(6)砂上都市

 帝国こと、ガザーラ=ハディージャ帝国連邦は東西に広い領土を持つ国だ。領土は、首都中央政府を司令塔に、地方政府によって統治される『直轄地』、副王府アウディエンシアが治める被征服地である『属領』の二種類に大別される――私たちが辿りついた砂上都市アル・カーヒラは、そのなかでも地方政府が置かれる〝直轄地〟だ。繁栄の歴史が長く、教育機関が充実していることで知られる。帝国一と謳われる最高学府、アズハル高等学院もアル・カーヒラが本拠地だ。

 真夜中にアル・カーヒラにたどりついた私たちは――てっきり軍の施設に連れていかれるのかと思えば――大通りに面した宿を取った。クラエスはキナアを残して外出してしまい、そのまま一晩戻ってくることはなかった。私はキナアの監視のもと、逃げる機会をうかがうつもりが――慣れない旅疲れのためか、すぐに寝落ちてしまった。

 翌朝は外に連れ出された。灼熱に蒸し焼きにされた砂の街の空気は、砂漠バーディヤのそれとはことなり、生臭いにおいがして、心なしかすこしよどんでいた。定期的に砂嵐があるせいか、あたりは黄色くけぶり、常に埃っぽい。

「武器の取引場に行きます。貴方を連れ出したくはありませんが、監視下に置くためには仕様のないことですからね」

 そう言ってむかったのは、大通りにほど近い市場スークの一帯だった。朝の一番盛況な時間帯、周辺は見渡すかぎり人でごった返していた。

 雑踏のなか、朗々とした声で街頭職人が商品の説明をする。アル・カーヒラは交通の要衝としてあたり一帯の交易拠点でもあるせいか、褐色の踊り子から色白の行商人ファッラグナーまで、帝国や属領、そのほかの地域を問わず、さまざまな人種や言語が飛び交っていた。

 私はクラエスに腕を掴まれたまま、居並ぶ専門店の天幕テントに目移りしていた。すこしでも足を止めれば、ひと睨みされで腕を掴む手に力が籠もるのだから、流し見するくらいしかできなかったが。

 ――あれは猛禽類を扱う店だ。ハヤブサや鷹、フクロウやみみずくなんかもいる。どれも鳥かごのなかに入れられて、窮屈そう。

 ――青果店だ。店主が割ったザクロから、赤い実が汁とともにこぼれ落ちる。

 ――宝飾品専門店、それも黄金だけの。陽射しのなかではあんまりにもまぶしくて目がチカチカして痛い。

 ――仕立て屋。

 様々な生地のなかでひときわ私の目を引いたのは、黒いベルベットの生地だ。外套コートやワンピースにして、冬のアレクサンドリアで身に着けるにはおあつらえむきだろう――そう考えたとき、私はふいに胸が苦しくなった。

 ほんとうは今頃、バラドと小旅行に出かけているはずだったのだ。そこで私は、誕生祝いに服を仕立てもらう予定だった……。

 そのとき、私とクラエスの間に、大柄な人間がぶつかった。とっさのことに彼の腕が離れる。――チャンスだ。ひとごみに紛れて逃げ出せる。そう思った矢先、背後からぐいっと肩を掴まれた。忘れていた。この場にはキナアもいたのだ。彼はこの人混み、この気温の中でも変わらず厳つい甲冑姿だった。時折、周囲からは奇異の視線が飛んでくるが、意にも介していないようすだった。

「……おや」

 雑踏を抜け、取引場として隣接する行商宿キャラバンサライにさしかかったときだった。ふいにクラエスが足を止め、私もそれに続く。

 彼の瞳は道端にむけられていた。――なにか、もめごとが起きているようだった。軍人らしくそれを止めるのかと思いきや、どこか無感動な視線を投げつけている。

「――どこの子どもやら」

 私たちの目線の先では、商人風の装いをした男が数人、ひとりの子どもを取り囲んでいた。夜色の肌に黒髪、それだけなら帝国人にもある風貌だが、身につけた装飾品は帝国ハディージャの文化に由来するものではない。

 属領の子どもだろうか。

 商い品でも盗んだのかもしれなかった。土煙のむこうで、身を丸めた少年の服が剥がれた。夜色の肌には桃色に隆起した傷の跡があった。――『紋』だ。

 『紋』――それは、この帝国で《最下層》を意味する。

 帝国と属領は、似て非なるものだ。属領に生まれついた非帝国人は、この国において最下層に位置づけられる。みずからの文化、それらを示す名を奪われた土地で、属領出身であることを示す焼き印である『紋』を肉体に刻まれるのだ。奴隷制度こそないものの、生涯にわたって、帝国人と同等に扱いを受けることはできない――本来ならば。

