(3)ファランドール、死の商人

 クテシフォンは首都でありながら、一見して、さほど美しい都市ではない。無骨な外壁が円形に取り囲むそこは、日干しレンガと土で固められた壁と壁が密接し、人が通るのがやっとなくらいの道が複雑に入り組んでいる。一度路地に迷い込んだら、慣れていないかぎり大通りに出ることは至難の業だ。見通しが悪く空も狭いクテシフォンは、だからこそ軍事的要塞としての価値が高い。

「――さて。ファランドール家のお屋敷はどこでしたっけ」

 駅員用の地下通路から地上に出るなり、クラエスはそう言った。

「偉そうに言っておいて知らないの? ――あっちよ、あっち。この街区ハーラじゃなくて、隣の街区よ」

 彼の腕のななから乗り出して、私は道案内の看板を指差した。よくご存じで、とかなんとか言いながら、クラエスが歩き始める。

 ――うまく振舞えただろうか。体の震えはとっくに止まっていたし、自分なりに虚勢を張っているつもりではある。しかし、先ほどの駅舎の光景は常に頭の片隅にあり、そこから意識を切り離せないでいた。

 いちど大通りに出ると、そこから狭い路地に入った。クラエスに抱えられた私を通行人はものめずらしげに見たが、紛争の多い帝国ハディージャでは四肢を欠いたものなどごまんといる。すぐに興味を失って、視線も逸らされていった。

 路地の迫りくる壁と壁には、剥がれかけたアラベスクが残っていた。薄暗い道を複雑にたどりながら、『家』を目指す。こういうとき、自前の足がないのは不便だ。

「……あなた、私をずっと抱えてて、腕が疲れたりしないの?」

「そうですねえ、ここで置き去りにしていいなら喜んで」

「それは困るわ。こんなところでいたいけな娘を置き去りにしようなんて、あなたってどういう神経をしているの?」

「自分で言いますかね、それ……。まあ貴方より訓練用の背嚢のほうがずっと重いですね。あれを背負ってユダ砂漠をトレッキングするくらいなら、貴方を抱えてお散歩をしたほうがまだ気楽なもんですよ」

 よくわからないわ、と私は鼻を鳴らした。――こんなに細腕だし、見た目は華奢なのに、クラエスは私よりずっと力がある。

 くだらない会話をはじめた矢先、ひとつの扉の前でクラエスは立ち止まった。

 このあたりは富裕層の家々が軒をつらねているが、その他とは一線を画す白い壁と扉が視界に入る。――ファランドール家の門扉だ。

 扉についた金具を手にかけ、クラエスは呼び鈴を鳴らした。

「……誰も出てきませんね」

「ここは使用人がいないのよ。みんな家にいないから。――虹彩認証でロックが外れるのよ」

 私はクラエスの腕から身を乗り出すと、扉の上部にある小さな機械を凝視する。半球型のそれはきゅいんと音を立てて、こうべを垂れた――そのレンズに私の瞳を映すと、間を置かずロックの外れる音が聞こえた。

 扉を押し、中に入る。まず目に入るのは直角に折れ曲がった小さな道だ。いわゆる玄関的な役割を果たす場所だが、人の影はない。

 そのまま進んで道を出ると、今度は中庭に出た。

 ――帝国の街並みは、一見して、さほど美しいものではない。

 しかし帝国ハディージャ式建築の醍醐味にして中枢とは――「中庭」にあるとされる。これまでの鬱屈とした街並みからはかけ離れた世界が存在するからだ。広々とした中庭に、それを四方に取り囲む二階建ての建物。

 まぶしいほどの陽射しが中庭に降りそそいでいる。そこは青と白、そして金色を基調としたタイル細工で美しく飾り立てられ、大きく傘を広げる樹々が青々と影を作る。ひさしぶりの「実家」の風景に目を細め――そこでふと、私は中央の噴水を前に、誰かが佇んでいることに気がついたのだった。

