(2)目にしたもの
ガザーラ=ハディージャ帝国連邦の首都クテシフォンは、何千年にわたる歴史を孕む古代都市でもある。チグリス河の東岸に位置し、都となる前は軍の冬営地として栄えた。アラビア半島を経てこの場所が都となったのは、
クテシフォンは石を汲んだ壁が円形に都を囲み、街そのものが非常に緻密なつくりをしている。そのため汽車は都のなかを走ることができず、私たちを乗せた列車は壁の外側にある駅に到着した。
「――貴方がたのけったいな護衛はここまでで結構。私はこれから直接ファランドール家に向かいますので」
首都に到着したこともあって、
黒くかっちりとした上衣をはおると、クラエスは私を抱き上げた。
そして車いすの上に乗せてくれる。
「どうもありがとう。――わざわざ運んでくれなくても自分でできるわ」
「まったく可愛げのない娘ですね」
そう溜息をつきながらも車いすを押してくれるのだから、クラエスは案外面倒見がいいのかもしれない――と思う。それ以前に性格とか性格とか、破たんしているところが多すぎるから、けっして口に出そうとは思わないが。
私たちが降車口を出たとき、プラットホームは乗客や駅員、物売りなど多くの人でひしめいていた。列車の黒煙でよどんだ空気は狭い駅舎のなかに
しかし、クテシフォンには私の『家』がある――それも、ふたつ。
一つは、バラドと暮らしていた小さな
もう一つは――《戸籍上》の家。これからクラエスがむかうといった場所だ。私も数度くらいしか足を運んだことがなく、『家』という実感はない。
ファランドール家は、私が融資を受け、姓をもらった《一族》だ。
それだけファランドール家には財力があり、それゆえ優秀な人材に事欠かない。
本来、私は当主からお呼びのかかる立場ではない。融資を受けてはいても、必要なのは成績表の提出、後見人による年に数回の
しかしエレノアは、当主が私のことを「心配している」と言った。それが何を意味するかは――実際に足を運んでみるまではわからない。
そんなことを考えながら、私がクラエスの誘導でプラットホームを進んでいたときだった。目の前に、ひとりの男が現れる。
特徴的な紺色の上衣、胸元には銀のバッヂ。
「ちょっと失礼。――そこのお前、身分証を見せろ。『紋』つきか?」
見れば、プラットホームにはちらほらと目の前の男と同じ格好をした人間がいる。――治安警察隊だ。
話しかけられたクラエスは胡乱げに目を細めた。雑踏のなか足を留めると、心底面倒くさそうに上衣のふところを探りはじめる。
軍のIDカードを出すのかと思いきや――彼が警察の男に手渡したのは、
「〝ユリウス・イーグル〟――」
そこに刻まれた名を読み上げると、男はおもむろに携帯端末を操作した。検索画面を出してその名前を入力すると、クラエスの顔写真とプロフィールが表示される。
男はさっと顔を青白くして、ぺこぺこと頭を下げた。
「官僚様でいらっしゃいましたか。――とんだご無礼を。何、最近は属領系のテロが流行っているものでね……こうして警備体制を強化しているのですよ。ご存知でしょう? 最近はとくに『女王派』の――」
「よく間違えられますので。――こんな〝見た目〟ですとね」
警察の男からむしり取るように
なんだか苛立ったようすの彼を振り返って、「ユリウス・イーグルって?」と問いかける。クラエスは不愉快そうに淡青色の目を細めた。
「偽名。――
「あなたが本当の官僚だったら、私びっくりしちゃうわ。だって絶対向いてなさそうだもの。あなた、上の人間に媚びへつらったりできなさそうだわ」
「まったくこの娘は調子に乗って……。――仕事で活用するんですよ。実際、偽の名前と情報で戸籍を作って、帝国官僚のデータベースには登録されているのだから、ほんとうの『嘘』という訳では――」
――ふと、クラエスが顔を上げた。
駅舎のガラス製の天井から燦々とふり注ぐ陽が、彼の髪をまぶしく反射させていた。私は彼の視線の先を追って、前方を見ようとして――その次の瞬間、車いすの座席からすくうように抱き上げられた。
「な……なに!?」
間を置かず、勢いよく頭と両手足を地面に押し付けられる。四つん這いになった私の上に、クラエスが覆いかぶさった――と同時に、耳をつんざくような爆音が、プラットホーム中に響き渡った。
それまで帰郷をよろこび――あるいはこれから旅に出ようと――談笑を交わし、涙ながらに別れを惜しみ、そして穏やかに列車に待つ人々の声が、一瞬にして沈黙する。そのすべてを覆い尽くして、爆音は二度鳴った。
――そう記憶している。
何が起きたのか、クラエスの下敷きになった私にはいまひとつ理解ができない。しかし『尋常ではない』ことが起きたのは分かる。
――何、最近は属領系のテロが流行っているものでね――
さきほどの治安警察の言葉を思い出したのは、クラエスが私の体を掴んで、抱き上げたときだった。そのときになってはじめて、私はその場の状況を目にした。
熱風が吹きつける。煙に喉が焼かれる。ガラスが砕け散る。ごうごうと炎の吹き上げる音が、焦げた匂いが、私の五感を刺激する。一瞬にして狂乱の渦中に落とされたひとびとは、誰もが一斉に出口にむかおうとしていた。
あろうことかクラエスはその流れに逆行しながら走る。
私はただ、その空間から目を離すことしかできなかった。人でごった返したプラットホームのなかで、一か所だけ、『空洞』になった部分がある。誰もがそこを避けて通ろうとするからだ。そこではおおきな炎が燃え盛っている。その周囲には――。
がくん、と視界が上下する。クラエスが線路に飛び降りたのだった。私は彼の肩から身を乗り出そうとしたが、その瞬間、両目を冷たいもので覆われた。
――クラエスの手だ。
「あんなもの、好んで目にするものでもない」
「でも……」
「怖いならしがみついてなさい。騒がれるだけ迷惑だ。――純粋培養のお嬢様はこれだから困るものだ」
刺刺しい声でクラエスは言った。私はそこではじめて自分の体が震えていることに気が付いた――これまで、『死体』であれば何度も目にしてきたはずなのに。
これまでとは別種の恐怖感が、胸のなかで膨らんでいた。――人間の体とは、あそこまで原型を留めなくなってしまうものなのか。
「……自爆テロですよ。見た限りだと、幼い少年が……いや、そんなことはどうでもいい。まったく、私にあらぬ疑いはかけてもまともな仕事をしないな、治安警察は……」
ぶつくさと言いながら煙に包まれた駅舎内の線路を進み、ある場所で足を留める。そのころには目隠しの手も離れていた。私は線路際の壁に非常用の小さな扉を発見する。
クラエスが
「駅員用通路ですよ。このまま首都の地下鉄にもつながっている。――今回はここから行きましょう」
「……外に出ないの?」
「今ごろひどい有様でしょう。変に事情聴取されてもたまらない。――私が《こんな見た目》ですからね」
クラエスは溜息まじりにそう言った。
その言葉に安堵する。今もう一度あの混乱のなかに戻ったら、きっと頭がどうかしてしまうと思ってしまったからだった。
しかしそれを表に出すことはせず、そうなの、と私は鼻を鳴らした。クラエスが信頼に値する人物だとは思えず、虚勢を張ることしかできなかったのだ。きっとこんなとき、バラドであれば優しく抱擁をしてくれたはずだ――そんなことを考えてしまって、胸がツキンと痛んだ。
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