未知の領域とお肉

 少し暗くなった程度でいつもと変わりない。僕にはそう思えたけど、前を行く二人はそうじゃないみたいだった。いつもより歩く速さが鈍い。いつもなら散歩みたいに無駄話をしながら僕を置いていくくらいの速さで行ってしまうのに。


 やっぱりこの二人でも六階層っていうのはなまやさしいものじゃないのだ。いつ出てくるかわからない死霊ファントムの影に怯えながら少しずつ前に進まなくちゃいけない。そういう危険な場所なのだ。


「僕が、前に行きましょうか?」


 二人の前に僕が出る。迷宮ダンジョンに何度も来ていて初めてのことだ。前は剣を構えるのにも一苦労だったけど今はカムイさんに習ったおかげで心配もない。近くに敵がいることさえわかれば僕だって戦えるはずだ。


「しかし我らは叶哉を守る役目が」


「いいんです。ここからは僕の力が必要だってみんなも言ってましたし」


「そうだな。ここは任せよう」


「あとでミオに怒られるぞ」


 勇さんは愚痴るけど、僕はもう後ろに下がるつもりもなかった。これがきっとロウさんの言っていた騎士になるってことなんだ。後ろに守りたい人を置いて、危険な場所に一番に踏み込む。それが僕の役目なのだ。


「おにいちゃんのとなりはひさめだよー」


 僕と同じくいつもは一番後ろを歩く氷雨ちゃんも前に出てくる。魔法が使えるし、いざというときには頼りになるかも。


「まったく、危険な深層だというのに」


 勇さんはまだぶつぶつとつぶやいていたが、薄暗い先に落ちているものを見てそんなイライラはすぐに消えてしまった。


「これ、肉じゃないか?」


「これは、肉だな」


「おにくおちてる」


 さすが六階層。落ちているものの質も変わってくる。お肉なんて川越ではレストランでしか見たことない。それが迷宮ダンジョンの地面にパッキングされて落ちている。豚肉の切り落とし。高級品ではないけど、それでもお肉であることには変わりない。


「本当だ。迷宮ダンジョンで初めてみたぞ」


 勇さんの声が震えている。


「そ、そんなに珍しいんですか?」


 僕の声もいつの間にか震えていた。


「当たり前だ。肉だぞ、肉。換金するか、記念に持って帰るか」


 スチロールのトレーにラップがかかったお肉はやっぱりきれいなピンク色をして今まさにお店に並んだところという感じだ。でもそれにもう違和感を覚えるようなこともない。すっかり僕は川越と迷宮ダンジョンに毒されてしまっている。


「お肉。また食べられるかもしれないんだ」


 こんなに早くその日が来るなんて思ってもいなかった。今日は本当にごちそうが食べられるかもしれない。この一パックだけで危険を承知で六階層に下りてきた価値がある。

 そのくらい川越でお肉を手に入れるのは簡単なことじゃないと僕は身に染みて感じていた。


 氷雨ちゃんのリュックに大切にお肉のパックを入れて僕らは期待を胸に迷宮ダンジョンを歩き始める。さっきよりも足取りは軽い。確実な成果に僕たちの心は明らかに弾んでいた。

 その喜びをかき乱すように唸り声が響く。もう足が震えることも息が荒くなることもなかった。


「こっちだ!」


 誰よりも早く死獣タナトスの方へと向き直る。見つけた死獣の影に魔剣アリシアを投げ下ろす。一閃。素早い死獣タナトスには当たらなかったけど、それでも起きた風圧だけで十分だった。苦しむように倒れた情けない姿に剣を振ると、死獣タナトス霧散して消えた。


「この短期間で。恐ろしいな」


 まだ勇さんは刀を抜いてすらいない。僕よりも発見したのは早いはずだ。ただの人間の僕には鈍感な目や耳でしか敵の姿を察知できない。それでも一番早く動けたのは何が来ようと倒せるという自信だった。


「当たらずともこの威力。私もお役御免だな」


「こんなに早く成長するものなのか?」


 振り下ろした剣をまた背負い直していると、複雑な顔で二人は僕が戦った跡を眺めていた。


「なにより怯えなくなった。剣を振れさえすればこの力だ。もう私たちには敵わないかもしれないな」


 それでも含みを残したのはきっとエレナさんの拳闘士としてのプライドなんだろう。僕だって闘技場で戦ったとして勝てるとは思わない。あくまでこの技術は死獣タナトスにかろうじて通じる程度でしかないのだ。


「まだまだですよ」


「いや、剣を手にとれない人間ヒューマンも多くいる。昔の叶哉のようにな。それをお前は乗り越えた。それだけで我らには救世主のようだ」


 やっぱりそういう人もいるんだ。刺突剣レイピアの彼のように恐怖をこらえながらでも戦いに赴けるならまだいい方だ。戦うことに慣れていない僕たちはまずそこから始めなくちゃいけなかった。

 僕も乗り越えたんじゃなくてみんなに乗り越えさせてもらっただけだ。今日から少しでもその恩返しができればいいんだけど。


 たった一階下りただけで深層階は雰囲気が違うと思い知らされるのに時間はかからなかった。死霊ファントムこそいないもののとにかく死獣タナトスの数が多い。前は一階層丸々遭わないことだってあったのに、六階層ではもう六度。そのうち二度は二匹まとめて現れた。

 振ればなんとかなる、という魔剣アリシアの力に頼ってそのすべてを今日は僕が倒している。


「あまり気負うなよ。本来死獣タナトスは我らが倒す役目だ」


 勇さんは両手で刀を構えながらも今日はまだ一度も抜いていない。僕が抜かせていない。


「でもいい経験にはなりますから」


 僕はそう答えたけど、どんなに死獣タナトスを狩っても意味がない。そんな気がしていた。一度だけ見た死霊ファントムは質の違う恐怖を感じさせた。今のように剣を振るっても勝てないかもしれないという疑念がいつも頭をかすめている。

 僕はまだ恐怖を克服したわけじゃない。ただ恐怖を心に秘めたまま戦うことも出来るってことを知っただけなのだ。


「そろそろ戻ろう」


「そうだな。今日の収穫としては十分だ」


「いいんですか?」


 広いとは聞いていたけど、まったく終わりの見えない六階層はまだ先が続いている。そもそも日帰りするにはこの六階層までが限界なのだ。これ以上先に進むなら遠征の準備が必要になるらしい。僕たちにはまだまだ遠い話だ。


「帰るまでが迷宮探索だからな。帰りも頼むぞ」


 今日はまだ死霊ファントムに遭っていない。その事実が僕に安心と心残りを感じさせてくれる。確かにいつもと比べるとかなりの収穫だ。お肉もあるし、川越での価値はわからないけど目覚まし時計も拾った。でもやっぱりここで一番手に入れたかったのは死霊石ファントムストーン、そしてなによりまた死霊ファントムを倒したという事実だった。


 氷雨ちゃんがつけてくれた道しるべを辿りながら迷うことなく戻っていく。しっかりと溶けずに残った氷のおかげでずいぶんと楽ができそうだった。

 死獣タナトスを二匹狩り、もう半分は戻っただろうか。ふいに空気が冷たさを増した。この感覚、覚えがある。


「こういうときのために余力が必要なんですね」


「そういうことだな」


 僕には勘でしかないけど、みんなにははっきりともうわかっているんだろう。死霊ファントムだと。

 これが六階層なんだ、と僕は剣の柄をぐっと握りしめた。

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