真っ暗な迷宮

 普段は目を皿にして歩く低層階をほとんど最短ルートで駆け抜けた。地図が頭に入っているだけに迷いはない。それにしても寄り道しないとこんなに階段までって近かったんだ。いかにいつも必死で落ちているものを探しているかがわかる。

 それにこの様子だとめぼしいものは見つかりそうもない。


「今日は低層階にも人がいるな」


「他の迷宮ダンジョンに回れなかったのだろう」


 普段は他の冒険者なんて見たこともなかった。低層階は落ちているものの価値が低いから相対的に長く留まる冒険者は少ないし、六階層以降は広いからかすれ違うことがないって話だ。それが今日は立ち入り禁止の影響で低層階に人が溢れ返って百貨店の大売り出しみたいになっている。


「早く解決しないと毎日収穫なしってことになりそうですね」


「それは大変です! 早くなんとかしないと」


「だからこれからそれをしに行くんですってば」


 毛を逆立てたミオさんは家計を気にしすぎて今日の目的を忘れてないか心配だ。そんな話をしているともう六階層に下りる階段まで辿り着いてしまった。


「見張りの人とかいないんですか?」


「いるわけねぇだろ。向こうは勝手に降りたら自己責任。当然黙認だ」


 二つ名持ちの死霊ファントムなんて見るだけで死を覚悟しなくちゃいけないような相手だ。背を向けて逃げ出したって誰もそれを恥だとは言わないくらいの敵に真っ向から挑もうという冒険者がいるだけでギルドにとってはありがたい存在なのだ。そして万が一にでも倒してくれたら。そんな淡い期待を抱かずにはいられない。


「でも倒しても死霊石ファントムストーンは買い取りなんですね」


 なんかズルい。


「大きな組織はたいていそういうものですよ」


 そして割を食うのは僕たちみたいな小さな団体や会社なのだ。それは川越にいても簡単には変わってくれないらしい。ミオさんの溜息がいつもより騒がしい迷宮ダンジョンの中に消えていく。


「次はいよいよ六階層だ。何があっても目は開けるなよ」


「叶哉さんは私が誘導いたしますので」


 僕の手をミオさんがとる。するとほとんど同時にもう片方の手にも冷たい感触がした。


「ひさめもやりたーい」


 言うとは思ってたけどね。氷雨ちゃんのひんやりとした肌が僕の手からぬくもりを奪っていく。それほど悪い気はしないけど、これからいつ戦いが始まるかっていうときに両手を繋いで遠足みたいに歩くわけにもいかない。ましてや僕の魔剣アリシアはとてつもなく大きくて扱いにくいやつなのだ。


「氷雨、お前には叶哉を守る役割がある。私とともに行くぞ」


 僕の腕にまで絡みつきそうな勢いの氷雨ちゃんを諭すようにエレナさんが頭を撫でた。できればこの前と同じようなことにはしたくないんだけど。


「じゃあひさめがんばる」


 僕の手を離して、代わりに氷雨ちゃんはエレナさんの手を握った。まだ完全にやけどが癒えていないだろうエレナさんの手にもあの冷たい手は優しく感じられるはずだ。


「言っとくが六階層にいなかったら帰るぞ。それ以上は準備が足りないからな」


「わかってます」


 チャンスはそれほど多くないかもしれない。出会えない、勝てない。悪い予感はいくらでも思い浮かぶ。ミオさんの手を握り、両目をゆっくりと閉じると不安はさらに加速して、まぶたの裏で早回しに映し出されていく。

 思わず握る手に力がこもる。迷宮ダンジョンで目を閉じるなって簡単なことじゃない。怖い。しかも僕は今から一度は負けた魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアに挑むのだ。


「大丈夫ですよ。みんないますから」


 ミオさんに連れられてゆっくりと階段を下りる。普段できていることがこんなにも難しいということを改めて感じながら僕たちは六階層へと足を踏み入れた。

 薄暗い六階層を進みながらときどきミオさんに合わせて立ち止まる。そのたびにいくらかの乾いた音がして死獣タナトスと戦っているのがわかる。最近は僕が相手をしていたから久し振りの戦いだ。それでも鮮やかな戦いが透けて見えるようだった。


 もう何度角を曲がったのかわからなくなっていた。ふと首筋を冷たい風が通り抜けた。地下の洞窟上になった迷宮ダンジョンでそんなことがあるはずがないのに。


「来た」


「わかるんですか?」


「なんとなくですけど」


 一度味わった恐怖がそうさせているのかもしれない。ただの恐怖じゃない。死ぬかもしれないほどの恐怖。それに僕はわざわざこうやってまた会いに来たのだ。

 背筋が凍るほどの恐怖。でも僕はもうためらわない。空いている右手でぐっと剣の柄を握る。あとはこれをあいつに叩きつけるだけだ。

 でもちょっとためらいがちにロウさんが弱気につぶやく。


「もしかして死霊ファントムって臭いがないのか?」


「熱もないようだ」


「気迫も感じないな」


 それぞれの種族に備わった人間の何倍もある感覚。暗い迷宮ダンジョンの中を見渡し、死獣タナトスをとらえることのできる能力でもあの死霊ファントムは捉えられないのだ。闘争心もなければ亡霊のようにさまよう半透明の肉体は現実にあるのかすらよくわからないものだ。


「ひさめわかる。もうちょっと前の方」


 それを感じ取れるのは魔法使いの感覚のみだ。考えが浅かった。まだ迷宮ダンジョンに慣れたくらいの僕が思いつくような対策はとっくの昔にどこかの誰かが挑戦していてもおかしくない。そしてまだあいつはここにいる。浅はかな対策で倒せるなら二つ名なんて冠していないのだ。


「一旦引くぞ」


「そうしましょう。生きて帰ればきっとまた機会はあります」


 みんな揃って体を翻らせて、来た道を戻り始める。でも僕は繋いでいたミオさんの手を払って、両足を踏みしめた。


「叶哉さん?」


「みんなは行ってください」


 感じる。目を閉じたままでもわかる。見るだけで人を殺すあの紅い瞳が僕を探している。

 仕留め損ねたと思っているんだろうか。それともただの気のせいなのだろうか。


「もう、そこまで来てます」


 でもそんなことはどうだっていい。


 今の僕にできることをするしかないんだ。


 ぐっと閉じたまぶたの裏には星みたいな光がいくつか浮かんでいるだけ。そこにあいつの姿はない。狭い通路なら振れば当たるかもしれない。通路の広さを思い出せ。どこでもほとんど変わらなかったじゃないか。

 自分に言い聞かせる。目を閉じていたからと言って他に攻撃方法を持たないとは限らない。まぶたの裏からでも魔眼に見初みそめられることもあるかもしれない。


「でも守るって約束したから」


 今さらもう後には引けなかった。自分の感覚を信じて魔剣アリシアを放り投げる。手ごたえはない。そもそも今までもかすったり、風圧だったりでろくな手ごたえなんて感じたことがないからわからない。でも赤い恐怖は消えていない。


 どこにいった? どこにいる? 見えない世界に神経を研ぎ澄ませる。聞き慣れた声が聞こえた。

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