(15)火の雨が降る街

 安心をすると同時に一気に疲労感がこみあげ、いつのまにか、私は長椅子の上で寝てしまったようだった。遠くから響く晩鐘のとともに目を覚ましたとき、窓のむこうはとうに日が暮れ、とっぷりと闇に沈んでいた。

 眠い目をこすりながら体を起こし、ふと前方を見れば――椅子に腰かけたクラエスが視界に入った。長椅子に寝そべる私のほうへと体をむけ、まるでずっと観察していたとでもいうように、横の丸テーブルに片肘をついている。目が合うと、彼は淡青色の目を細めてほほ笑んだ。

 それがあまりに絵になる光景だったから、ほんの一瞬、言葉を失ってしまう――ほうけた私を見て、クラエスは悪戯っぽく片目をつむった。

「ずいぶん気の抜けた顔をしていましたよ」

「……もしかしてずっと見ていたの? 趣味が悪いわ」

 彼はそれまでの装いとは一変して、飾りのない黒の上下に軍用長靴ブーツ、防弾チョッキを身に付けていた。――どう考えても普段着ではないだろう。驚く気配が伝わったのか、クラエスは悪戯っぽくウインクをした。

「そろそろ移動をするから、起こそうと思っていたんです。――ああ、貴方も行くんですよ」

「行くって――――」

「〝社会見学〟ですよ。トラウゴット殿――ファランドール家の当主からので、今回の私の任務に連れて行けと。ああ、エレノアには告げ口しないでくださいね。私が殺されてしまうので」

 寝耳に水だ。クラエスはおどけたように言ってみせるが、彼の任務とはつまり――。


 ――お前は首都任意のポイントで待機し、取引現場に現れる『商人』を押さえろ――


 私はぎゅっとスカートの裾を握りしめた。指先が白くなるくらいきつく。そんな私の様子もかまわず、クラエスは布の包みを投げて寄越した。

 包みを開けば、防弾仕様のベストが入っている。両手で持ち上げると、ずっしりとした重みが腕に伝わってくる。

「今回の掃討作戦はファランドール家後援によるものでしてね。――あなたの実家としても、早急にザムエル・ファランドールを粛清したいんですよ。このままどちらかの手中に落ちたところで、尋問されては家の機密を漏らされるのはまずい。だから、早め早めに手を打とうというわけで。

 ……ただし今回は条件付き。トラウゴット・ファランドールは、あなたに〝決定権〟をゆだねるとも言っている」

 椅子の背もたれにかけていた外套マントを手に取りながら、クラエスは言い放った。淡青色の瞳が正面から私をみすえる。

「決定権って、つまり……」

「ザムエル・ファランドールの生殺与奪権は、あなたのものということですよ」

 その言葉に、唾を飲んだ。全身に緊張が走るのがわかった。

 防弾用ベストを胸に抱いて、私はうつむく。

 ――視界の端に、自分の右足が映った。


 ◆


 夜風にクラエスがまとう黒衣の裾がひるがえる。


 クテシフォンは一年を通して気温が高く、冬期でも一五度以下になることはすくない。こまごまとした石と泥の建物がせめぎ合ったか細い路地は、むっとするような熱気に満ちていた。

 クラエスに連れられてやってきたのは、首都を物理的に囲む円形の壁――その周縁に近くにあるひとつの街区ハーラだった。クテシフォンはチグリス河の東岸に位置し、古い街並みを残した都市である。一方で対岸のセレウキアは開発が進み、近年では富裕層を中心とした人口流入が激しい――そのため首都の一部では、昼夜を通して極端にひとの少ないような廃墟ばかりの場所があり、ここもそのひとつというわけだった。

 クラエスが目をつけたのは、街区の片隅にある打ち棄てられた礼拝堂モスクだった。かつては煌びやかなタイル、美しく白塗りされていたであろう建物は、いまはただ朽ちるのを待ち、いまにもくずれ落ちそうな容貌をしていた。

「こういう建物には、だいたい背の高い尖塔ミナレットが付属しているんです。礼拝の時間になると、そこから大声で呼びかけるんですね。高い塔であれば、街のどこからでも目につくから」

 クラエスが指差した先には、せめぎあう建物のなかでひときわ目を引く石の塔がある。人気のない路地はしんと静まり返り、私たちは礼拝堂モスクの裏口に回ると、そこから屋内に入った。

 ガラスの窓から、ぼんやりと月明かりが漏れていた。

 ドームを頂点に戴いた礼拝堂は小規模ながらも天井が高く、丁寧なつくりをしていて、実際に活用されていた時代を忍ばせた。しかし訪れる者のたえた場所となった今となっては、建築材や宝物をあらかた盗まれてしまい、荒廃しきっている。

