第X話 鬼想うは姫君
井沢塾は間もなくして潰れた。
楊貴妃の霊片の大元であった井沢を乗っ取っていた霊が消滅した今、呪符は完全に力を失っていた。
それでもあの後、五木さんは念のため井沢に消しゴムのデザインを変えさせ、魔術に関する記憶の一切を消し去った。
記憶の消去ができるとは初耳である。何故それを僕にやらなかった。と訊くと、五木さん曰く、
「それじゃあ面白みがないわ」
全くふざけた話だ。
そのせいで危うく丸焼きにされそうなところだったというのに。
僕の中で井沢の話はどうにも不完全燃焼で、燻ったままだ。
彼の狂的な意志は楊貴妃の霊に由来するものではあったのは分かっているのだが、どうにも……。
結局彼を説得することは叶わなかったし、エントリの経営の助けがなくなった途端塾も立ち行かなくなった。これが現実というか、経営の厳しさというか……。
あの男とは、あの後一度も出会うことはなかった。
▼
「あのエントリとかいう魔女、あんたのこと変な名前で呼んでたような」
我らが拠点の工房に戻り、気になっていたことを訊いてみた。
「領域の魔女よ。簡単に言えば二つ名とかコードネームとかそういう類のものよ。領域の魔女イズール。それが私の魔女としての名前」
領域の魔女イズール、か。
何か格好いいな、そういうの。僕も鬼人なんだから何か名前があればいいのに……。
そんなことを考えていると、真っ黒いソファーに寝転がっていた当の魔女がゆっくりと起き上がった。
「あなた、自分がどういう鬼か、知ってる?」
「どいういう鬼か?」
鬼って、そんなに種類がいるものなのか?
そんなこと今まで考えたことも無かった。
「はぁ、その顔は知らなさそうね。まったく、自分の問題にどうしてそこまで興味がないのかしら……」
「興味がないってわけじゃないんだがな……、これでも結構不便してるんだ。おかげで友達ができない」
「あら、それはあなたの性格の問題ではなくって?」
「それを言うならあんたはどうなんだよあんたは」
あんたが教室で誰かと話している光景なんて見たことがないぞ。
まぁそれはともかく。
「あんたには僕の中の鬼が一体何なのかわかるのか?」
しかし魔女はクツクツと笑って、
「さぁね。それはあなたが自分で突き止めなさい」
と言った。
▼
黒魔女教団。
井沢の背後にいたのはそんな連中だった。
悪意のある輩、というのは容易にわかる。
しかし如何せん、目的はまだ分からない。単に金を得るためなのか、それとも……。
あの日の翌日。放課後。
終礼を終え、さっさと下校しようと教室を出ると、廊下でまた委員長に話掛けられた。
「おー! 悠斗くん悠斗くん。すぐ教室からいなくなっちゃうんだからー。なかなか捕まえられないじゃないか」
「そ、そうか?」
にやにやと笑いながら、委員長は僕の横に並んで歩く。
「私、結局塾は大手の予備校に行くことにした。なんて言うか、そっちの方が信用できるし」
「そうなのか。まぁ僕はまだ行かないけど」
それから下足まで他愛のない話をした。
流れで話してしまっているが、思えば一体いつぶりだろうか。こうして誰かとどうでもいいことを話したのは。
でもきっと、これも長くは続かない。委員長もまた、僕のもとから離れていってしまうだろう。どうしようもない、これが僕の「鬼人」としての性質なのだから。
「そういえばなんだけど、委員長て楊貴妃をどう思う?」
「またざっくりとした質問だねー」
「いやごめん、楊貴妃ってさ、魅力的すぎて皇帝を堕落させたわけじゃん? あんまりに魅力的すぎる人間っていうのも罪なもんだなーって思ってさ」
すると、委員長は、はっはーと両手を腰に当てて思わせぶりに笑った。
「君もまだまだロマンが足りてないなぁ。愛を知らないね、愛を」
「あ、愛?」
