(9)リエービチ

「――じゃ、行こうか? 僕らのアジトに」

 溌剌とした声で、桑雨サンウはあっけらかんと言った。

「……あなたも仲間なの。その、難民解放戦線とかいうものの……」

「出入りをしているだけさ。彼らの仕事をすこしだけ手伝っているんだ。臓器を売るにはそれを取り出す人間も必要だろう? これも学費のため――ひいては世のため、人のためさ」

 やはり調子の変わらない、桑雨の明るい声に寒気がする。

 私は男たちに両脇をがっちりと固められ、さらには目を布で覆われてしまった。こんな暗い場所では、大して変わらないだろうに――そう不満を訴えようとした矢先、今度は別の布で口を縛られる。

 間も置かず肩を押されれば、私はすなおに歩き出すほかなかった。ここで抵抗しようものならば――彼らの手にした銃やなたが頭の片隅をちらつく。

 しばらく、誰ももが黙りこくって歩いた。遠く、どこからか漏れているであろう水の音しか聞こえない。それよりも、自分の心音のほうがよっぽど大きく響いた。

「ああ、そのあたり、床が腐食していてくずれそうなんだ。落っこちないように気を付けてね」

 そう指摘され、底から吹き上げるさめざめと冷たい風に身震いした。

 強引に噛ませられた布の埃っぽい味が口のなかにわだかまり、きつく縛られたせいで唇や歯茎が痺れはじめていた。

 いったい、私はこれからどうなってしまうのだろう。そのことを思うと、ひどく気が滅入めいった。思えばこの数日、私の生活は波瀾に満ちていた。どこからか帝国軍人がやってきたかと思えば、いわれのない罪を突き付けられて――この街まで連れてこられたかと思えば、こんなふうに、得体のしれない連中につかまって。

 ――今度は、いよいよ、殺されてしまうのだろうか?

 桑雨サンウが言うには、私の義足はとても大事なものらしい。物ごころがついたときから一緒に在るものだから、特段、意識したことはなかった。見た目が特徴的なだけで、性能だってふつうの義足と違わないと思っている。空を飛んだり、魔法のような出来事を起こしたりできるわけじゃないのだ――それを奪うために、かれらは私の命を取ってしまうかもしれないのだ。

 そう考えたとき、頭に引っかかるものがあった。

 この脚を、幼いころに私にプレゼントしてくれた人がいる。バラドだ。彼は私の後見人となり、『ファランドール』の姓を与えた。ファランドールとは、帝国一の商人一族であり――『遺失技術ロストテクノロジー』を主要な製品とする企業の名でもある。彼らは知能テストをパスした子どもに対し、高等教育を受けさせるための融資をする。生涯、一族の技術工エンジニアとして働くことと引き換えに。

 慈善事業というやつだが、いま、大事なのはそのことではない。桑雨サンウが口にした〝難民解放戦線〟――その響きを、私はたしかにどこかで耳にした。

 授業だろうか? 家の関係? それとも――。


 ――容疑者バラドは、帝国政府に対して謀反未遂を起こしました。彼は難民解放戦線の一員とみられ、現在は国内を逃走中です――


 バラド。

 ――この先に、彼がいるのだろうか?


 ◆


 目隠しを外されたとき、いつのまに地上へ出たのだろうか、私は廃ビルらしき建物のなかに居た。このアル・カーヒラの地下に張り巡らされた水路は、なるほど確かに様々な場所に通じているらしい。不法組織の温床になるのもよくわかるというわけだ。隠れやすいし、逃げやすい。なぜならば誰もその全貌を把握していないのだから。

「――さて、頭領は起きているのかな? せっかくの手土産、一番に報告してあげたいよねえ」

 ずるずると引きずられるように、ビルの奥へと連れて行かれる――あちこちがひび割れ、あるいは腐食してくずれ、配線や骨組みがむきだしになった床には粗末な装いの老若男女がひしめき合うように座っている。もののすえた臭いがした。時折目つきの悪い男がこちらを睨んできたかと思えば、その腕には黒光りするライフル銃が抱えられていたりもした。

 ――ここが、桑雨の言う《難民解放戦線》の根城なのか。

 アラクセス・カラバフ紛争は、属領内外に多くの難民を出したことで知られる。というのも、アラクセスは内に複数の民族を包括する地域で、紛争時のごたごたで居住地を覆われた異民族が多かったのだ。それだけでない。――この紛争で、アラクセス人はみずからの居住地を追われたのだ。政治的理由によって。