「助けないの? 軍人でしょう」

「このあたりは荒くれ者シュッタールの管轄地でね。うかつに手出しをしたら、それこそ私が指を詰めるはめになってしまう」

「だったら先に進めばいいじゃない。取引場に行くんでしょう」

「貴方こそ、興味はない? 貴方は属領出身でしょう」

「私は帝国人よ。……少なくとも今はね」

「貴方の後見人もまた属領の生まれでしょう」

 ――バラドの戸籍は『偽造』されていた、とクラエスは言っていた。そのことが頭をぎったが、私は首を左右に振る。

「いいえ、彼も帝国人よ。……戸籍が偽造されていてもよ。手段を選ばなければ属領出身でも道は開ける。『紋』に甘んじるのは、この国に同化できず、幻想を追い求める人間だけよ」

 理不尽な暴力を一方的に受け、属領人の子どもはボロボロだった。顔は腫れあがり、元の容貌さえわからない。

 やがて商人たちは口汚い言葉で彼をののしると、ようやくその場を引きあげていった。残された子どもは、土埃の立つ道脇で、みじろぎもせず横たわっていた。

「――そうですね。彼らはたしかにこの国に同化できない。だからこそ、バラド・ヴィ・サフサーフも叛徒に身をやつしたのでは?」

 クラエスの答えに、私はうつむく。

 彼の推測は、すくなからず、私の頭の片隅にもあったものだった。後見人バラドが起こしたという謀反が真実であるならば――その理由は、彼の出自にるものかもしれれない。私は彼が属領出身であることを知っていた……と同時に、帝国籍を持っていることも。バラドは周囲から冷遇されながらも、最難関とされる帝国官僚の地位までのぼり詰めた人物なのだ。

 彼の輝かしい経歴は私にとってあこがれで、『目標』でもあった。

 ――それなのに。

「……でも、今ここにあったのは単純な暴力でしょう。それについて言及するならば、貴方はそれを悪だと理解しながら、何もすることのできない矮小な人間だ」

「単純かしら? 少なくとも属領にはできるだけ関わりたくないわ。――もし助けたことで悪目立ちして、私が属領出身だとわかってしまったら? 現実は勧善懲悪の物語で終わりやしない。子どもだって知っていることよ」

 クラエスは無表情だった。

 無言で歩き出した彼の目は、すでに私を映してはいない。

「……何よ。貴方だって、何もしなかったじゃない」

「そうですね。私は悪い大人ですから。やっかいごとはできるだけ避けたい、面倒ごとも抱え込みたくはない。まあ、避けられない事態も――抱え込まなければいけない『面倒』も、生きて行く上ではあるものですが」

 クラエスはひとりごとを呟くようにそう言った。

 しかし無意識のうちに責められている気がして、私の心はささくれだった。

 彼も、私が悪しき人間だと責めるつもりなのか。すべての者に平等に接しろと諭すのだろうか。女学院では、口がすっぱくなるくらい教師が繰り出し、ことあるごとに言ったことば。ズルはいけない、足並みをそろえなさい、他人に優しくしなさい――彼女たちは、だれひとりとして生徒を平等に扱おうとしなかったのに。


 ――その後、クラエスは取引場で何種類かの弾丸を引き取った。その足で宿に帰ったものの、クラエスは即座に外出してしまう。

 昨晩同様、私はキナアとともに部屋に残された。

「……ねえ、体を拭きたいの。部屋の外に出てくれない?」

 ふたつしかない寝台に、私たちは向かい合って腰かけていた。半月刀シャムシールの手入れをしていた男は、その言葉に迷うそぶりをみせた。

「昨日、陥没穴シンクホールに落ちたでしょう。あのときの傷がどうなっているか見たいのよ。消毒薬があればいいんだけど……腰が痛くて。痣になっているかも」

 私の言葉に、キナアは剣を鞘に戻し、すっくと立ち上がった。

 どうやら、消毒薬を取りに行ってくれるらしかった。部屋の鍵を握りしめた彼の背に「ありがとう」と声をかける。

 ――今だ。

 ちょろいものだ。部屋にひとりになった瞬間、私は宿の窓から外を確認し、あの金髪を探した。――見当たらない。

 私の胸は高鳴った。急いで外套を羽織ると、荷鞄を背負った。そしていつかと同じように、窓の両扉を開け放った。

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