陰陽師

 

 今宵は朧月。霞みがかった月光が照らすは夜の街。

 その月下で、また、妖が蠢きだす。


 まだ人気ひとけが残るとみられる沿岸の町。

 河川敷から見えるその淡い光景を楽しむ余裕もなく、優の視線は手元のスマホに向かっていた。

 原っぱに座り込み、ううむと考えこむこと数十分。


「今日は、用事が、ある、から、帰るの、遅く、なる。..............こんなもんでいいか?」


 優は葵に向けての文章を打ち込んでいた。

 一度送ったらもう戻せないというプレッシャーと、持ち前の語彙力のなさが混ざり合っての長考の末、ようやく完成した素っ気ない文章を打ち込むのにも、そこそこの時間を要した。たぶんペンで書いたほうが早かっただろう。


「さて、と........」

 優は立ち上がった。そして首をカキコキと鳴らしてから。

「もう休んでいいよからす、お疲れさま」

 肩にずっととまっていた墨のように黒い烏に声をかけた。

 その号令と共に、烏は灰と化した。


 烏と優が呼んだそれは、命あるものでは無い。式神と呼ばれる優が産み出した物だった。

 式札という小さな召喚道具から、呼び出された使い魔を指す言葉が式神。

 その数種いるうちの中で、烏は情報収集に優れた式神であり、その視界を術者と共有することも可能である。その姿の通り飛ぶことも可能だが、継続時間が術者の実力によって顕著に差が出るので、未熟なうちに使うことは推奨されない。


 今回、烏の硝子の双眸は、座り込んでいた優のだけを捉えていた。


「すまないな、連絡するのを忘れていてな」

 

 聞こえていようが理解できないと知っておきながら、優は目の前の鬼に向けてそう言った。


 妖の姿は様々、今回は鬼と呼ばれる姿。


 ビルのように大きな体、光が映らぬ単眼、怪物を想起させる二本のいびつな角、何なら持てないだろうかと思案してしまうような巨大な腕。それを前にしても優の毅然たる態度は変わらない。


 優は文章を打ち込んでいる間、それの監視のためだけに烏を呼び出し、一応の警戒にと視界を共有させていた。

 その間鬼は逃げるわけでもなく、隙だらけの優に攻撃を仕掛けるわけでもない。ただ、その巨体を直立させていた。

 この無害にも思える小さな存在。それが自らの生命を脅かしかねないという不思議な感覚に浸っていたのかもしれない。もしくはフェアプレイを心掛けていた可能性が無きにしも非ず。


 鬼は優が目的を終えたと判断し、行動を開始した。

 まず動かしたのは腕。

 当たれば風ごと人を飛ばすことも可能なその腕を思い切り振るった。


 ―――――その腕が無くなった事に鬼が気づくのは、目の前の存在が依然としてその場に顕在している事からだった。


「痛み.......あるのか?まあいい.......」


 苦しそうな様子を見せない鬼を不思議そうに腕を吹き飛ばした張本人は眺める。

 手には一枚の札。

 薄く、シャボン玉のような膜が優を囲むように展開されていた。

 眩しさを伴わない薄い光のカーテンが鬼の振るわれた巨大な腕を防ぎ、弾き飛ばしたという事に理解できるのは同業者のみだろう。


「........さて、今すぐ楽にしてやる。砕牙さいがっ!!」

 

 優はあらかじめ準備していた式札を鬼に投げた。

 その中には叫んだ名の式神が入っている。


 式札が散ると同時に舞った白い煙。それと共に姿を現した一匹の狼。

 砕牙と呼ばれるその式神は青光りする毛並みを夜風に揺らし、鋭利な牙を大気に尖らせ、鬼を一瞥する。

 優が最も使いこなしている式神であり、戦闘の補助であれば他の追随を許さない優秀な式神。これを一体作るのに要する時間もまた、他と比にならない。


「.........俺の手はいらないか?砕牙」

 優が声をかけると、それに答えるように砕牙は咆えた。一度作られた式神は、呼び出した者を術者として認識する。そこから友情やら信頼だとかの関係を築くことに消費される時間は並ではない。


 親友の期待に答えんと砕牙は、まずは脚。

 太く強靭であろう鬼の両足を砕牙は、

 地を踏む役割を担う部位を切り離した。


 ぐらりと鬼は体を揺らし、手のひらが消えた腕を地面に突き刺し、倒れ込むまでにはいかなかった。


 しかしそれが見逃されたのはほんの一瞬。

 単眼の瞬きの次には両腕が切り離されていた。 


 手足が無くなり、体と頭だけが残り草原に鬼は倒れ伏せる。鬼が立つことは、驚異的な回復力でも持ち合わせていない限り物理的に不可能だった。


「おー。よくやったぞ砕牙。前よりも速くなったか?」

 

