ画面を突破していくと、やがて膨大な量の情報の海へと辿りついた。

 ファランドール家のサーバーを介さない、ウルヤナの「宝の山」のひとつ。

 そして、彼が私に遺した「形見」でもある――。

 目的の情報を引っ張り上げてから、私は再度、衛星情報の画面に戻った。アミランと表示された衛星をタップし、表示された認証画面に長文コードを入力する。

 しばらく操作を続けてから、私は地理情報をタブレット本体に落として接続を切った。手に持つ端末は過熱していまにも壊れそうだが、さすが軍用というべきか、処理能力は通常よりも高いらしい。

「これでいいんでしょう?」

「――どうやったんですか?」

「魔法を使ったのよ。どう、すこしは見直した?」

 私の言葉にクラエスは肩をすくめた。その反応に唇をとがらせていると、クラエスはふいに身をかがめた。彼のつむじが視界に映る。

 クラエスは私に着せた外套コートの紐を結びながら、「だいぶ前にね」と小さな声でささやいたのだった。


 ◆


 コンテナから降りると、真冬ではないとはいえ――それでも底冷えのする寒さが夜闇を包んでいた。

 ぶるぶると身を震わせる私の手を引いて、クラエスが山道を先導する。

「地理情報は頭に入れました。あとはゲリラ部隊の残存物に気を付けて進むだけです」

「……残存物って、たとえばどんなものがあるの?」

「代表的なものは対人地雷ですね。あとは小規模なトラップ、落とし穴とか。大方、過去に皇帝直属軍イェニチェリがゲリラ部隊を掃討した際に撤去されたはずですが……」

 ささやき声を交わし、クラエスの言葉に目をみはる。

皇帝直属軍イェニチェリが?」

「そう。エレノアが出世したのもこのときだと聞きましたね。彼女は一晩でこの山を制圧したという話です」

 片手に自動小銃をたずさえたクラエスの背を眺めながら、延々、足場の悪い山道をのぼっていく。あたりは暗闇に包まれ、ひどく静まり返っている。時折風に樹々が揺れるだけで、鳥の鳴き声すら聞こえない。――異様だった。

 気が付けば、私たちは崖の上に立っていた。

 水の流れる音がした。おそらく下には川が流れているのだろう。

「――そして人工知能オレーシャが暴走すると、ステパナケルトは焼け落ちた。周辺地域は宇宙由来の微生物に汚染された。ごくわずかな量だが、それでも一〇年は立ち入れなかった。遺失文明時代、攻撃衛星によってユーラシア大陸の大半が焦土となったのと同じ現象――」

 ふと、やぶのなかから別の人の声が聞こえた。

 私が弾かれたように顔を上げると、右手を握るクラエスの手に力がこもる。

 ――青い光が見えた。カンテラの小さな炎をたずさえ、その人は暗闇のなかからゆっくりと歩み出す。

 もう片方の手には、黒光りする銃が握られていた。

「バラド……」

 私のささやき声に夜色の目を細めると、バラドは優しく微笑んだ。そしてユリアナ、といつもと何も変わらない調子で、私を呼んだ。

「――会いたかった」

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