恐怖は地上にも待っている

「この後、ちょっと出かけてきてもいいですか?」


 ギルドに戻って魔剣を壁にたてかける。それと同時に僕は早々に切り出した。

「それは構わないが、特訓するとか言うなよ。まだどんな影響があるかわかんねぇんだからな」


「もう遅くなりますし、明日にでも」


「いえ、少しでも早く行っておきたいので」


 ギルドのお父さんとお母さんはやっぱり心配性だ。


「絶対に無理なんてしないですから。安心してください」


 今まで散々無理をしてきた僕が言っても説得力なんて全然ないだろう。それでも僕が行くと言えばもう止めないでいてくれる。僕は川越で唯一の自由な奴隷なのだ。


「それに勇さんもついてきてくれますから」


「勇が? なんだ何か食うなら俺もいくぞ」


「どうして我がついていくと食べ物になるのだ」


 そりゃ今までの言動からすれば仕方ないと思うんだけど。勇さんの口から出る言葉の八割くらいは食べ物絡みの話なんだから。


「ロウさんも来てもいいですけど、迷宮ダンジョンより怖いですよ」


「どこだよ、それは」


「カムイさんのところです」


 ロウさんの眉根がピクリと動く。剣闘士の訓練をしっかりやっていたロウさんがカムイさんを知らないわけがない。それなのに僕の試合のときだって後から控室に近づこうともしなかった。絶対に知っているのだ、カムイさんが並はずれて厳しい人だってことを。


「特訓するってんなら止めるぞ」


「僕は倒れたばかりだからやりませんよ」


 さすがにそれをわかっていながらやる人じゃない。


「でもロウさんが魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアに挑むって言ったら、なんて答えるかはわかりません」


 カムイさんとはそういう人だ。ロウさんが普段は迷宮ダンジョンに行かないと聞いたらなまっているとか言って何か始めるに違いない。その証拠にさっきからエレナさんはこの話に一切口を挟もうとしていない。


「勇は、覚悟はできてるんだろうな?」


「む、無論だ。ど、どんな苦行にも耐えるつもりだ」


 もう声が震えている。ちょっと手加減してもらえるといいなぁ。


「わかった。行ってこい。俺は待っててやるよ」


 あ、逃げた。まぁ僕もちょっと気持ちはわかるけど。ともかくリーダーの許可をもらって、僕は星の輝く中、川越城跡を目指していった。


 夜の闘技場コロッセオは川越の一大アミューズメントというだけあって大盛況だった。ナイターのライトはつけるのが難しいみたいでキャンプファイヤーみたいな大きな炎が上がっているのが球場の外からでも見えた。向こうに行っているならちょっと待たなくちゃいけないかもしれないな、と思いつつ、僕は本丸御殿に向かっていく。

 渡り廊下を歩いているとやっぱり羽織はお城に似合うなぁ、なんて関係のないことが頭に浮かんでしまった。


「でもなんでその羽織なんですか?」


「刀をとったときにそれだけでは格好がつかないと思ってな。たまたま知った新選組に合わせたのだ」


「そんな理由で」


「いや、その後いろいろと調べはしたぞ! 己の信じたものを守るために戦ったのだから尊敬もしている」


 それを先に言えばよかったのに。言い訳を並べる勇さんの話を聞いていると、カムイさんのいた最奥の部屋の前まで着いてしまった。


「こんにちは」


 襖ってノックのしようがないからそのまま開けたんだけどマナー違反だったかな。


「……君か」


 まるで僕を待っていたように鋭い視線で睨まれている。やっぱりなにかマナーが悪かったらしい。僕は慌てて頭を下げた。勇さんもそれに続く。


「ご迷惑でしたか?」


「いや、気配は気付いていたのだがね。人間がここまで入ってくることはないからね。ついに地上に死霊ファントムが出たかと思ったよ」


 カムイさんはいつもの微笑みを湛えながら首筋に手を当てた。それしたって死霊ファントムみたいって。僕はあんな亡霊みたいな姿はしていないはずだ。でも今日は襲われて倒れたばかりだからちょっと怖くなってしまう。


「大変だったらしいね」


「もう知ってるんですか?」


「六階層に二つ名持ちが出れば川越は大騒ぎさ。よく無事だったね。当面は六階層は立ち入り禁止で川越の生活に支障が出なければいいんだが」


 六階層に行けなくなるってことはそれ以降の迷宮ダンジョンにも行けなくなるってことだ。つまり川越の物資にそのまま影響が出る。一応他にも迷宮ダンジョンはあるって話だったけど、百貨店跡だけあって食べ物や日用品の多いところだったから心配だ。やっぱり早く倒してしまった方がいいに決まってる。


「まだ六階層にいるうちに、倒したいんです」


「我も微力ながら手を貸したい。そのために教えを請いに来たのだ」


 はっきりと言った。もう後には引けない。どんな特訓が待っているんだろう、と息を飲む。でもカムイさんは頬を掻きながら考え込むばかりだった。


「どんなやつだったんだい?」


「えっと、まるで人間みたいでした。足もあって、厚手のコートみたいなものを着ていて」


 薄暗かったからあまりはっきりとは覚えていなかった。ただ今まで見たどの敵よりも怖かったのは自分と同じ人間なんじゃないかと思ったことだった。ぼんやりとした夢遊病者みたいだった。


「それでたぶん右目だけが光っていて、それを見た途端に頭がくらくらとしてきて」


 その後はなんとか氷雨ちゃんとエレナさんに助けてもらったのだ。ほとんど何もできなかった。あんなに意気込んでいったのに、情けなくやられたことを思い出すと、また悔しくなってくる。


「それはどのくらいの距離だったんだい?」


「えっと、四、五メートルくらいだったと思います」


「ふむ、それだと両手剣でも届かないな」


 僕が腕をめいっぱいまで伸ばしたとしても届くのは二メートル弱。そこからさらに風圧が出たとしてもやっぱり奴には届かない。あのときの衝撃波を、と思ってもあれ以降すっかり出てくる気配はなくなってしまった。


「ただやはり直接見なかったから助かったんだろう?」


「氷雨ちゃんとエレナさんが魔法で霧を起こしてくれて、それでなんとか」


「ふむ、つまりは遠距離かつ直接でなければ死ぬことはない、ということだね」


 カムイさんはどこか他人事のように、でもだからこそ冷静な言葉で少しずつ分析を進めていく。


「今までの情報は断片的だった。それがこうしていい情報を手に入れた。これなら対策も生まれるだろう」


 カムイさんが不敵に笑う。


「たとえば視界に入ることなく素早く動いて敵を討つ。そのために私が考案した新トレーニングメニューがここにあるのだが」


「ありがとうございました! 失礼します!」


 そのメニューを見た瞬間に、僕たちは深々と頭を下げて脱兎のごとく逃げだした。床板を踏みつける音が遠くに聞こえる歓声に混じる。


「どんな特訓だって乗り越える覚悟があったんじゃなかったんですか?」


「お前も見ただろう。なんだあのメニューは。読んだだけで三途の川が見えたぞ」


 後ろからカムイさんが音もなく走ってくる。僕たちはもう振り返ることもせず、ただひたすらにギルドまでの道を走り抜けた。

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