創作 小話

くれ

ラウリラ 小話01


 開け放たれた窓から、初夏の日差しが入り込み、散らかった机を照らしつける。その前で、銀の髪に同じく銀の耳を持つ獣人族の青年が手にある原石を見つめていた。原石が柔らかな雪白の光に包まれる。その光が消え去ったあと、そこに現れたのは極彩色の宝玉。青年が宝玉を日に当てると、彼の顔が虹色の反射光で染められた。青年は一息つくと、宝玉をクッションが敷かれた箱に詰めた。ここ数年において、稀代の宝飾魔術師として名を馳せているヨエル=ラウリラとは彼のこと。しかし、その称号は彼だけのものではない。


「兄貴、進捗はどうだ?」


 開けられた扉から顔を覗かせた青年は、この部屋の主人と同じ顔をしている。彼こそ稀代の宝飾魔術師のもう片方。ヨエルの双子の弟、リクハルド。宝石を加工する兄と、それに細工を施す弟。二人揃って、宝飾魔術師のラウリラなのだ。二人は顔こそ瓜二つだが、兄が垂れ下がった眉と目を持つ一方で、弟は眉間にしわがよっており、目はつり上がっている。受ける印象の違い通りに、性格は真反対。


「んー。今、終わったところ!」


 ヨエルは伸びをしながら、答える。胸元のループタイを緩め、涼気を取ろうとも、首の汗が胸元に流れ落ちる感覚に閉口した。薄着にしたとはいえ、ここ数日の暑気にはうんざりしている。リクハルドをみると、彼は半袖をさらに腕まくり、シャツは第二ボタンまで開けて、胸元をはだけさせていた。ふと、ヨエルは彼を訝しげに見つめた。


「ねぇ、リクって身長どのくらいになった?」


 はあ、とリクハルドは素っ頓狂な声を上げた。兄の唐突な質問に戸惑いながらも、春先に測った自身の身長を思い出す。


「184センチだったけど、それがどうしたんだよ。」

「上! 脱いで!」


 二回目の間抜け声を上げながらも、兄の慌てふためきように押されたリクハルドは言われたとおりにシャツを脱ぐ。彼の上半身を見たヨエルは卒倒しそうになった。


「僕より体格が良くなってる!」

「何言ってんだよ。2、3年前からこの体付きだぞ。」


 何を今更というリクハルドの態度にヨエルは憤慨した。弟は腰こそ細いものの、大胸筋と腹筋は見事に割れており、俗に言う細マッチョだった。一方、ヨエルには筋肉がなかった。脂肪がないのは救いだが、弟と比べて貧相なのは言うまでもない。


「同じ食生活してるのになんで……。」

「そりゃあ飯は一緒だけどな。冬の間、誰が薪割りしてんだっけ?」


 返された言葉にヨエルはぐうの音も出ず、耳を下に垂らした。そう、力仕事は弟の分野だった。それどころか家事すらも弟頼み。ヨエルには筋力どころか、生活力というものすら常人よりも劣っていた。そんな兄の萎びた耳を持ち上げながら、リクハルドはヨエルの目を見据えた。


「別に落ち込むことないだろ。兄貴には魔術があるんだし。」

「リクだって魔術が使えるでしょ。」

「兄貴の魔術は特別じゃねぇか。筋肉なんていらないだろ。」


 弟にそう励まされてもヨエルは気が晴れなかった。弟の言うとおり、宝石づくりの魔術は得意だ。けれども、貴金属の細工をする魔術は弟の方が得意だ。自分が家事をできないことを考えれば、弟の方が勝っているのに、これ以上、差をつけられる……。ヨエルの顔には焦りの色が浮かんでいた。



 朝日影の中、鳥の鳴き声が踊る。青年は銀の髪と耳を暁光で赤く染めながら、住居兼店舗を後にした。その建物の二階の小窓から、同じ顔をした青年が彼の背中を見届ける。


「よし。」


 ヨエルは寝台から降り、そそくさと寝間着から軽装に着替えた。家の中には自分以外にいないと分かっていたが、きょろきょろと廊下を見渡しながら、弟の部屋へ忍び込んだ。ヨエルの部屋と違って、書類がきっちりと整理整頓されて積み上げられた机に、巻数順に並べられている本棚。その本棚の前に立ち、ヨエルは目を皿のようにして眺めた。


