6話 ミアです!

 エルマさんの店で装備を整えてから一週間が経ち、ようやくフィルードに接触を図れる。

 どうしてそんなに間が空いたかと言えば、リディアさんの過保護っぷりも要因ではあるのだけど、一番大きな問題は慣れだ。俺には冒険者としての知識が全くなかったのだ。


 今回の俺の設定はもちろん『新人冒険者』。だからこそそのまま無知な状態でフィルードに接触をしようと思ったのだけども、それはリディアさんに止められた。


 冒険者はどんなに小さくとも危険が付き物な仕事だ。それを演じるからには最低限のことが出来ないと命を落とす。


 それがリディアさんの言い分だった。もっともな意見には納得するが、俺に教えることをしたかったらしい。なんでも俺の初めては渡さないっ、だそうだ。


 まあ実際、冒険者登録をした者は協会からレクチャーを受けることが出来る。それは希望制だがほとんどが受講する。受けないのは登録前から何かをやっていて知識と実力がもともとある奴くらいらしい。


 講義は基本的だが大切なことが話された。サバイバル術、魔石の処理、依頼関連、等級。

 そして大まかに分類された実戦的な戦闘法。これはもちろん近接戦、短剣を用いたものを教えてもらった。


 ここで補足なのだが、講義はもちろんフィルードの理想の萌える姿で受けている。つまりはロリっ子姿でだ。だからかやはり色々と甘かったし、奇異な視線が注がれた。

 カナデと比べられていたが、概ねそちらの方が好評だった。まあ、積み重ねたものが違うのだから当然だが。



 フィルードの家がギリギリ見える場所で俺ーーわたしは体の力を抜くように息を吐きました。すーっと入ってくるのはフィルードさんの理想の萌え像。そして、そこから導き出したこれから演じるわたしを一つひとつ確認していきます。


「私はミア。駆け出し冒険者の女の子。まだまだ弱いけど、小さい頃にたすけてくれた女冒険者さんを目指してがんばってる」


 自己暗示にも近いです。小さな手鏡でわたしの顔を見ながらですし。ついでに表情筋を適度に動かして、ミアの表情を作りました。


 カナデの声よりも少し高くはつらつとしたわたしの声は思ったよりもよく通るので、ひそひそっとした具合で気合いを入れます。


「行こうっ」


 とてとてっと進みます。今回は獣道じゃなくて、フィルードさんが使っていると思われる道を行きます。といっても、足場が悪いのは仕方がないですね。舗装されてはいませんから。


 離れて見守っているリディアさんの視線を背に受けつつも、フィルードさんお家があるひらけた場所に着きました。

 遠目から見た畑は近くで見ると意外種類があって、美味しそうな野菜がいくつか成っています。


「何してんだ人ん家の庭で」

「ひゃぁあっ!?」


 音もなく気配もなく、いつのまにか背後にはターゲットであるフィルードが仁王立ちしていました。

 身長差も相まって、近くに立たれると顔を見るのに首が痛くなります。それに落ち着いていると思っていた青い目も、この距離だと威圧感を感じます。


 フィルードは見た目通りの少し低い声で聞いてきました。


「もう一度聞く。見たところ冒険者だが、俺の庭で何をしている」


 威圧感がさらに増しました。ピリピリっとした感覚が手足に走ります。ですがわたしは落ち着いています。

 ……いえ、怖いのですが、当初の予定通りなのですが、それは演技のつもりだったのですが、これは、


「う」

「う?」

「う、ゔわぁぁぁぁん!」

「はぁ!?」


 泣いてしまいました。もちろん演技も入っています。

 フィルードさんとの接触計画はこうでした。

 わたしがフィルードさんの畑付近に行く。するとほぼ確実に察知されて本人が登場。そこで「迷ってじまいましたぁぁ」と泣き顔で縋りつく。ここまでが予定でした。なので泣くつもりではあったのです。


 しかし予想以上にフィルードが怖すぎて、安堵の涙じゃなくて恐怖の涙が出てしまいました。今出ている涙の九割は本物で、ガチ泣きをしてしまいました。


「す、すまん。ほら、泣き止んでくれ。万が一でもこんなところ誰かに見られたら、俺が豚箱に突っ込まれる」


 見ています。リディアさんというわたしの守り神がばっちり見ています。リディアさん、頼みますから過保護を発動して突っ込んでこないでね。


 ……そろそろ、泣きます。


「ず、ずいませんでした。……ひっく」


 うるっとした目を今回は慌てふためくフィルードさんには向けません。目を手と腕で擦りながら、目頭を真っ赤にしつつ気を引きます。けっして顔は向けず、肩と声で泣きを表情します。

