(3)真夜中の凶行


 ――夜のとばりが降りれば、地上を照らす光は星だけになる。

 馬の手綱から下げたカンテラが、青白い炎でほのかに行く手を照らしていた。固形燃料が燃える音、ひづめが砂を蹴る音以外は、まったくの静寂――アレクサンドリアを出て数刻、あたりに街並みは消え、私の視界にはどこまでも続く砂漠バーディヤが広がっていた。

 砂漠バーディヤ。それは、属領を除けば帝国の大半を構成する場所といっていい。東のジャジャーラ半島――はじめにその土地を支配した女部族長ハディージャに端を発した小国は、元来豊かな土地を求めて西方への拡大運動を始め、現在のような複数の属領を擁する帝国連邦へと至った。しかし遺失文明が荒廃するきっかけとなった争いのために、念願であった西方の大半は焼け野原となった。残されたのは草の根さえ残らない不毛の荒野、険しい山岳地帯――そして砂漠。

 私は果てのない暗闇に目を凝らした。あの宣言どおり、眠ろうものなら――たとえ起きていても相乗りをする男に何をされるかわかったものじゃなく、気を張り続けていた。クラエスも彼の部下らしき兜の男も、あれ以来、何ひとつと言葉を発していない。そのおかげで、私は状況をクリアーに把握しつつあった。

 ――まず、バラドの件だ。

 クラエスが言うには、私の知る後見人は、いつわりの存在だったらしい。名前も、そもそもの戸籍も偽造された存在だという。

 彼は『難民解放戦線』という組織の一員で、帝国政府に対して〝謀反と取られるなんらかの行動〟を起こした。

 そして私には、その共謀罪の容疑がかかっている。ご丁寧にも、『証拠品』である手紙まで用意されていた。

 ――《難民解放戦線》というのは、私も聞いたことがある。数多の属領を抱える帝国は、常に征服者と被征服者の軋轢にさいなまれている。その『軋轢』のひとつに、その組織があったはずだ。それ以上の詳しいことは、わからない。

 断言するが、もちろん、私は共謀罪とかいう疑いをかけられる人間ではないし、そうと取られる行動をとったことだってない。ただ平凡に、この十年にも及ぶ学園生活を送ってきただけの善良な一市民である。

 私自身になんの問題もないとすると、これには何らかの意図が働いていると考えるべきだ。あまり考えたくはないし――信じたくもないが、バラドが仕組んだ可能性だってある。

 彼のことは誠実な人間だと思っていた。それは今だって変わらない。けれども何が真実で何が嘘なのか、私にはわからない。考えても仕方のないことだ。今は自分について考えるしかないし、自分の身は自分でしか守れないものなのだ。

 正直、帝都で身の潔白を証明するのはむずかしいだろう。私の立場は弱い。何の権力もなければ、『家』も、いざとなったら後継でさえない私なんか切り捨てるにきまっている。

 そうなると、残された選択はひとつ。

 やはり逃げ出すしかない。この先どうなるかはわからないが、死ぬとわかって帝都にむかうよりはよっぽどマシなはず……。

 次のチャンスは砂上都市アル・カーヒラだ。このあたりでは規模の大きい地方都市であるし、一度人ごみに紛れてしまえばなかなか見つからないに違いない。――今はそう信じるしかないだろう。

 見通しを立てたところでいくらか安心して、気が緩んでしまったのか。馬上の揺れに誘われて、私は徐々に瞼が重くなるのを感じた。


 ――夢をみた。

 ずいぶん、昔の夢だ。

 私は小汚い天幕のなかにいて、外からは、毒風シムーンが奏でるおそろしい轟音が響いていた。樹々を薙ぎ倒し、人をも呑む込む砂嵐。

 私は地べたに這いつくばったまま、出入り口の布を掴んで必死に押さえていた。扉のすぐむこうに何か恐ろしい獣でもいるかのように、ひどくおびえながら。

 場面が変わる。私は椅子に腰かけて、目の前には後見人バラドの姿があった。彼は跪いて、何かを私に差し出す。

 一足の靴だった。

 ――あそこまで走っていくんだ。

 彼は天幕の外を指差す。

 彼が指さした天幕のむこうには、青い空と荒れた大地が広がっていた。目が痛くなるくらいに眩しい陽の光にあふれている。

 ――むりよ。走っていけっこないわ。立てないくらいに痛いの。

 ――君にはちゃんと、二本の足があるだろう。安心して。どこまでも走っていける。倒れても、転んでも、俺が助けるよ。

 ――ほんとうに?