「やっぱりあった!」


 彼が手にした本は身体の鍛え方が書かれた本だった。ヨエルは昨日の会話を思い出し、眉をしかめ、耳をぱたぱたと横に振った。そもそも薪割りや家事だけであのような筋肉隆々になるわけがない。予想したとおり、弟ははぐらかしていたらしい。


「僕だってリクみたいになるんだ。」


 朝、弟が出かけている間に、鍛える。それがヨエルの作戦だった。弟に見つかれば、止められるに違いないからだ。リクハルドはすぐにヨエルを甘やかす。ヨエルの使う魔術が魔力と体力を著しく奪うとはいえ、弟は過保護だった。弟とできてしまった差を埋めたい。そう思いながら、ヨエルは本に書かれている方法で運動し始めた。




「なんだか疲れてないか。」

「そんなことないよ! 元気、元気!」


 白昼の日盛りのうだるような暑さが部屋に鎮座していた。宝石を回収しにきたリクハルドの問い掛けに、ヨエルは狼狽える心を必死に隠す。リクハルドは訝しげにヨエルを見つめたが、何の言及もせずに宝石が入った箱を自室へ持って帰っていった。ヨエルはほっと肩の力を抜いた。あの日、鍛えると決めてから、数週間が経っていた。毎朝、弟の部屋の本を見て、運動をする試みは彼にしては珍しく継続できていた。ここの所は、まだ運動は不慣れなものの、早起きには慣れてきている。これからが本番なのだ。この全身の筋肉痛ですら、弟に追いつくためとなれば嬉しいもの。弟と自分は一緒でなければならないのだから、頑張らないと。

 ヨエルは作業を続けようと、再び卓に向かい合う。すると異変が彼を襲った。


「あれ……。」


 机が陽炎のように揺れている。原石を取ろうとするも、視界が二重にぶれて見える。頬のひりつく熱さ、脳が茹で上がる感覚。机上にある水の入ったグラスに手を伸ばすも、距離が掴めず、倒れたグラスから水がこぼれ落ちる。水で乱反射する日の光が綺麗だ。そんな暢気なことを考えながら、ヨエルは足元から崩れ落ちた。



 雨の中のスラム街を二人の子どもが駆ける。先に行くその子どもを男が鬼の形相で追い掛けていた。ヨエルは辿々しく走る弟の手を引っ張り、男から懸命に逃げる。すると、泥濘んだ道に足を取られ、弟が転ぶ。男がその足首を掴み、ヨエルと引き剥がした。


「この糞餓鬼め! 商品を盗みやがって!」


 振り下ろされる棍棒。ヨエルは咄嗟に弟へ被さり、振るわれる暴力から庇った。自分と同じ骨張っている小さな身体をきつく抱きしめる。

 7歳の頃、双子を迫害していた故郷から逃れるように飛び出した。故郷の外には、二人を忌むものとして見る者はいなかった。けれども、ただそれだけ。薄汚い子ども二人。宝石の魔術は原石がないと意味がない。それを手に入れる元手すらない二人は、無用の長物に他ならなかった。街を転々としたが、こういったスラムにしか居場所がない。それでもお互いがいた。抱き寄れば寒くなかった。もう一人の自分の鼓動を聴くだけでヨエルには十分だった。



 瞼の裏がくすぐる感覚に目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入った。ヨエルは寝ぼけ眼のまま、身体を起こす。全身が馬車にでも引きずられたように痛み、思わず呻き声が口から洩れ出した。自分が倒れたことを思い出し、弾かれたようにカレンダーをみると、日付が変わっていた。やらしてしまったことに青ざめていると、部屋の入り口の方向から鈍い音が二回した。音がした方へ恐る恐る目を向けると、今一番会いたくない青年が戸の柱にもたれ掛かり立っている。先程の音は彼が柱を叩いた音だった。ヨエルを気付かせるにはあまりにも力の入った音に、ヨエルは弟の堪忍袋の緒が既に切れていることを悟った。弟の耳は水平にゆらゆらと揺れている。普段、怒るときは耳が垂直に立つが、もうその段階は過ぎてしまったらしい。


「えーと、昨日の分の納期って大丈夫だった……?」


 ヨエルは時間を稼ぐことに専念した。目覚めたばかりで、何の言い訳も持ち合わせていない。そんな中、リクハルドと兄弟喧嘩をしても、ただの出来レースだ。怒られるのも嫌だが、正直、これ以上過保護になられては困る。