 素地がむきだしになった床の上のあちこちに、ガラスや木材の破片が散っていた。それらを踏まないように気を使いながら、先導するクラエスの背中を追う。腐食しかけた階段をのぼって中二階に上がると、そこから外で見た尖塔ミナレットの領域へと足を踏み入れた。

 塔の作りは単純だった。人がひとり通るのがやっとの幅しかない螺旋階段が、延々、頭上にむかって伸びている。ふたりして無言で階段を上りはじめたものの、重い荷物を抱えているはずのクラエスには、すぐに距離を離されてしまう。

 古びた石のきざはしを踏み、何度も何度もぐるぐると回りつづけて、頂上部に近づくころにはすっかり息が切れていた。ようやく階段を終えたかと思えば――目の前に頼りない縄梯子はしごがぶら下がる。

 呆然と、外からの風に揺れるそれをみつめる。

 頭上をみあげれば、すでに塔の頂上部に上がったクラエスが、悠々と銃を組み立てていた。――助けてくれる気配はない。

 私は一度大きく深呼吸した。

 意を決し、縄梯子に手をかける――さいわい、そう長い距離ではないのが救いだ。もうすこし、がんばれば――そう念じながら手足と全身を使って縄梯子をのぼる私は、あとすこしのところで、案の定力尽きてしまった。

 両腕が限界を迎えてしまったのだ。これ以上、動かせそうにない。縄にぶら下がっているだけでも手足が震え、このままだと私は落下するだけの運命だ。この高さから落ちれば、軽傷ではすまない――ような気がする。

「……何してるんですか?」

 プルプルと震える私に気が付いたクラエスが、上から顔を覗かせる。

「……これ以上肩が上がらないのよ」

「若いくせに、こんな程度で根を上げるんですか。まったくだらしない」

「このベストが重いのよ。ああ、なんで私、スカートなのかしら……」

 これみよがしに揶揄してくるクラエスに、なんやかんやで梯子の上まで引っ張り上げてもらう――埃だらけの床に座りこんで、私は荒れた呼吸を整えた。

 そしてふと、その床に月明かりが射していることに気がついた。

 円柱型に伸びた塔の最上階は、むかって東西の方向に開放口が設けられている。そこから身を乗り出し、高度宗教が失われる以前――人々は声を張り上げ、礼拝の呼びかけを行っていたのだろう。

「ほんとうにいろんなものが見渡せるのね……」

 開放部から顔を覗かせ、私はクテシフォンの街並みを見下ろした。

 中心域に明かりは集中し、周縁にむかうほどあたりは暗く、夜の闇に溶けていく。歩いているときはどこへ繋がるかもわからない複雑怪奇な路地も、高いところから見下ろせば一目瞭然だ。

 日干し煉瓦と石をんだ泥色の街は、冴え渡る月の明かりを帯びてなお、どこか暗い影をまとっていた。

「あんまり顔を出さないでください。こちらからも見えるということは、からも見えるということですから」

 私は弾かれたように身を離した。その様子を見て、クラエスが笑い声を漏らす。

 対物ライフルを組み立て終えた彼は、金属製のケースを取り出したところだった。中から出てきたのは、数発きりの弾――クラエスの指先で転がされたそれは、月光を照り返して鋭く光る。

「これ一つで、首都で平均的な家庭の一年分の生活費を賄えますね。――そう考えると、命って案外高いと思いませんか?」

「……わからないわ。命に値段や価値なんてつけられるの? あっても、絶対的なものじゃなくて……相対的なもののように思えるわ。本当に大切なものかどうかといえば、本人にとっても――誰にとってもそうだとは言い切れないような……」

 問いに答えようとはするものの、だんだん、自分の頭のなかでもこんがらがっていく。しかしクラエスの手のなかにある弾丸を見れば、彼の問いかけが『リアリティのない』ものだとは思えず、バカみたいと一蹴することもできなかった。

「では、ザムエル・ファランドールの価値は?」

 ――その問いかけに、目をすがめる。

 心に暗澹としたものが広がるのがわかった。

 ファランドール家の当主が、何故、ザムエルの《処遇》を私にゆだねたのか、はっきりとした理由はわからない。もしかしたら、彼は本当に私を家の後継ぎにしようと考えているのかもしれない――そのことを思うと、背筋が冷える。自分の肩に、想定もしていなかった重みがかってくるようで。

 膝の上に置いた手を、私は握りしめた。彼の問いに即答できなかったのは、私の言葉に、私個人を超えた重みがともなうことを理解しているからだった。

「ここで殺そうが殺さまいが、彼は最終的に死ぬでしょうね。『死の商人』たるファランドール家の権益を悪用して、外部勢力である《女王派》に加担した。国にとっても、貴方のご実家にとっても不愉快きわまりない存在だ。――そのには目をみはるものがありますがね」