 ――約束するよ、ユリアナ。

 うつむいて、私はうん、とうなずいた。それなら、と口を開く。

 それなら……。


 馬の嘶きに、私は弾かれたように顔を上げた。とたん、体にかかる揺れが激しくなる。耳もとでクラエスの舌打ちが聞こえたとき、がくん、と私は馬の背に押し倒された。

「……っ!」

 鞭の音とともに、馬が勢いよく駆け出す。私は目前のたてがみにしがみついたまま、訳もわからないまま、激しい揺れに耐えるほかなかった。

「な……なに!?」

「黙ってなさい、舌を噛みますよ」

 その言葉に慌てて口を閉じる。クラエスはなおも馬を走らせた。ジグザグ、ジグザグと……馬は操られるまま砂地を縦横無尽に駆けるのだから、激しい揺れに酔ってしまいそうだ。しかしそのあとを追いかけてかすかに響いた――跳弾の音に、背筋に氷塊を落とされたような気になる。

(……どういうこと?)

 誰かが、私たちを追ってきているのだろうか――?

「思ったよりも早い……! キナア!」

 苦々しく呟いたかと思えば、兜の男の名を呼び――「握っていなさい」とクラエスが強引に私の手を掴んで手綱を持たせた。

 そしてその勢いのまま、彼は地上に飛び降りたのだった。私は突然任された手綱を操作するのに手いっぱいになってしまう。両脚で馬の腹を挟んで、歩みを停止させて落ちつく頃には、私たちの周囲には複数の人影があった。

 カンテラの火はいつのまにか落とされ、ほのかな星あかりのなかで、かれらのまとう長衣が青白く光った。かすかな夜風に裾がはためく――その手の中で煌めいたのは、短い半月刀シャムシール、あるいは黒光りする銃器だった。

 息を呑んだ私の視界に、馬に乗ったままのキナアが映った。私を庇うかのように前へと出た彼に、ふと安心感をおぼえる。クラエスを取り囲むようにして武器を向けるひとびとに、どうやら彼らとあの『団体』が敵対しているらしいことを理解する。

(何者なの……?)

 馬の手綱を握りしめ、私は瞳を揺らす。

外套マントの裏に悪竜ヴィシャップの紋章……皇帝直属軍イェニチェリか。――本物ははじめて目にするな」

 白衣の男のひとりが声を上げた。――皇帝直属軍イェニチェリとは、どうやらそれなりに名の知られた組織らしい。

「そちらのあなた方に見覚えはないですね。失礼ながら、どこの馬の骨ですか? ああ、名乗らずともけっこう。どうせ覚えられません。――これから死ぬ人間のことなんて」

 白金色の髪を風に泳がせながら、クラエスは平然と言い放つ。そして半月刀シャムシールを鞘から抜いた。

「御託はいい。そこの娘を渡してもらおうか。――ファランドールの娘のことだ」

「ファランドール? ああ、もしかしてこのペンペン草――間違えた、このちんちくりんを指して言っていますか? さてね……どうしましょうかね……」

 ――ペンペン草。手綱を握る手に思わず力がこもり、私はキナアの肩越しに地上の男を睨みつけた――目線の先、腕組みをして思案するそぶりを見せた彼は、身をひるがえし、軍靴で踊るように前へと踏み出す。

 そこからわずかな間を置いて、私はものすごい力で馬上からひきずりおろされる。とっさのことに目を閉じ、衝撃にそなえて必死に歯を食いしばった――しかし恐れていたような痛みはこない。ぼたぼたと頭上に降りかかる液体がふしぎで顔を上げたとき、私はやわらかい砂地のなかに座り込んでいた。

