(4)輸送完了
――こういうとき、どう答えるのが一番適切なのか。
クラエスに肩を掴まれたまま、私は膝に載せた拳を震わせた。明確な怒りを感じていた。トラウゴットに対する怒りというよりは、《ファランドール》という家名が意味するものについて無自覚だった、自分自身に対する怒りなのかもしれなかった。
たしかに、私はまだ子どもだ。しかし子どもだという理由であなどられるのは我慢がならない性質だ。同じくらい、子どもであることに甘んじる自分も。
『何も知らない』にはいやだ。けれども『何も知らない』ままでいたい自分が確かに存在する。そのほうが、よけいに傷つく必要がないから。無関心でいられるから。家名についても――バラドについても。
拳を固く握る。何かを言いかけた、そのとき。
――外から、轟音が響く。
「……そろそろ、そちらの指定した時間か」
ふところから
そしてクラエスの背後にある扉を、外にむかって開け放つ。
明るい光が一面を照らすなか、ザア、と中庭の樹々が激しく揺れている――風を切るブレードの音が、はるか上空から反響をする。
私は床をはいずって移動すると、客間の出入り口から空を見上げた。
青い空には一機のヘリがあった。黒く塗装された機体は硬質な光を放ち、ブレードを間断なく旋回させている。中庭の真上にあって、耳をつんざくような音を響かせながら明らかに高度を下げつつあった。
いくらここが世界一の《商家》の庭といえども、ヘリが着陸できるスペースや設備は用意されていないはずだ。そもそも、飛行機や衛星といった空や宇宙に関する
――まさか、またおかしな組織か何かだろうか? 攻撃目的で? 不安が頭をかすめた瞬間、まだ上空にあるそれの扉が開け放たれると、一本の梯子が落ちてきた。
その先端に、ひとりの人間がぶら下がっている。私が息を呑むやいなや、『彼』は空から飛び降りた――なにかの包みを抱え、いかにも重そうな鎧で全身を覆った姿で。あの高度ならば、体が見る影もなくひしゃげてしまう。思わず目を覆いかけた私の心配をよそに、そのひとは難なく中庭に降り立った。
そして不自由するそぶりもなく、ごく自然に、スタスタとこちらにむかって歩いてくる。その見慣れた鎧兜を視界に入れて、私はようやくあのキナアであることに気が付いたのだった。
「――ご苦労、キナア。空の旅はいかがでしたか」
壁に寄りかかったクラエスが声をかけるが、やはり返事はなかった。
キナアはまっすぐ私とトラウゴットのいるほうへ歩いてきて――ふと足を止めると、地面に跪いた。彼が
「……私に?」
キナアがこくりとうなずく。
おずおずと手を伸ばして、彼から包みを受け取る。するとなじんだ重みを感じて、私は慌ててそれをくるむ布の結び目を解いた。姿を現したのは、キラキラと七色の光を放つ透明な義足。
《リエービチ》だ。
それを目にした瞬間、私は思わず義足を抱きしめていた。
「輸送するとは聞いていたが、まさか軍用機で運んでくるとはな。《リエービチ》の重要性を考えればそれも当然だが……私ではなく、ユリアナに『返す』のがお前たちの総意か?」
「《リエービチ》は不確定な要素が多いですから。所持者と引き離せば、遺構に何かの影響が及ぶとも限らない――というのが、軍の見解ですが」
「なるほど。おおむね同意しよう。生きた人間さえも、ルスラン・カドィロフの描いた、壮大な『白鳥の湖』――そのコードの一部というわけだからな」
会話をするふたりをよそに、今度はキナアが別のものを私の前に出した。荷鞄だ。女学院から持ち出したものだったが、桑雨と逃げる際、アル・カーヒラのどこかで紛失してしまったのだ。
「あなたが見つけてくれたの? ありがとう。ここに家の鍵も入れていたから、困っていたのよ」
顔のこわばりがゆるみ、思わず笑みが浮かんだ。私は弾んだ声で答えて、キナアから鞄を受け取った。そしてそのとき、彼の手甲から覗く生身の肌を目にした。
――赤銅色の肌だ。黒い手甲のつなぎ目からみえた彼の指には、ところどころ、生々しい傷の跡がある。動物か何かに噛まれたような……。
「キナア、あなた、手を怪我しているの? ――ちゃんと手当をしないと、化膿しちゃうわよ」
私の指摘に、キナアはわずかな間を置いて、頭を左右に振った。「たいしたことはない」とでも言いたげな態度だった。
彼は複雑な身の上のようだし、あまり触れられたくはないのかもしれない。
私はもう一度礼だけ言って、荷鞄の中身を確かめた。衣服に下着、家の鍵、薬――すべて揃っていることを確認したあと、鞄の底に押し込まれたものに気が付いた。
引っ張り出してみれば、ひとつの封書だった。見覚えがないものだ――「キナア、これは私のじゃないわ」そう言いかけた矢先、彼はくるりと背を向けて、どこかにむかって歩き出してしまう。――聞こえなかったのだろうか?