「――帰ってきたか」

 その存在に気がついた瞬間、私は思わず肩を揺らした。

 クラエスが足を止め、顔を上げる。視界に入ったのは、痩せた、長身の男だった――実年齢は壮年に差しかかろうという頃だが、その容貌はずっと若々しくみえる。きちんと整えた黒髪に髭、日焼けした肌は典型的な帝国人そのものだ。

 その男から放たれる威圧感に、私はいつまで経っても慣れることがない。

「……わざわざお出迎えいただけるとは恐縮です。貴殿がトラウゴット・ファランドール――〝ファランドール家〟の当主殿であらせられますね」

 クラエスは慇懃にそう言って、胸に手を当ててこうべを垂れた。

「いかにも。お前は――」

皇帝直属軍イェニチェリ所属、名をクラエス・ハクスリーと。この度は当方のコマンダー、エレノアの命により、お嬢様の護衛を務めさせていただきました。この度の一連の騒動につきましての説明役も兼ねております」

「なるほど。《女王の剣》を寄越すとは、なかなか皮肉が効いている」

 ファランドール家の当主――トラウゴットは意味深に笑い、「こちらへ」と私たちを客間に案内する。

 道中、彼は抱き上げられた私を一瞥して、顔をしかめてみせた。

「まったく、軍は代替用の義足も用意できないのか? それではユリアナが不便だろう」

「おそれながら、《リエービチ》に勝るものはこの世界のどこにもございません。それに今回は駅舎でテロがございまして。逃げるためには致し方なく」

 クラエスとトラウゴットの視線が交錯する――彼の言葉にどんな「含意」があったのか、私には測りかねたが、けっしてよい雰囲気とは言えなかった。

 沈黙を保ったまま、中庭からまっすぐ、四方を取り囲む建物の一階にある客間へと案内される。上等のペルシャ産絨毯をしきつめた部屋だ。その奥、布を金糸で刺繍した肘置きに寄りかかって居住まいを整えると、トラウゴットは出入り口に立つ私たちを鋭い眼差しでみやった。

「……テロか。最近は『女王派』が騒がしいからな。クイーンズランドの先代女王の命日が近いからだろうが……」

 トラウゴットは小声で囁いたが、クラエスは反応しなかった。

 帝国ハディージャの文化として、当然椅子や机も使うが、基本的には絨毯の上に直に座ることを習慣であり流儀とする。

 私はクラエスによってようやく床に下ろされた。――私とて、彼に抱えられたままで恥ずかしくないわけではなかったのだ。絶対顔には出さないが。

「何はともあれ、長旅ご苦労だった。――ユリアナ」

 おもむろにそう言い放った当主に、私はぺこりと頭を下げた。

「……ただいま戻りました。この度はいろいろとご迷惑を……」

 何を話せばいいのか分からず、私はしどろもどろになって答えた。

 左ひざの上に乗せた手をみおろし、しまいには唇を引き結ぶ。いったい何の用で呼ばれたのかがわからず、困惑していた。当主と一対一(クラエスもいるが、彼はカウントしない)で面会することなど、年に一度も無いことだ。

 バラドの件? それとも『失踪』の件? もしかしたら、《リエービチ》のことかもしれない。いろんな考えが浮かんだが、はっきりしない。

「お前も面倒ごとに巻き込まれたものだな。しかしファランドールの名を冠するからには避けられぬ宿命だ。この家の名をもらったからには、ろくな死に方はできまいよ。――理解してはいることだろうがな」

 「面倒ごと」とは、いったいどの話を指しているのか――私の困惑を感じ取ったのか、トラウゴットはいぶかしげに目を細めた。

「……なるほど。自分の置かれた状況も理解していない。まだまだ幼いことよ。お前は知能テストを歴代トップクラスで通過したが、こころは年相応ということか」

 煙管を手に取りながら、深い灰色の目で、じっと私をみつめる――底なし沼を見ているかのような不安が、私を襲った。しかしすぐに逸らされる。トラウゴットの視線は、私の背後に立つクラエスへと向けられた。

