第一章・序『始まりの転移』

第一章01『はじめの一歩』

 ──神様とやらがこの世にいるなら、何でそいつは俺のことを作ったんだろうか


 誰もが眠くなる春先の昼過ぎ、大きな欠伸を一つしながら、冰崎すさきかけるは窓の外を見ていた。黒板ではセンセイが何かを言いながら書いているけれど、正直興味はない。


 退屈で仕方ないのだ。この世の全てが。斜に構えている、などと言われても仕方が無いけれど。この世界は見ている分には楽しいけれど、自分がその社会の中に入るなど想像も出来なかった。


 いっそのこと、何か物語の中にでも入れたらその退屈も晴れるのかもしれない。ドラゴンのいる魔法の世界か、一人一つ超能力を持つ世界か。あるいは全てを笑いに変えてしまうコメディでもいい。とにかく、この世界は退屈すぎる。誰でもいいから、この世の中を変えてくれ。それが、傲慢で幼稚な、彼の抱いている願いであった。


 ふと、まぶたが重力に屈し落ちていく。退屈な授業だ。寝るのは珍しくない。ただ何故かいつもと違う。眠りに落ちる、なんて表現にぴったりの感じだった。意識が深くに、落ちていく。


 そして、何故かまわりが騒がしい。授業中だというのに何かあったのだろうか。気になるけどもう目を開けていられない。気絶に近い眠りに入る直前、そういえば教科書を松つん、隣のクラスの友達に借りたことを思い出した。よだれつけたら悪いな。けど、もう我慢は出来なかった。


 目を閉じ、机に身を置き、眠りの姿勢を作ってからは一瞬だった。まるで水の中にでも放り込まれたかのように、自分の体が沈んでいくのを感じていた。目を開けても、それは事実、水かなにか、青い何かに沈んでいっているのが見えるだけだった。


 その空間が、夢か現かは分からなかった。ただ、きっとその時から彼の運命は変わっていたのだろう。


 事前に断っておくが、先の傲慢な彼も実際に「異世界」や「超能力」、「魔法」なんてものは信じちゃいなかった。そこまで夢を見る少年ではない。しかし、だからこそ、救いようのない平和な現実に失望していたのだった。


 だから、その後目を開けた時の彼の驚きは語るまでもないだろう


 ──そこはいつもの教室ではなく、一面吹雪の銀世界となっていたのだから。



********************


「……は?」


 目を開けて直後、彼が発したのはそんな気の抜けた一言だった。まだ夢から覚め切ってないのか。勘弁してくれ、寒いのは嫌いなんだ。暑いのもだけど。


 だがそれが夢ではないことはすぐにわかった。顔も、足も、手も、冷たい。ほっぺたをつねっても痛くないように、夢の中なら吹雪の中でも寒さを感じずに済むはずだ。


 それにそれは夢というのもおこがましい悪夢だったからだ。突然吹雪の雪山に飛ばされる?そんな救いようのない夢は聞いたことがない。普通夢というのは友達が妙にリアルに、あるいは全く現実とはかけ離れて、もしくは少し違和感がある調子で生活している虚構の物語を見せてくれるものだと思う。こんなに独りで、寒くて、悲しい夢はあってはならない。


 とにかく、状況を整理しなくては。凍える体で、一つ一つ確かめていく。


 これは夢じゃない。ならここはどこだ?学校の近くに山はあるにしろ、生憎彼は小さい頃から雪合戦を夢見てきた太平洋側の人間だ。あそこに雪が積もっている所など見たこともないし、そもそも周りの景色はほんの数時間で形成されるものじゃない。


「……じゃあ、ここは少なくとも俺の町じゃないとしたら」


 ──一体どうして、居眠りをしている間にこんなところに来てしまったのだろうか。


 ふと、テレビか何かのドッキリ企画が頭をよぎる。だが、すぐにそれはないだろうと数秒前の自分を否定した。テレビの企画にしては悪質すぎるし手が込みすぎている。第一こういうのはテレビに出ているタレントやらがやるものだろう。そんな世界とは生まれてこの方液晶を通してしか縁がない彼は、そんなものに巻き込まれるはずもない。


