(2)目にしたもの


 ガザーラ=ハディージャ帝国連邦の首都クテシフォンは、何千年にわたる歴史を孕む古代都市でもある。チグリス河の東岸に位置し、都となる前は軍の冬営地として栄えた。アラビア半島を経てこの場所が都となったのは、帝国ハディージャの西方拡大運動に拠るものが大きいという――それも過去の戦争によってユーラシア大陸の西側が焦土となり、当時の文化や技術を総じて遺失文明と呼ぶようになってからは、それも過去のもくろみとなってしまったが。

 クテシフォンは石を汲んだ壁が円形に都を囲み、街そのものが非常に緻密なつくりをしている。そのため汽車は都のなかを走ることができず、私たちを乗せた列車は壁の外側にある駅に到着した。

「――貴方がたのけったいな護衛はここまでで結構。私はこれから直接ファランドール家に向かいますので」

 首都に到着したこともあって、個室コンパートメントの外はにわかに騒がしくなる。クラエスは隅にたたんでいた車いすを出しながら、廊下に控える軍人にむかって言い放った。

 黒くかっちりとした上衣をはおると、クラエスは私を抱き上げた。

 そして車いすの上に乗せてくれる。

「どうもありがとう。――わざわざ運んでくれなくても自分でできるわ」

「まったく可愛げのない娘ですね」

 そう溜息をつきながらも車いすを押してくれるのだから、クラエスは案外面倒見がいいのかもしれない――と思う。それ以前に性格とか性格とか、破たんしているところが多すぎるから、けっして口に出そうとは思わないが。

 私たちが降車口を出たとき、プラットホームは乗客や駅員、物売りなど多くの人でひしめいていた。列車の黒煙でよどんだ空気は狭い駅舎のなかにもっていて、息をするのもためらうような匂いと熱気に満ちていた。この場所に降り立ってはじめて、私は『帰郷』に近い感情を初めて抱く。ここがほんとうに故郷であるのか、頭で考えても、体で感じても、よくわからないのが正直なところだったが。

 しかし、クテシフォンには私の『家』がある――それも、ふたつ。

 一つは、バラドと暮らしていた小さな借り部屋アパートだ。メインストリートを入ってすぐの路地、そこを少し進んだ建物の二階にある。一階はこぢんまりとした喫茶店になっていて、よく焼きたてのパンを買ったものだ。

 もう一つは――《戸籍上》の家。これからクラエスがむかうといった場所だ。私も数度くらいしか足を運んだことがなく、『家』という実感はない。

 ファランドール家は、私が融資を受け、姓をもらった《一族》だ。

 遺失技術ロストテクノロジーの発掘とその再現によって莫大な利益を得る商家、ファランドール。私は融資を受ける引き換えとして、将来的はこの一族の技術工エンジニアとして働くことが定められていた。この家独特の「慈善事業」であり、私と似た境遇の人は他に何十人といるという話だ。

 それだけファランドール家には財力があり、それゆえ優秀な人材に事欠かない。

 本来、私は当主からお呼びのかかる立場ではない。融資を受けてはいても、必要なのは成績表の提出、後見人による年に数回の報告書レポートだけ。いくらファランドールの姓を名乗ろうとも、巨大な組織の末端であるというだけで、「家族であること」と同義ではない。

 しかしエレノアは、当主が私のことを「心配している」と言った。それが何を意味するかは――実際に足を運んでみるまではわからない。

 そんなことを考えながら、私がクラエスの誘導でプラットホームを進んでいたときだった。目の前に、ひとりの男が現れる。

 特徴的な紺色の上衣、胸元には銀のバッヂ。

「ちょっと失礼。――そこのお前、身分証を見せろ。『紋』つきか?」

 見れば、プラットホームにはちらほらと目の前の男と同じ格好をした人間がいる。――治安警察隊だ。

 話しかけられたクラエスは胡乱げに目を細めた。雑踏のなか足を留めると、心底面倒くさそうに上衣のふところを探りはじめる。

 軍のIDカードを出すのかと思いきや――彼が警察の男に手渡したのは、帝国ハディージャ旅券パスポートだった。本来、属領人はどうやっても持つことのできないはずのものだ。

「〝ユリウス・イーグル〟――」

 そこに刻まれた名を読み上げると、男はおもむろに携帯端末を操作した。検索画面を出してその名前を入力すると、クラエスの顔写真とプロフィールが表示される。

 男はさっと顔を青白くして、ぺこぺこと頭を下げた。

「官僚様でいらっしゃいましたか。――とんだご無礼を。何、最近は属領系のテロが流行っているものでね……こうして警備体制を強化しているのですよ。ご存知でしょう? 最近はとくに『女王派』の――」