「クラエス・ハクスリー。まずは貴殿から事の顛末を聞かせてもらおうか」

「……ユリアナ・ファランドールは、十年前のアラクセス紛争の際、遺構第二〇二爆発事件で失われたはずの《リエービチ》を所持しております。おそらくは後見人バラドの手によりその事実は秘匿され、彼女もまた、自分の義足の重要性を理解していません。

 バラド・ヴィ・サフサーフは現在、帝国内を逃走中。アラクセス人の故郷への帰還を悲願とする《難民解放戦線》の一員とされ、おそらくこの少女が《リエービチ》を所持しているのと無縁ではありません」

 求められるまま、クラエスはよどみのない口調で喋った。

「今回、彼女の『失踪』もまたその事とは無関係ではないかと。現在、遺構第二〇二周辺は事故の際に飛散したの半減期を迎えようとしていますから、それに乗じて動くつもりであることが予想されます」

「……なるほど。皇帝直属軍イェニチェリがのこのこと顔を出してきたと思ったら、身内の尻拭いというわけか……。しかしこの娘が、あれほど血眼になって探した《リエービチ》の所持者とは。運命とは皮肉なものだ。私はまんまとあの後見人に欺かれたというわけだ。お前らが何を疑っているかは知らんが、ユリアナが《リエービチ》を所持していることとこの家は無関係だ。灯台もと暗しというわけだ」

 ――遺構第二○二爆発事件。

 私の頭をぎったのは、いつか、授業で説明させられた内容だ。


 ――十年前、属領アラクセス・カラバフで起こった遺構爆発事件は、周辺地域の住民を巻き込んだ甚大な人的被害を引き起こしました。この事件は当時泥沼の状況下にあったアラクセス紛争を終結させるとともに、帝国内での遺失技術の危険性に関する議論を白熱させた――


 もしかしなくても、教科書にも載っている『遺構』のことだろう。

 自分の手が震えるのがわかった。

「知らぬのは本人だけ。よいか、ユリアナ。遺構第二○二とは、兵器製造工場だ。《リエービチ》は、兵器製造を統制する人工知能――〝オレーシャ〟へのアクセス権限であり、言い換えれば、遺構の管理者というわけだ」

「…………管理者?」

「《リエービチ》を持つ者だけが、あの遺構を支配できるというわけだ。一〇年前、あそこには私の息子ウルヤナとファランドール家の技術工エンジニアを派遣し、中身の解析をさせていた。その折に、事件が起きた。《難民解放戦線》と軍部、そして我らファランドール家の三つ巴となった抗争だ。

 結果、遺構は一部機能が欠損。私の一人息子は死に、優秀な技術工エンジニアであった陳鎮雨は大罪人として宮殿の前でさらし首……肝心の義足は行方不明となり、散々だった。なにもかもを失った」

 私は言葉を失った。トラウゴットやクラエスの会話のすべてを理解できたわけではない。しかし――ひしひしと、自分にむかって押し寄せる『波』のようなものを感じていた。

 それはきっと、今この瞬間にはじめて押し寄せてきたものではない。おそらくはずっと前から――私が関知する以前から、私を取り巻いていた嵐なのだ。

 トラウゴットは煙管を台に置くと、紫煙を口から吐き出した。

「……皇帝スルタンに伝えろ、クラエス・ハクスリー。われわれは確かに彼女の《リエービチ》の所持には関与していなかった。しかし今後《リエービチ》を持つ彼女に手出しをしようものならば、技術屋集団が黙っていないぞ、と」

「技術者集団? ずいぶんと謙遜をなさる。ファランドールとはそもそも――」

「……死の商人」

 私が絞り出せた声は、ひどくかすれていた。

 クラエスの目線が、トラウゴットのまなざしが、無言で私にむけられる。

 死の商人でしょう、と私は念を押すように言った。――知らないわけではない。クラエスだってもちろんそうだろう。この場にいる人間は同じ認識を持ちながら、なぜこうももったいぶった言い回しをするのか。