 ものの数十秒で鬼を解体した砕牙は優に近寄り、頭を撫でさせる。

 ふさふさの毛並みをしばし堪能してから、優は無様に横たわる鬼に近づいた。


 手足が無くなろうが、このまま放っておくだけでは鬼は死なないからだ。

 バラバラになろうが、いずれはその身を再生させ、何事もなかったかのように起き上がり、餌を探し求めるだろう。それでは意味がない。


「―――――鬼の居場所はここではない。宿世すくせに還り塵と成れ」

 優は鬼の肩に当たる部分に手を添える。

 その手には封印札と呼ばれる札。文字通り封印するための札。


 鬼は札が体に触れた途端にもがれた部位と同様粒子になり、風によりその巨大な体が砂のように吹き飛ばされた。

 鬼の怨念か、砂嵐に巻き込まれた優に震えるような悪寒が一気に襲う。


 ―――――だが、違う。


 今回の鬼は大した獲物ではなかった。今の光景を眺めている者が、仮にいたとするとしたらその視点からでもそれは明らかだろう。

 幼き頃に感じた、母の死に際に見たあの「呪い」の感覚とは程遠い。優には取るに足らないといえる程度の悪寒だ。


 ぬめりのある布が肌にべっとりとくっ付けられたような気味の悪い感覚。優は当時、それは母が死んだことによる悲しみのせいだと思っていた。

 今では思い出すだけでも嫌なその感覚が、母の仇を探す唯一の手掛かりとなっている。


 優の父は、最初は優が町に出る事に反対だった。

 陰陽師の家系の者は、霊的存在に感知されやすく、修行を積めば積むほどその体内の霊力は増幅し、ますます可能性は高くなる。そのため修行を積んだ優は悪霊に襲われる危険性が人一倍あったのだ。


 妖は、霊力を喰らう事で強くなる。それを集中的に鍛え上げている陰陽師であれば、一人喰らうだけで奴らにとっては甘美な力が溢れるほど充満するだろう。


 ただの人でも、微弱な霊力を秘めている。人に害をなす悪霊は大きく分けて二通りあり、一般人を襲い続け力を蓄えるか、あるいは陰陽師を狙い多量の力を得るか。

 見たこともない仇は後者である事が判明している。前者のほとんどは人を三人ほどでも喰らえば、危険と判断した陰陽師がそれを退治しに向かう。それを喰らった者が後者になり、それは例外なく脅威となる。


 優の父が出した優が町に出る事の条件は一つ。

「伊賀月家の者として、町を護り続ける事」

 歴史だなんだに優はあまり詳しくないが、この町の光景は伊賀月家と他三家が、それぞれ金曜日から一週間ごとに交代を繰り返し、代々「妖」から護り続けてきたのだという。


 そんな大役の一柱を一人で担う事が、優が町に留まる事の条件だと言った。

 今週はその伊賀月家の週。仮に優が今の鬼を逃しでもしたら誰も手助けする者はいない。逃げ込んだ鬼が町の人々に被害を及ぼしただろう。


 しかしそんな重大な日の初日、自分でも驚くほどに、優は物怖じすることなく責務を全うして見せた。


 優がふと時刻を確認すると十一時を回ろうとしている。これ以上遅くなってはいくら連絡したとて、葵が心配してしまう。もしくはもう寝てしまっているかもしれない。

「今日は.........大丈夫」


 月の霞が晴れる。それは、人外の夜が終わった証。

 砕牙を「お疲れさま」と労ってから休ませ、優は欠伸を一つしてから帰路についた。

 

 優が今しがた鬼を屠った河川敷。ここは現在葵と暮らしている母の店からの距離からは程遠い、特筆すべき理由がない限り葵がここに来ることはないだろう。


 「大丈夫」。傍目では真意が汲み取りかねるその言葉が、何よりの贔屓ひいきだというのに、優は、まだ気づいていない。






 「ただいま」と言ってしまったら起こしてしまうかもしれない。そんな懸念を抱えていた優だったが、どうやらまだ葵は起きているようで、真っ暗な中で明かりが目立っていた。


「ただい―――――」

「お兄ちゃんっ..........!」

 明かりがついていた部屋の襖を開けた途端、葵が胸元に飛び込んできた。

 顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


「ど、どうしたんだ..........?」

「どうしたんだ、じゃないよ!遅いよっ!.........心配したじゃん.......」

 後ろには、すでに冷めてしまったと思える二人分の夕飯が残っていた。

「す、すまん。一応連絡はしたのだが......」

「何度も携帯確認したよ...........きてないよ...........どこいってたの...........」


 優がそんなはずはないと慌ててスマホを点ける。

 しかし、そんなはずあったようで、優の打ち込んだ不愛想な文章は送られておらず、四角い枠に収まったままだった。


 液晶に映る時刻は既に深夜三時。中学生の夜更かしにしては、やや過ぎている。


「もう私を、一人にしないで.............」

 消え入りそうな声で葵は言った。


「..........すまない」

「..........許さない。一緒に晩御飯食べるまで」

「..........ああ」


 当然昨日よりは見劣る夕飯。更には冷めてしまっているのでおいしさも激減しているだろう。

 しかし、優はそれを昨日よりも噛みしめて味わった。

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