「ユリアナ」
トラウゴットに呼ばれ、私は顔を上げた。
「明日、家の
「……わかりました。あの、義足が治ったら――私は女学院に帰れるのでしょうか?」
わずかな期待をこめて、私は問いかけた。
私のこの義足を中心に、なにか尋常ではないことが起きている。そのことを理解しつつあっても、私の頭には学園での生活があった。本心では、今起きている出来事と、私そのものには深い関係がないと信じていたいからだ。
――しかし、その期待は打ち砕かれる。
「……お前は帝都で暮らすことになる。しばらくは――すくなくとも、この〝ほとぼり〟が冷めるまでは」
「それは……私がこの義足の持ち主だからですか? たとえば、私がこの義足の所有権をどうにかして棄てれば……」
「少なくとも、現地――アラクセス・カラバフの遺構第二〇二にまで足を運ばねば、お前はその管理権限と義足を第三者に渡すことはできない。――そしてそれは、お前が決めることではない。お前の処遇についても、同じこと」
ぴしゃりと言いきられて、私はうなだれた。
トラウゴットの言葉は、私に自由意志はないと言われたも同然だった。ここで異議を申し立てても、結果は変わらないと確信させる、彼の冷たく乾いた目。――そのまなざしが私の心を折る。私をなんの力もない、子どもだとあなどる目だ。
そして悲しいことに――私は今、ひとりで立つことさえできない、事実上無力な子どもに違いなかった。そのことが何よりも悔しかった。せめて立つことができたならば、ここから走って逃げるくらいはできるのに……。
ひんやりと冷たい『右足』を撫でる。――私だって、進んでこれを捨てたいわけではない。これはバラドから貰った、大切な足なのだから。しかしこの義足のせいで、結果的に今、私は自由を奪われる形になってしまったというわけだ。
ただ平穏に学園生活を送って、大学に入り、
「――――しばらくは、私が彼女の護衛を」
肩を落とした私に、クラエスの声が降りかかった。
「すくなくとも、《難民解放戦線》はファランドール家と
「……なるほど。ファランドール家はたしかに技術屋集団であって、それ自体に兵力があるわけではない。ここは専門家の君たちに任せるとしよう。
――すくなくとも今はね」
うなずき、トラウゴットは歩き始めた。
ファランドール家の当主は多忙だ。常に各地の遺構を渡り歩いている――から、このままどこかへ向かうのかもしれなかった。
冷たい風が吹き、中庭の樹々を揺らす。
取り残された私は、当主の背をぼんやりと見送った。そして思いだしたように右足を抱きしめて、無言のクラエスを見上げたのだった。
「……私、どうすればいいの?」
クラエスは肩を竦めた。自分で考えろとでも言いたげな態度だった。
なにか、優しい返事をもらえると思っていたのかもしれなかった。自分の甘い期待を見透かされたようで、ツキンと胸が痛くなった。
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