(6)砂上都市
帝国こと、ガザーラ=ハディージャ帝国連邦は東西に広い領土を持つ国だ。領土は、首都中央政府を司令塔に、地方政府によって統治される『直轄地』、
真夜中にアル・カーヒラにたどりついた私たちは――てっきり軍の施設に連れていかれるのかと思えば――大通りに面した宿を取った。クラエスはキナアを残して外出してしまい、そのまま一晩戻ってくることはなかった。私はキナアの監視のもと、逃げる機会をうかがうつもりが――慣れない旅疲れのためか、すぐに寝落ちてしまった。
翌朝は外に連れ出された。灼熱に蒸し焼きにされた砂の街の空気は、
「武器の取引場に行きます。貴方を連れ出したくはありませんが、監視下に置くためには仕様のないことですからね」
そう言ってむかったのは、大通りにほど近い
雑踏のなか、朗々とした声で街頭職人が商品の説明をする。アル・カーヒラは交通の要衝としてあたり一帯の交易拠点でもあるせいか、褐色の踊り子から色白の
私はクラエスに腕を掴まれたまま、居並ぶ専門店の
――あれは猛禽類を扱う店だ。ハヤブサや鷹、フクロウやみみずくなんかもいる。どれも鳥かごのなかに入れられて、窮屈そう。
――青果店だ。店主が割ったザクロから、赤い実が汁とともにこぼれ落ちる。
――宝飾品専門店、それも黄金だけの。陽射しのなかではあんまりにもまぶしくて目がチカチカして痛い。
――仕立て屋。
様々な生地のなかでひときわ私の目を引いたのは、黒いベルベットの生地だ。
ほんとうは今頃、バラドと小旅行に出かけているはずだったのだ。そこで私は、誕生祝いに服を仕立てもらう予定だった……。
そのとき、私とクラエスの間に、大柄な人間がぶつかった。とっさのことに彼の腕が離れる。――チャンスだ。ひとごみに紛れて逃げ出せる。そう思った矢先、背後からぐいっと肩を掴まれた。忘れていた。この場にはキナアもいたのだ。彼はこの人混み、この気温の中でも変わらず厳つい甲冑姿だった。時折、周囲からは奇異の視線が飛んでくるが、意にも介していないようすだった。
「……おや」
雑踏を抜け、取引場として隣接する
彼の瞳は道端にむけられていた。――なにか、もめごとが起きているようだった。軍人らしくそれを止めるのかと思いきや、どこか無感動な視線を投げつけている。
「――どこの子どもやら」
私たちの目線の先では、商人風の装いをした男が数人、ひとりの子どもを取り囲んでいた。夜色の肌に黒髪、それだけなら帝国人にもある風貌だが、身につけた装飾品は
属領の子どもだろうか。
商い品でも盗んだのかもしれなかった。土煙のむこうで、身を丸めた少年の服が剥がれた。夜色の肌には桃色に隆起した傷の跡があった。――『紋』だ。
『紋』――それは、この帝国で《最下層》を意味する。
帝国と属領は、似て非なるものだ。属領に生まれついた非帝国人は、この国において最下層に位置づけられる。みずからの文化、それらを示す名を奪われた土地で、属領出身であることを示す焼き印である『紋』を肉体に刻まれるのだ。奴隷制度こそないものの、生涯にわたって、帝国人と同等に扱いを受けることはできない――本来ならば。
「助けないの? 軍人でしょう」
「このあたりは
「だったら先に進めばいいじゃない。取引場に行くんでしょう」
「貴方こそ、興味はない? 貴方は属領出身でしょう」
「私は帝国人よ。……少なくとも今はね」
「貴方の後見人もまた属領の生まれでしょう」
――バラドの戸籍は『偽造』されていた、とクラエスは言っていた。そのことが頭を
「いいえ、彼も帝国人よ。……戸籍が偽造されていてもよ。手段を選ばなければ属領出身でも道は開ける。『紋』に甘んじるのは、この国に同化できず、幻想を追い求める人間だけよ」
理不尽な暴力を一方的に受け、属領人の子どもはボロボロだった。顔は腫れあがり、元の容貌さえわからない。
やがて商人たちは口汚い言葉で彼をののしると、ようやくその場を引きあげていった。残された子どもは、土埃の立つ道脇で、みじろぎもせず横たわっていた。
「――そうですね。彼らはたしかにこの国に同化できない。だからこそ、バラド・ヴィ・サフサーフも叛徒に身をやつしたのでは?」
クラエスの答えに、私はうつむく。
彼の推測は、すくなからず、私の頭の片隅にもあったものだった。
彼の輝かしい経歴は私にとってあこがれで、『目標』でもあった。
――それなのに。
「……でも、今ここにあったのは単純な暴力でしょう。それについて言及するならば、貴方はそれを悪だと理解しながら、何もすることのできない矮小な人間だ」
「単純かしら? 少なくとも属領にはできるだけ関わりたくないわ。――もし助けたことで悪目立ちして、私が属領出身だとわかってしまったら? 現実は勧善懲悪の物語で終わりやしない。子どもだって知っていることよ」
クラエスは無表情だった。
無言で歩き出した彼の目は、すでに私を映してはいない。
「……何よ。貴方だって、何もしなかったじゃない」
「そうですね。私は悪い大人ですから。やっかいごとはできるだけ避けたい、面倒ごとも抱え込みたくはない。まあ、避けられない事態も――抱え込まなければいけない『面倒』も、生きて行く上ではあるものですが」
クラエスはひとりごとを呟くようにそう言った。
しかし無意識のうちに責められている気がして、私の心はささくれだった。
彼も、私が悪しき人間だと責めるつもりなのか。すべての者に平等に接しろと諭すのだろうか。女学院では、口がすっぱくなるくらい教師が繰り出し、ことあるごとに言ったことば。ズルはいけない、足並みをそろえなさい、他人に優しくしなさい――彼女たちは、だれひとりとして生徒を平等に扱おうとしなかったのに。
――その後、クラエスは取引場で何種類かの弾丸を引き取った。その足で宿に帰ったものの、クラエスは即座に外出してしまう。
昨晩同様、私はキナアとともに部屋に残された。
「……ねえ、体を拭きたいの。部屋の外に出てくれない?」
ふたつしかない寝台に、私たちは向かい合って腰かけていた。
「昨日、
私の言葉に、キナアは剣を鞘に戻し、すっくと立ち上がった。
どうやら、消毒薬を取りに行ってくれるらしかった。部屋の鍵を握りしめた彼の背に「ありがとう」と声をかける。
――今だ。
ちょろいものだ。部屋にひとりになった瞬間、私は宿の窓から外を確認し、あの金髪を探した。――見当たらない。
私の胸は高鳴った。急いで外套を羽織ると、荷鞄を背負った。そしていつかと同じように、窓の両扉を開け放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます