ゴミ捨て場の矜持

「かにゃおにいちゃん、あっち!」


 氷雨ちゃんの声だった。魔法使いの氷雨ちゃんには魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアの姿が見えている。あっちって言われても、と思うと氷の粒が飛んできて左の頬に張りついた。それだけあれは十分だ。体を右に転がしながら体勢を整えると、今度は勇さんの声がした。


「あまり動き過ぎるな。お前が思うより狭いぞ」


 僕の後ろにはみんながいる。誰も逃げずにそこにいる。僕は今、みんなを背に守って戦っている。


「俺たちは後ろに控えてるから気にせず思いっきり振り回せ」


「見えない敵に怯えるな自分の剣を信じろ」


 今度は遠くから僕の背中を押す声が聞こえる。


「叶哉さん、無事で帰ってきてください」


 そして僕を気遣う声がする。


「みんながいる」


 誰も僕の言うことなんて聞いてくれなかった。みんなすぐ後ろで僕のことを待っている。信じている。だから、僕は負けられない。必ず守る。僕はゴミ捨て場トラッシュドリフトの騎士なのだ。

 そう思うと急に魔剣アリシアが軽くなる。やっと起きたか、このねぼすけは。そんな軽口が聞けるほど、僕は魔剣アリシアの気持ちがわかる。


 守るものがあるというなら力を貸す。

 それが僕の相棒の答えだ。


 つかんだ剣を片手で横に薙ぐ。それだけで迷宮ダンジョンに旋風が走る。もう冷たい空気はなかった。やっぱり迷宮の中を見えないけど、もう迷いはない。


「そこなんだね?」


 僕には見えなくても、魔剣アリシアにはあいつの姿がはっきりと見えている。導かれるように魔剣アリシアを振り下ろす。おまけといわんばかりの衝撃波が迷宮を走って、バラバラと天井から砂ぼこりの落ちる音がした。


 赤い恐怖が迷宮内から消えた。

 僕はゆっくりと目を開ける。


 もうどこにも魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアの姿はなかった。

 その代わりに地面に残っているのは黒く輝く死霊石ファントムストーンだけだった。


 前に見たものとは比べ物にならない大きさ。五倍、いや十倍もあるかもしれない。一目見て倒した相手がどれほどのものだったのかを理解するには十分だった。


「やった」


 ようやく漏れた言葉はありきたりでそれだけで気が抜けてしまいそうになる。僕は重い死霊石ファントムストーンをしっかりと持ってみんなに振り返った。


「よくやった」


 にやりと笑ったロウさんはたったそれだけしか言わなかった。その言葉の意味も僕にはもうわかっている。


「はい。でもまだです。帰るまでが迷宮探索ですから」


 そう。ここから全員無事でギルドまで戻って、はじめて僕たちの勝利なのだ。僕は大きな死霊石ファントムストーンを氷雨ちゃんのリュックに預けて、しっかりと魔剣アリシアを握りしめた。




 冒険者受付に戻ってくると、入り口でそわそわと落ち着かない様子でぽちさんがいったりきたりを繰り返していた。主人の帰りを待つ忠犬、っていうとまた怒ってしまいそうだけど。


「なにやってんだ?」


 そんなぽちさんの気も知らずに、ロウさんは呆れたように首を傾げる。そんな鈍感なのにたまに気を回して自滅するんだから不思議な人だ。


「何、って心配していたんですよ! 諦めてくれたんですね! よかったです!」


 ぴょんぴょんと僕たちの周りを跳ね回っている。そこまで心配してくれていたかと思うと、行ったことがすごく悪いことに感じてしまうんだけど。


「いえ、全然。諦めてないですよ」


「全然って。命知らず過ぎますよ。確かに指定したのはこちらですが」


 まだ止めようとするのをやめてくれない。それって僕たちじゃ絶対に勝てないって思われてるってことで。僕としてはちょっと不服なんだけど。どうしたものか、と思っていると、氷雨ちゃんがリュックからアレを取り出した。これを見れば誰だって僕たちの勝利を信じないわけにはいかない。


「かにゃおにいちゃんがたおしちゃったよ」


 氷雨ちゃんの手に余るくらいの大きな大きな黒い塊。川越のエネルギー源を支える死霊石ファントムストーン。この大きさを見れば倒した相手の凄さがわかってもらえるはずだ。


「えっと、本当に倒したんですか?」


「だからさっきからそう言ってるだろう」


 大きすぎる死霊石ファントムストーンはいったいいくらで買い取ってもらえるんだろうか? 今の僕にはそれが一番の楽しみだった。


「えぇぇ!?」


 もう一度驚きの声をあげた。駅前にぽちさんの声が反響して、僕たちは疲れた体に大音量を受けて強く耳を塞いだ。

 今日の収穫はたったひとつだ。それでも他とは比べものにならない。僕たちはわくわくして査定を待つ。


「今日は祝賀会だな。どこにいく?」


「肉か、魚か、酒か」


「ふむ。たまには懐石なんかもいいんじゃないか。カムイがいい店を知っていたはずだ」


「食べることばかりですね。私はギルドの改装をしたいのですが」


「ひさめ、あたらしいこーひーいれるやつがほしい」


 好き放題言っている。まだ査定が出たわけでもないのに、期待外れじゃなきゃいいけど。僕は何が欲しいだろうと思って考えを巡らせてみる。確かにお肉も食べたいけど、まだ夜は寒いし、何かいい暖房が欲しいなぁ。コーヒーで体を温めるにも限界がある。でももうすぐ春だろうから。そこまで考えて僕はふと思い出す。


「そうか。もう木剣ルディスがもらえるんだ」


 そうすれば僕は電車に乗って池袋に帰ることになる。もうギルドで生活することはなくなるのだ。あんなに恐ろしい迷宮ダンジョンにももう行かなくていいはずなのに。どうして寂しいと思ってしまうんだろう。


「はい、こちらです。落としたって言ってももう一回もらえませんからね」


「わかってるよ」


 ぽちさんに呼ばれて文字通り山のような硬貨を目の前に並べてくれた。全部金色の五百円玉だ。それがこんなにも。いったいいくらなのか数えきれない。それを普段なら拾ったものを入れておく大きな氷雨ちゃんのリュックに入れてエレナさんが大切に抱えて帰った。エレナさんですら重そうな大金は僕の夢の終わりを告げる最後のお宝だった。

 ギルドに戻る帰り道。どこかから澄んだ鐘の音が聞こえた。


「これって」


「時の鐘だな」


魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアが倒されたからだろう」


 川越市民に喜びを伝えるために福音が何度も響く。ちょっと遠回りして蔵造りの通りに入ると鐘楼の下にたくさんの人が集まっていた。

 号外を配る新聞屋さんに、万歳三唱をする人もいる。


「これ全部、お前がやったことなんだぜ」


「はい。でも僕だけじゃないです」


 これはみんなで鳴らしたゴミ捨て場トラッシュドリフトに集まったダメな僕たちが鳴らした最高の鐘の音だった。

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