「よく間違えられますので。――こんな〝見た目〟ですとね」

 警察の男からむしり取るように旅券パスポートを奪い、クラエスは溜息まじりに言った。そしてにこりともせず、再度私の車いすを押して雑踏をゆく。

 なんだか苛立ったようすの彼を振り返って、「ユリウス・イーグルって?」と問いかける。クラエスは不愉快そうに淡青色の目を細めた。

「偽名。――皇帝直属軍イェニチェリは正規軍ではなく、あくまで皇帝の私的な剣でしてね。公にはしないのですよ。――今のは偽りの身分証。皇帝直属軍イェニチェリの人間であれば、誰でも持っています。本物とまったく同じ制服もね」

「あなたが本当の官僚だったら、私びっくりしちゃうわ。だって絶対向いてなさそうだもの。あなた、上の人間に媚びへつらったりできなさそうだわ」

「まったくこの娘は調子に乗って……。――仕事で活用するんですよ。実際、偽の名前と情報で戸籍を作って、帝国官僚のデータベースには登録されているのだから、ほんとうの『嘘』という訳では――」

 ――ふと、クラエスが顔を上げた。

 駅舎のガラス製の天井から燦々とふり注ぐ陽が、彼の髪をまぶしく反射させていた。私は彼の視線の先を追って、前方を見ようとして――その次の瞬間、車いすの座席からすくうように抱き上げられた。

「な……なに!?」

 間を置かず、勢いよく頭と両手足を地面に押し付けられる。四つん這いになった私の上に、クラエスが覆いかぶさった――と同時に、耳をつんざくような爆音が、プラットホーム中に響き渡った。

 それまで帰郷をよろこび――あるいはこれから旅に出ようと――談笑を交わし、涙ながらに別れを惜しみ、そして穏やかに列車に待つ人々の声が、一瞬にして沈黙する。そのすべてを覆い尽くして、爆音は二度鳴った。

 ――そう記憶している。

 何が起きたのか、クラエスの下敷きになった私にはいまひとつ理解ができない。しかし『尋常ではない』ことが起きたのは分かる。


 ――何、最近は属領系のテロが流行っているものでね――


 さきほどの治安警察の言葉を思い出したのは、クラエスが私の体を掴んで、抱き上げたときだった。そのときになってはじめて、私はその場の状況を目にした。

 熱風が吹きつける。煙に喉が焼かれる。ガラスが砕け散る。ごうごうと炎の吹き上げる音が、焦げた匂いが、私の五感を刺激する。一瞬にして狂乱の渦中に落とされたひとびとは、誰もが一斉に出口にむかおうとしていた。

 あろうことかクラエスはその流れに逆行しながら走る。

 私はただ、その空間から目を離すことしかできなかった。人でごった返したプラットホームのなかで、一か所だけ、『空洞』になった部分がある。誰もがそこを避けて通ろうとするからだ。そこではおおきな炎が燃え盛っている。その周囲には――。

 がくん、と視界が上下する。クラエスが線路に飛び降りたのだった。私は彼の肩から身を乗り出そうとしたが、その瞬間、両目を冷たいもので覆われた。

 ――クラエスの手だ。

「あんなもの、好んで目にするものでもない」

「でも……」

「怖いならしがみついてなさい。騒がれるだけ迷惑だ。――純粋培養のお嬢様はこれだから困るものだ」

 刺刺しい声でクラエスは言った。私はそこではじめて自分の体が震えていることに気が付いた――これまで、『死体』であれば何度も目にしてきたはずなのに。

 これまでとは別種の恐怖感が、胸のなかで膨らんでいた。――人間の体とは、あそこまで原型を留めなくなってしまうものなのか。

「……自爆テロですよ。見た限りだと、幼い少年が……いや、そんなことはどうでもいい。まったく、私にあらぬ疑いはかけてもまともな仕事をしないな、治安警察は……」

 ぶつくさと言いながら煙に包まれた駅舎内の線路を進み、ある場所で足を留める。そのころには目隠しの手も離れていた。私は線路際の壁に非常用の小さな扉を発見する。

 クラエスが皇帝直属軍イェニチェリのIDカードをかざすと、たちまち電子ロックが解除される。扉のむこうには階段が続き、その先は細い地下通路となっていた。非常灯のオレンジの明かりがぼんやりと灯り、頼りない道を照らしている。

「駅員用通路ですよ。このまま首都の地下鉄にもつながっている。――今回はここから行きましょう」

「……外に出ないの?」

「今ごろひどい有様でしょう。変に事情聴取されてもたまらない。――私が《こんな見た目》ですからね」

 クラエスは溜息まじりにそう言った。

 その言葉に安堵する。今もう一度あの混乱のなかに戻ったら、きっと頭がどうかしてしまうと思ってしまったからだった。

 しかしそれを表に出すことはせず、そうなの、と私は鼻を鳴らした。クラエスが信頼に値する人物だとは思えず、虚勢を張ることしかできなかったのだ。きっとこんなとき、バラドであれば優しく抱擁をしてくれたはずだ――そんなことを考えてしまって、胸がツキンと痛んだ。

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