紅色の瞳
無駄話が止まる。静まった
「あっちみたい」
氷雨ちゃんが脇道を指差した。
「まず二人は帰り道の方へ。それから僕が見に行きます」
耳打ちに三人が頷く。これが僕の居場所を決める。そう思うとまた手が震えてくる。もし危ないようならしっかり逃げる。帰りの道順はしっかりわかっている。後ろでは氷雨ちゃんがいざというときのために手を合わせてしっかり準備もしてくれている。
「行きます」
「かにゃおにいちゃん、きをつけてね」
ふぅ、と息を吐いて脇道を覗き込む。じとりとした汗が首筋を伝った。なんでだろう。今までと違う感覚がする。僕の横を走り抜けてエレナさんと勇さんは逆側の角で様子を見ている。氷雨ちゃんだって後ろにいる。僕はこれから守ると同時に守られている。心配なんてないはずなんだ。
遠くに
少しずつ目線を上げていく。どうやらコートのようなものを羽織っているみたいで、迷っている人間なんじゃないかと思えてくる。それでも明らかにまとっている雰囲気が人間のものではないと知らせていた。
さらに上。ちょうど人間の目と同じ高さ。そこには
どうして視界がぼやけているんだろう。
「氷雨!」
「わかった!」
すぐそばにいるはずの二人の声が遠くに聞こえる。左側から小さな氷の粒が飛んできて、僕の視界を覆う。今度は逆から炎が噴き出す。氷があっという間に霧に変化した。濃い霧は紅い瞳をぼやけさせる。いや、僕の視界がぼやけているのかも。
「逃げるぞ!」
「いったいなんでこんなところにあんなのがいるんだ!」
「そんなことはどうでもいい。早く叶哉を!」
いつもと違う感触に僕を抱えたのが勇さんだとわかった。乱暴に肩に担がれた僕は、逆さまの世界で
「えれなおねえちゃん、だいじょうぶ?」
「問題ない。これが私の宿命だ」
氷雨ちゃんの氷を手に持ったまま、エレナさんが走っている。いったい何があったのか、僕にはよくわかっていなかった。
でもどうしてみんな下を向いて走っているんだろう。氷のおかげで道はわかるはずなのに。逆さまのまま僕が顔を上げようとすると、勇さんに乱暴に上から押さえつけられた。もう
「見るな。目を閉じておけ」
「どうして、ですか?」
「間違いない。今のが、
少し苦しそうな声で答えたエレナさんに返事をする前に、僕の意識は遠くへと飛んでいった。
柔らかいベッドだった。ギルドのものじゃない。やっぱり今まで見ていたのは長い夢だったのかな。
「かにゃおにいちゃーん!」
ベッドの上から氷雨ちゃんに飛びつかれてはっとして現実に帰ってくる。ここはやっぱり川越だ。町の中にまで砂ぼこりが舞っているこの川越でここだけはかなり清潔に気を遣っている。どうやら荒れ狂う
「こら、氷雨。叶哉はまだ起きたばかりだ。危ないだろう」
エレナさんにつかみあげられて、氷雨ちゃんはベッドから下ろされる。そうか、僕は
「すみません。叶哉さんが無理をしないように情報を隠したことが裏目に出てしまいました」
「とにかく無事でよかった。肝を冷やしたぜ」
周りを見るとみんな揃っている。とても心配をかけちゃったみたいだ。当然か、相手は二つ名持ちなんだから。
「あれが、
赤い瞳。思い出すと体が震えた。見るだけで相手を殺す恐ろしい能力。あの霧がなければきっと僕も目を覚まさなかったんだろう。
「すまない。我らの不手際だ」
「いえ、ちゃんと助けてもらいましたから」
でなければ僕はここにいない。
「でも出るのは十一階層だって言ってませんでしたか?」
「あくまで発見例が多いというだけです。二つ名持ちの行動はギルドも把握していませんから。だからこそ危険なんです。もっとも六階層で出たという話は初めて聞きましたが」
運が悪かった、ってことなのかな。でもそう思えるのはなんとか生きて帰ってきたからだ。二つ名持ちに出会いながら無事に帰ってこられただけ運はいい方かもしれない。あれが深層階なのだ。簡単じゃないとは思っていたけど、初めての進攻はどうやら完璧とはいかなかったみたいだ。
「まぁなんとか命は持って帰ってきたんだ。叶哉はよくやったって聞いてる。今は休んどけ」
ベッドから起き出そうとした僕をロウさんが優しく寝かしつけてくれた。自分でも意外なほど落ち着いている。少なくとももう
「あれが、
あの赤い瞳は思い返してみると
「それでも危険な以上は狩るしかないんだ」
それは僕の
「こんな言い方は嫌かもしれんが、六階層であいつを見られたのはよかったな。無事ならいくらでも手の打ちようはある。次は勝つぞ」
「はい」
僕はまだベッドに横たわったまま、でもできるだけ力強く答えた。
今すぐにでも帰りたいと思っていた僕だけど、二つ名持ちと戦った人間を簡単に
医務室を出る僕の胸にあったのは悔しさとそれから妙な高揚感だった。
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