 視線の先、あの黒い鎧兜のキナアが片手に何かを掲げている。クラエスと同じ半月刀が、月影に照らされて赤くぬめっていた――その足もとには、何者かの首が落ちている。生暖かい液体は、そこからしたたり落ちているのだった。

 背後から不意打ちをして、私を捕まえようとしたのか。そのことをおぼろに理解しながらも、私は混乱の渦中へと落とされる。人間、ほんとうに驚くと、叫び声すら出なくなってしまう。

「キナア、お前はそのままそこでお守をしていなさい。子どもの相手は得意でしょう? ここでちょこまか動かれても困りますし、死なれても計画がうまくいない――」

 その声に弾かれたように顔を前方に向ければ、馬を背にクラエスが布で半月刀の血をぬぐっていた。星影に照らされるその姿は、どこか神秘的な雰囲気すら放っている――その足元に屍が転がっているのも、なんだか奇妙な調和を醸し出していた。

 じりじりと、残された敵が後ずさる。

 ――それからのクラエスは凄かった。この一言に尽きる。

 彼は襲いかかる〝敵〟を、必要最低限の動作だけでなぎ倒していった。しなやかな身のこなしで、剣を振るい、骨を砕き、肉を断つ。皆殺しだった。そこに慈悲なんてものはなく、まさに地獄絵図が繰り広げられた。十分とかからず、彼はその細身で大の男たちの集団を全滅させてしまったのだ。

 皇帝直属軍が何なのかはわからないが、彼が他の軍人とは一線を画す存在であることは私にもわかった。しかしそこで湧き上がるのは別の疑問だ。何故そんな大層な人間が、私を捕まえにきたのだろう。しかも皇帝スルタン直属というからには、よくよく考えずとも、彼の言う『上』とは―――。

 突然、みぞおちのあたりが冷たくなった。

(……どうしよう、事態は思った以上に深刻かもしれないわ)

 血の雨を降らせた男は、なんでもない顔をして半月刀の汚れを拭い、鞘に納めた。そして優雅な足さばきで、私のもとへと歩み寄ってきたのだった。

「――ドヴッジャイラを知っていますか?」

 そして前触れもなく、そんなことを言ってのかえた。

 腰を抜かしたまま、私はその美しい男を見上げた。

 睨みつける気力もなく――ただただ、呆けた顔をして。それが愉快だったのか、彼は子どもじみた笑みを整った容貌に浮かべてみせた。

「沙漠の魔物のことですよ。……知らないでしょうね。片足は老婆の足、片足はロバの足。全身は真っ黒で獰猛な牙を持ち、ものすごい速さで沙漠を駆け抜けてゆく。どうです? 想像したら怖ろしくはなりませんか」

「そ、……想像したら、逆に滑稽よ……」

 なんとか声を絞り出して、私は震える手で外套の裾を掴んだ。クラエスは、そう、とうなずいて、不満げに鼻を鳴らしてみせた。

「私は幼い頃、その話を寝台で聞かされては怯えたものですが」

 ――背後で、キナアが肩を揺らした。笑いどころだったらしい。

「あなた、何が言いたいのよ……」

「あなたをつけ狙うおそろしい魔物はこの砂漠にたくさん潜んでいるということですよ。ユリアナ・ファランドール。ファランドールの家のみじめな娘」

「家のことは関係ないって言っていたじゃない。やっぱり関係があるのね? これも家のせいなの? いいえ――いったい、何が起きているの。私のまわりで……私自身に……」

 視界の隅に広がる死体から目を逸らし、私は揺れる声で問いかける。クラエスは頤を下向けると、肩にかかった髪を手で払った。

「あなたが生きる上で、切り離せないなにがしかの問題があるということですよ。きっとそのうち、わかるんじゃないんですか? ――さかしいあなたならね」

 挑発的なまなざし――卑屈に口もとをゆがめた男がそのとき何を考えたのか、私はわからなかった。

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