 こうすることでフィルードさんの想像力を働かせ、期待値を高めていきます。期待値をどこまで積み重ね上手く現実と擦り合わせるのかが難しいのですが、萌えで変化したわたしには関係ありません。理想の姿ですから、期待値が現実を裏切りることはないのです。

 むしろご飯を目の前おいておあずけをしているので、貪られないか心配です。


「と、とりあえず家に入れ。詫びに近くでとれた果物をやる」

「は、はい」


 というわけで、フィルードさんの家への侵入を成功しました。申し訳なさからきたものですが、フィルードさんの懐へ入るきっかけとしては上々です。


 キッチンで支度をしてくれているフィルードさん。その間わたしは木製の椅子に座ります。一脚しかないのは、お客さんが来ることがないということでしょうか。


「ほら、落ち着いたらこれを食え。今朝もいできたばかりのやつだ。甘くて美味しい」


 戻ってきたフィルード。よし、膨れ上がった期待値をここで仕留めましょう。


「ありがとうございます……」


 不安げに、おそるおそるといった具合でフィルードさんの顔を見据えます。真っ赤に腫れているだろう目や、泣き疲れが見える顔。その無防備さがフィルードさんを襲います。


「っ」


 フィルードさんの瞳孔が開くのがわかります。そしてからだが硬直しているのもです。掴みは上々のようです。


「わあおいしそう! たべてもいいですか?」

「あ、ああ。食ってくれ」


 ぱくっとして、うん、みずみずしくて甘いです。まだまだ切り分けられているようですから、食べながらコミュニケーションを図ってみましょう。


「あの、いまさらですけど、わたしミアっていいます。ご迷惑をおかけしてごめんなさい」

「グレッグ・フィルードだ。好きに呼んでくれ」

「グレッグさんですね!」

「それで、なぜお前はーーどうした?」

「名前。わたし、お前じゃなくえミアです……」

「いや、それは」

「むぅ」

「わかったわかった。……ミア。これでいいだろう」

「はい!」


 名前で呼んで貰わないと困ります。最初に距離感が離れすぎると、後々が大変ですもん。

 ……ですが、グレッグさんは初心というか硬派というか、女の子と接することに慣れていないのでしょうか? 名前を呼ぶだけで顔が真っ赤っかです。


「んんっ。……なぜここに来た?」

「その、薬草採取の依頼を受けたんですけど、あの、えっと、迷ってしまいまして……」

「ミ、ミアはセレントの冒険者なんだろう。薬草採取なんて依頼をしているのか?」

「や、薬草大事ですもんっ!」

「そ、そうか。ミアが薬草採取に誇りを持っているのはわかった。悪かった」

「いいえ。わたしもムキになってすいません」


 ふふ、どうでしょうわたしの初心者感。……まあ、実際に初心者なので当たり前なのですが、一生懸命さは伝わっていますよね。


「そろそろ帰れ。もう日が暮れる。森の出口までは送ろう」

「はい!」


 意外に紳士的なグレッグさんはおみあげまで持たせてくれて、わたしの手の中は所定の薬草ではなく新鮮な果実でいっぱいです。……またフルーツタルトを作りましょうか。でもワンパターンは飽きますし、わたしが。


 森を出るとグレッグさんの言うとおり日が沈みかけ、空が紫とオレンジと青と、綺麗なグラデーションを作っていました。この空が一番好きです。


「ここまでだ。あとは大丈夫だろう」

「はい」

「それじゃあな」


 グレッグさんは早くも踵を返して森へと戻って行きます。ここです、ここでわたしは次の布石を打ちます。具体的には、


「また明日いきますねー! ありがとうございました!」


 は? とグレッグさんが振り向きます。わたしは拒否の言葉を受け取る前にその場を走って去ります。


「ぶへっ!?」


 転んでしまいました。慣れない体で走るとこんな弊害が……。ま、まあ、これも計算の内ですけど。ちょうどいいんですけど。


『ドジっ子』。それが今回のターゲットーーグレッグ・フィルードさんの理想の属性なのです。

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