「……あなたは――エレノアも、クイーンズランドの人間なんでしょう? ……故郷のひとを殺すことに抵抗はないの? もしかしたら、自分と同じ立場だったかもしれない人たちよ」

「そうですね。むこうもそう思っていることでしょう。同郷の人間に殺されるのは、さぞや苦しく、憎いことでしょうね……」

 クラエスは溜息をついた。

 そして懐から懐中時計を取り出すと、時刻を確認して立ち上がる。

 ライフルとスコープを携えて横を通り過ぎていった青年を、目で追う。クラエスは私を振り返ると、片目をすがめてほほ笑んだ。――はりつめた笑い方だ。

「だからこそ、私たちには鉄の心臓が必要だ。誰を傷つけても、踏み台にしても平然としていられる精神を持たなければいけない。――生きるために。この国で生きるということは、自分にとってほんとうに必要なものだけを見極め、それ以外をてることにほかならない。国も、言語も、宗教や思想さえも、不要になりえる」

「……そんな生き方、嫌よ」

 私は膝を抱えた。膝頭に額をこすりつけ、かぶりを振る。

 クラエスの言っていることのすべてが理解できないわけではない。――帝国は実力主義だ。出自、才能、運……あらゆる要素が個人の明暗を分ける。誰もが平和に、安穏と暮らせるわけではない。属領出身のクラエスは、きっと私が想像する以上に苦労して、今の彼にったに違いないのだから、否定してはいけないのだと思う。――だからといって、受け入れるのも難しいような気がした。

「エレノアのことは知りませんけどね。彼女は先代女王の縁故者だ。――私とは母親違いなんですよ」

「縁故者って――」

「三三年前のエジンバラ戦役で、私たちの父親は先代女王を銃殺しました。エレノアは――その彼女の卵子を用いて、代理母出産で生まれた子なんですよ。生まれながらに、皇帝直属軍イェニチェリに入ることを定められて」

 淡々と語っているようで、私にとっては想像を絶する内容だった。クラエスは「知りませんでしたか?」とばかりに片目を瞑ってみせる。

「女王の子孫を、皇帝直属軍イェニチェリに……? まるで、みせしめのようだわ」

「そう。クイーンズランドの『屈服の証』が、エレノア。だからこそ、今回の掃討任務でも彼女が駆り出された。みせしめと同時に、彼女自身の忠誠を確かめるためにね――」

 最後はほとんど聞こえない声で囁き、「それで?」とクラエスは私に問いかけた。

「さきほどの答えをもらっていない」

「……ここで殺すって言ったら、私、最低じゃない。殺さない程度に撃って、捕縛しましょう。あなたがどれくらいの腕なのかは知らないけど……」

 ――それだけのことを言うのに、相当な労力を要した。

 私は月影を避けて立つクラエスをみすえ、拳を握りしめた。

 クラエスは肩をすくめ、わかりました、とだけ答えた。その間の沈黙が永遠のように感じられて――ひどく、緊張した。

「私、あなたたちが要求するような人間にはなれないわ。鋼の精神なんて持てないし、自分の心や感情を守るためにしか判断できないもの。――ちっぽけなのよ。あなたたちみたいに、国とか、社会とか……そういう視点とか、利害関係とかは考えられないの」

「まあ、いいんじゃないですか。今はそれで」

 そう言ってクラエスが笑ったので――ほんのすこしだけ、心が軽くなった。

 ――きっと、どこかで彼は殺されてしまうに違いない。

 それでも今は目を背けたいと思ってしまう自分を、肯定してもらったような気がしたのだった。

 私はうん、とうなずいて、ライフル銃を開放口に固定する彼の背を眺めた。


 


 ――それから、何時間が経過したのか。

 懐中時計を確認したクラエスが、訝しそうに眉をひそめた。

「おかしい。諜報員からの連絡だと、そろそろ現れるはずなんですが」

 そう言って暗視スコープを覗いたクラエスに、私は「場所が違うとか?」と問いかけた。

 風が吹く。夜が深まるにつれ、風の勢いが増しているようだった。空を見上げれば、中天をとうに越した月が見えた。

「もうすこし待ってから――」

 クラエスが何かを言いかけた矢先、外から、耳をつんざくような爆発音が響いた。――慌てて開放部から街を見降ろせば、ここからそう遠くない距離で火柱が上がっていた。

 地を割り噴き出した巨大な炎が、街を舐めるように赤い光で照らす。それは石のつぶてを降らせながら、暗夜のクテシフォンに広がろうとしていた――。

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