 複数の視線からのがれようと、私は前を向いた。あるいはその集団のなかに、バラドをみつけてしまうことをおそれたのかもしれなかった。

 直後、視界に入ったのは、割れて穴のあいた天井からむきだしになった骨組み――そこから無造作に垂れさがる巨大な織物だった。黒を基調として、白金赤の三色をたくみに扱い、両翼を広げた鷲を織り込んでいる。へりには曲がりくねった葡萄の木蔓きづるが続く。――一見して、アラクセス産の織物であるとわかる。

 私は緊張をおぼえた。この先に、誰か重要な人物がいることは明白だった。

 はたして、織物のむこうにはひとりの男がいた。

 大柄な男だ。総白髪と日焼けした肌、そこにきざまれた皺は年をうかがわせたが、顔つきは精悍で、鍛え上げられた肉体も衰えを感じさせない。紫色の瞳は生気に満ちて、こちらを値踏みをするようにねめつけていた。

「――桑雨サンウ、その娘は?」

 桑雨はまえぶれもなく私の腕を掴み、引っ張った。放り出されるように床に倒れ込んだ私の頭に、彼女の声が降りかかる。

「口で説明するより見たほうが早い――きっと喜ぶよ、アラム」

 彼女は硬い靴底で、私の背を蹴り、床に押しつけた。

 素地がむきだしになった冷たい床に、私はうつ伏せで転がされた――と思ったのも束の間、右足の付け根に激痛が走る。

 桑雨のほっそりとした手が、私の右足を引きはがしにかかっていたのだ。身をよじり、抵抗しようとすれば、別の男に頭を押さえつけられた。したたかに額を床で打ち、噛みしめた唇が切れる――それでも爪を床のひび割れに引っかけ、私はなんとか起き上がろうと踏ん張った。

「……めっ、」

 布のくつわが動いた拍子に外れ、うめき声が漏れる。じたばたともがく私の姿が目障りだったのか、桑雨サンウが苛立たしげに腰を叩いた。「おとなしくしてよ」――その声にも従わず、私は身を引こうとする。それでも彼女の腕力にはかなわず、右足を天井にむかって引きずり上げられた。

「やめて………奪わないで……!」

 これは、バラドからもらった、たったひとつの足なのだ。

 ――この足があったから、私は……。

 数度、ねじるようにして引っ張られた足は、繊維状のなにかがちぎれる音を響かせ――そのたびに右足のつけねから背骨にかけて灼けるような痛みが走り――私の絶叫とともに、最後にはあっけなく外れてしまった。

 私はあるべき質量がなくなってしまったことに呆然とした。脂汗がうなじを伝い、唇から血のいりまじった唾液がしたたり、床に落ちた。

 桑雨はそしらぬ顔で人工皮膚のカバーを落とし、その『脚』を電球の明かりに透かした。次いで、アラムと呼ばれた男から感嘆のため息が漏れた。

「……《リエービチ》。まさか、このような砂の街で目にしようとは」

 七色のきらめきを放つその脚を受け取って、アラムは笑った。

 私は床上にうずくまったまま、まだ鋭利な痛みの残る右足に触れ――そしてきつく奥歯を噛みしめると、頭をもたげた。

「……返してっ!」

 彼らが義足に気を取られて拘束がゆるんだ隙に、身を跳ね起こした。そして腕をアラムにむかって伸ばした――ともすれば、背後にいた別の人間に頭を殴られた。視界を、太い銃身が過ぎっていった。

 ぐにゃりと目の前が歪み、平衡感覚が失われた。額が割れ、血が垂れている。

「それは私のものよ……私の足よ……!」

 それでもなお、私は抵抗しようとした。うまく声を出せているのか、呂律さえ回っていないのか、それさえも定かではない。

 立て続けに頭を殴られて、ついに私はその場に倒れ込んだ。

 なおも見開いた目は熱く、視界を埋めた天井――その隅できらめく脚のつま先がぼやけてみえた。必死に手を伸ばそうとしたが、どうしてか、腕がまったく上がらない。頭痛がひどかった。胸が張り裂けそうで、いまにも叫び出したいのに、舌が痺れて声が出せなかった。

 深い暗渠あんきょの底に、身を投げ出されたかのような――これまでどんな苦境でも味わうことのなかった喪失感と絶望が、私の視界を塗り潰していく。

「どういう因果か知らないけど、ファランドールの娘が持っていたよ。この子には利用価値がある。おそらく、リエービチ……この義足は、遺構爆発事件の折に、あの家によってひそかに回収されていた可能性が高い。ファランドールはずる賢い連中だからね」

「そうだな。ならば……」

 涙がこぼれた。口のなかを噛んで声を押し殺す――そしてがんがんと頭に響く痛みが、私の意識を、深い泥中へとさらっていた。

 

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