 なら、どうして。寝相で移動したにしては遠すぎるし彼の学ランも汚れていない。最もそれは今や雪が付きぐっしょりと重さを増しているのだが。


「……まさか、これが俗に言う異世界召喚とか?」


 一瞬、こんな状況でも冗談が言える自分に驚いたが、あながちそれが冗談で切り捨てられないことに気付く。とても理不尽で、意味不明ではあるが論が通っている。何らかの影響でこの雪の世界に召喚された、ということでこの特異な状況も説明出来なくはない。


 だが、それはそれで少し疑問が残る。異世界召喚、というのなら召喚した者がいるはずだ。それがこの雪景色の中に見当たらない。それどころか人影すら見当たらない。それに彼を召喚する目的もないだろう。彼は体力や身体能力は平均的で、別に悪魔の住み着いた左手を持っているわけでも、10km先を見据える神眼か何かも持ち合わせちゃいない。そんな彼にやれ魔王やらを倒せというのは流石に的外れに思えた。


 ──だがそれでも、今の彼の推測としては


「……異世界召喚、ってことになるのか」


 そう彼はため息をついた。やれやれ。退屈な世界とは思っていたがこうも矢庭に、呆気なくサヨナラを告げることになるとは思わなかった。今では少し元の世界に感慨すら覚える。それどころかもう既に元の世界に帰れるものならば帰りたい。少なくともあちらでは、吹雪も吹いていなければ食料にも困らず、寝床もきちんと用意されてるのだから。


 だが、通例異世界召喚の類は元の世界に戻れないものが少なくない。彼もどこか、もう元の世界に帰れない気が少ししていた。こうも当然に世界が変わる体験をすれば皆がそう思ってしまうのかもしれないが。まるで気分はどこか始めていくところに旅行でもしているようだった。環境は最悪であるけれど。


 ふと、そんなことを思っていたらその場の厳しい寒さに改めて気付いた。耳をつんざく風の音、しゃくりしゃくりと彼の周りに積もっていく雪。もうそれは跪いた彼の腰のあたりまで来ていた。


「……とりあえず、この雪を凌げるところ、探さないとな……」


 膝に手を付き、立ち上がる。そして前に進まんとした時……


「がっ……?」


 ──姿の見えない何かに、身体を思い切り押された。まるでそんな感じであった。だがそれは何もこの世界のいるかもしれない「魔物」や実在するかもしれない「魔法」なんかの仕業ではなかった。ただの「風」。なれない雪の足場にバランスが悪かったこともある。彼自身そのような突風を予期していなかったこともある。だが、それにしても、これは。


「……マジで、神様ってのは俺のことが嫌いらしいな」


 彼は元よりぬくぬくと都会(と言えなくもない)環境で育ってきた男だ。おまけに装備は教室で寝た時と同じ(学ラン、制服のズボン)。こんな厳寒の環境で、過ごしていけるはずもない。寒さを凌げる洞穴かなにかを探すことが出来るか、誰か救助が来るか、この吹雪が止むか、彼が死ぬか。


 一体どれが先に起こるのだろうか。救助に関してはこの世界に人間のような生命体がいることが前提になる。それに仮にいたとして、この猛吹雪の中歩くことの出来るものなどいるのか。望みは限りなく薄い。ならば、もう彼のすべきことは決まったようなものだ。


「……歩く、しかない」


 まだ見えぬ安息地。吹雪で視界は悪く、寒さは体力を奪う。降りしきる雪は身体を重くし、それらは全てじわりじわりと彼の心を蝕んでいく。歩くのをやめてしまえば、楽になれると。


「ふざけんな。諦めてたまるかよ」


 彼は笑った。神様とやらを煽るように。神は彼のことが嫌いらしい。ならばもうとことん抗うしかないだろう。神の書いた、運命という名のシナリオに。


 今だ強さを増す吹雪の中、彼は運命に抗うはじめの一歩を、大きく白のキャンパスに踏み出した。

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