 ――死の商人。それこそが、ファランドール家の異名である。

 ファランドール家は、遺失技術ロストテクノロジーの発掘と再現によって商売をしている。そして遺失技術のなかでもっとも価値があるもの。それは武器であり、兵器だ。ファランドール家はその技術を発掘し、独占することで莫大な利益を得ている。

 ファランドール家の知能テストを受け、『融資』を得ることが決まると最初に、その事実を叩き込まれる。否応なしにだ。

 ――私はずっと、その事実を遠いものだと思っていた。

 私は技術工エンジニアとして働かなくてはいけなかったが、それは大学を出たあとのことで、実感を持つにはほど遠いものだった。その解析に自分がたずさわるなんて、想像はしても――あまり現実感がなかった。

 ――しかし。いまこの男たちは、私の義足が、兵器製造施設を動かすために必要なものだと言ったのだ。

「――戦は人の性だ。帝国は争いがその意義だ。貴様はその一つの歯車に過ぎない。そして我々は、それに手を貸しているに過ぎない」

 溜息まじりに、トラウゴットは言った。

「ユリアナ。こちらを向きなさい――」

 うなだれる私に声がかかる。顔を上げると、トラウゴットの顔が視界に入った。

「ファランドール家の名を冠するからには、その業からは逃れられまい。そしてお前は何の因果か、《リエービチ》を所持している。死の運命がお前を取り巻いているのだ。そして私はもともとお前に目をかけていた。成績だけじゃない――ある理由からだ。

 ここでひとつ考えがある。――死の商人となれ、ユリアナ。

 それがもっともよい手段だ。私の息子はすでに亡く、後継候補たちも冴えないものばかり。だが、お前は死に愛されている。何十万の人が死んだアラクセス・カラバフ紛争を生き残り、欠損した右足に《リエービチ》という祝福を与えられた。そしてファランドールの名をもらい受けた。死こそがお前の原罪ではないか」

「……勝手なことを、言わないでください。私は自分のことを、そんなふうには……死の商人だなんて……」

 拳をぎゅっと握りしめた。――なにか「とてもいいこと」であるかのように語るトラウゴットを前に、沸々と、怒りがわいてくる。

「――そんな汚らわしいもの、私は望んでいません!」

「それをお前が口にするか、ユリアナ? お前の今までの生活はどのようにして成り立ってきた。お前の学費は。衣服は。食事は。恵まれたこの生活は。この国は実力主義だ。それは言い換えれば、実力の無い者にとっての地獄だ。彼らを喰い物にして、その屍を踏みしだきながらお前は生きている。喜ぶがいい、その中でも最も穢れた台に私達は立っているのだ」

「それを許容しろと仰るのですか。ならばなぜこの家を存続させるのですか。こんな家、私は認めたくはない! 私は望んでこの名前をもらったわけじゃない――ただ、生きるために」

 ――属領生まれであることを棄てるために、私はバラドの手引きによって、この家の名をもらった。

 こんなことに巻き込まれるなんて、想像すらしていなかった。

 それなのに、私も預かり知らないところで何かが起きようとしている。あるいは既に起きている最中なのか。すくなくとも、私はようやく「そのこと」を認識しはじめた。

 それなのにいきなり受け入れろなんて、できるはずがなかった。

「ならば認めろ。許容しろ。目を塞ぐことを許しはしない」

 その瞬間、私は口汚く彼を罵ろうとして、クラエスに肩を掴まれた。彼の瞳は湖のような静けさに満ちて、何も語らず私を見つめている。

「……当主殿。我々皇帝直属軍にとって、いえ、帝国にとって、ファランドール家は存続して頂かねばなりません。しかしこうして、後継になれという要求をいきなり少女に突きつけるのはいかがなものかと。ならばはじめから、貴方はファランドールの後継として、彼女を育てるべきだったという話になる」

「まさか。こんなの、ただの思いつきだ。――そして子供には子供であるべき時間が必要だ。ユリアナ、お前はその美しい瞳でお前の家を、ファランドールを蔑め。そして何時かは知る。ファランドールは必要悪なのだと」


 そう言った『父』の口元は――薄く、ゆがんでいるようにみえた。

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