「先方に話は通した。兄貴が回復するまで納期を引き延ばしてくれるそうだ。」

「よかった……。」

「それで? なんで倒れた?」


 時間稼ぎは数瞬も保たずに終わってしまった。ヨエルは自分を見つめる弟の目が商談をするときのように険しいことに現実逃避をしたくなった。見た目には現れないが、刻々と弟の機嫌は悪化しつつある。余計なことを言えないこの状況に寝起きの頭は役に立てそうにない。


「医者に診てもらった。軽い熱中症だが、運動による筋肉痛と疲労が影響しているだそうだ。全身の筋肉が痛むなんて何したんだ?」

「……。」


 黙秘権を行使したヨエルにリクハルドの目は細められ、耳の揺れは大きくなった。これも駄目だったらしい。ゆっくりとヨエルが横になっている寝台に近づいてくる弟に唾を飲み込む。


「ところで、俺の本棚の本、見ただろ。」

「えっ、なんで……。」


 慌てて口を噤むも、時既に遅し。ヨエルを見る弟の目はさらに細められ、もはや狩りの狼のそれだ。


「位置が違っていた。正直に言えよ、何したんだ?」

「えっとね、身体を鍛えようと思って朝に運動してたんだ。ほら、魔術を使うのにも体力がないといけないでしょ。」

「だからって、倒れるまでしたら元も子もないだろうが!」


 リクハルドが憤怒の形相で、ヨエルを怒鳴りつけた。久々にみる弟の大噴火にヨエルは戦々恐々とした。その火山弾が全て自分に向いているのだと思うと、気が遠くなる。


「何の運動をしてた! 言え!」

「スクワット40回と腕立て40回と……。」

「ヒョロナガのもやしみたいな兄貴に堪えられるわけねぇだろうが!」


 久方ぶりに見舞われた拳骨にヨエルは唸った。全身の痛みと拳骨の痛みとでボロボロだが、今のところ、ヒョロナガのもやしが心にクリティカルヒットしている。


「どうせ、兄貴のことだ。ちゃんと水分補給しなかっただろ!」

「朝のコーヒーはちゃんと飲んでたじゃない!」

「コーヒーは逆効果だろうが!」


 リクハルドはヨエルの垂れ下がった耳を手で滅茶苦茶にこねくり回した。病人に拳骨はまずいと正気に返ったらしい。弟にまだ理性があることに一安心したヨエルだったが、できればもっと早く気付いて欲しかった。


「俺みたいに鍛えたいって思ったわけじゃねぇだろ。それとも兄としての矜持か? 今更だろうが。とにかく、もう無茶するのは止せ。」

「嫌だよ……。」


 ヨエルの拒否の姿勢にリクハルドは驚いたが、ヨエル自身も戸惑っていた。自分がなぜ弟と同じでありたいのか。差があることに焦りはある。でもその焦りがどこから来ているのか、自分の中に明確な答えはない。

 そんな兄の様子を見て、リクハルドは溜め息をついた。


「違ってていいだろ。昔は一緒だったけど、それは差異すら生まれない環境にいたからだ。俺と兄貴が違っていることが自由の証みたいなもんだ。」

「自由の……。」

「でも、兄貴の言っていることは一理あるな。覚悟しとけよ。」


 今度はヨエルが素っ頓狂な声を出す番だった。



 朝、街が起き始めた頃、白銀の髪と耳をもつ二人の青年が運河横の道を走っていた。後ろ側にいる青年は周りの景色を眺めながら、危なっかしく足を運んでいる。前側にいる青年は、そんな兄の様子を横目で見ながら先導していた。


「もうちょっとしたら休憩だからな。」

「う、うん。」


 弟と一緒に朝のランニング。ヨエルが無茶しないようにリクハルドが考えたコースを走るが、それでもヨエルはすぐに息が上がっていた。日が昇り、照らされていく街。木々の萌黄色が運河の水面が反映し、まだ仄暗い街に彩りを与えていた。弟と一緒にこうして走るのは、何年ぶりだろうか。誰にも追われることなく、二人で駆ける。むしろ、初めてだ。走るのが楽しいとは、スラムで盗みをしていた頃には考えたこともなかった。弟のどこか楽しげな横顔を見つめながら、ヨエルは彼が言う自由の証がなんだかわかった気がした。

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