「そうそう。楊貴妃はね、別に皇帝を堕落させて国を混乱させてやろう、なんて思っていなかったんだよ。楊貴妃はただ単純に皇帝のことを愛していただけ。皇帝も楊貴妃のことを愛していただけ。まぁ、その愛が強すぎたんだー、ってことなんだけどね」
「な、なるほど」
「でもすごいと思わない? 国を投げ捨てられるほどの愛だよ? 私は何か憧れちゃうなー、そういうの。ロマンチックじゃない?」
国を投げ捨てられるほどの愛、か。
楊貴妃の霊は言っていた。
私の存在意義は人々を堕落させることだと。
だが、委員長の話に沿うならば、それではおかしい。
あくまで皇帝の堕落は愛の結果であり、決して堕落が旨となるものではないのではないか。
▼
魔女・五木華恋曰く。
「黒魔女教団は歪んだ形で霊を呼んだのでしょうね。都合のいいように改変した解釈を与えて、魅了と堕落の象徴として楊貴妃を形作ったのよ」
僕にはあまり彼女の言っていることは理解できていないが、言っていることはまぁ何となくでわかる。
ただ、それだけのことをやろうとする、そしてそれをやってのける黒魔女教団とやらが恐ろしく感じられる。一体何のために井沢を操っていたのか、それははっきりとしないままだ。
だがきっと、黒魔女教団とはまたどこかで出会うことになる。
不思議とそう思った。
▼
「下僕、今日の分」
「はい、これでいいんだよな」
僕は五木さんに苺のお菓子を手渡す。
この奇妙な行為ももう僕にとっては習慣だ。
「あんたよっぽど苺が好きなんだな。そういえば前に、切っても切れない関係だとか言ってたけど……」
訊いてみると、意外なことに五木さんは答えてくれた。
「いいわ、特別に教えてあげる。私はね、私の領域の中でしか魔術を使えないの」
「というと?」
「『私の領域』、それは苺なの」
「苺」
「苺で四方を包囲された空間は『私の領域』として定義される。ということよ」
まさか五木さんと苺にそんな関係があったとは。
……そういえば、井沢塾に突撃した時にも苺を四隅の教室に置いたんだったな。
今になって分かったが、そういうことだったのか。苺を置かなければ、五木さんは魔術を使えない……。
「学校の連中があんたに全く興味を示さないのは?」
仕事を終えたからか今日は何やらご機嫌よろしいようで、これにも答えてくれた。指を軽く振りながらスラスラと。
「私の性質ね。魔女は厳密には人間ではない。だから人間は本能的に魔女と関わることを避けるのよ。同じ生き物ではないから。でもそれも本来はあってないようなものなのよ? 『鬼人』のあなたにだって当てはまるわけだし。でも魔女の中でも私は特にそれが顕著なの。理由は知らないわ。どうせ神様のいたずらみたいなものよ」
なるほど、これで謎が解けた。
今まで彼女が独りだったのは魔女であることが起因していた、ということか。
それともう一つ、気になっていることがあった。
「もう一つだけ訊いていいか?」
「聞き方に気を付けてほしいものだけれど、まぁいいわ。何?」
「五木さんは、あんたは何で僕を殺さなかったんだ。僕だって一応駆逐対象なんだろ?」
五木さんは、頬に手を当てて考える素振りをした。
「そうね……、あなたの反応が滑稽だったからというのが一番だけれど」
それだけではなく、
「私の結界を破ったの、あなたが最初だったからよ」
そう言って、ふふふと笑った。
「? どういうことだ?」
僕がそう訊いても、その魔女はただ楽し気に笑うだけだった。
けれどその笑顔は本当に楽しそうで、僕は少しだけ嬉しかった。
今は心臓を人質に下僕にされて振り回されているばかりだけれど、この人なら、あるいは、僕の「鬼人」の性質なんて簡単に乗り越えてくれるのかもしれない。
彼女の笑顔を見ながら、そう思った。
▶END◀
魔女の下僕 優木 藤吾 @worst777
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