第57話
「ダウン症」で「盲目の」
ダウン症の書家として最近名前の知られるようになった金澤翔子さんの書を見る機会があった。おおらかで優しさに溢れたその書は確かになるほどと思わせるものだった。そこで思ったのだが彼女にはもう「ダウン症の」という形容詞は必要ないのではないか。彼女の書のすばらしさを知ってもらいたい、ハンデを負った人でもここまでのものが書けるんだという善意から形容詞を付け始めたのは分かるのだが、今となっては逆にその形容詞が彼女の足を引っ張っているような気がする。
「ああ、あのダウン症の人か。」
最高の食材には余計な味付けは必要ない。「盲目の」ピアニストなども同様に。
「書家、金澤翔子」。それでいいのではないか。
蛾のように舞い、蜂のように刺す
11月8日付の朝日新聞の朝刊の意見募集欄に「自宅のフジバカマにアサギマダラという渡りチョウがやってきた。どうかお元気で」という投書があった。ベランダにフジバカマを置いている僕としても嬉しい話だった。
しかしうちのフジバカマにはアサギマダラではないものがやってくる。どうやらスズメガという蛾の一種らしい。秋になると緑色の幼虫が葉っぱをモリモリ食べている。そして大きくなると葉っぱを起用に畳んでさなぎになり、やがて羽化して飛び去って行く。アサギマダラは確かにきれいな蝶なのだが、このスズメガの幼虫もよく見るとかわいいし、成虫にも精巧な美術品の趣がある。もしアサギマダラに愛情を注ぐのならスズメガにも同じ愛情を注いでほしい。考えてみれば蝶も蛾の一種なのだから。
本当に女性だけが差別されてるのか?
最近職場で身に着けるものについて女性だけが不当に差別されている、という話をよく聞く。それは本当なのか。
前にも少し書いたが、僕が買い物をしに行ったユニクロではレジでの精算のシステムに企業として莫大な投資をした結果、レジ担当の人たちの仕事はほとんどが簡単な袋詰めになっている。以前のように細かくお金を計算して、ということはない。そこでレジ担当の人たち(主に彼女たち)の仕事はユニクロの服でこんなコーディネイトができますというある種モデル兼任のようものになっている。それならば雇い主側が彼女たちの身に着けるものに条件を付けるということは当然あるのではないか。そしてその傾向は今後他の業種でも拡大するのではないか。
こんな時代だからこそどこまでがモラルでどこまでが自由なのかを判断できる総合的な人間力が必要とされるのだろう。
ところで真夏の工事現場で大した危険もないのにヘルメットを被らされてる
男性陣は差別されてないのか?
腐った百合 ネコ エレクトゥス @katsumikun
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