四章 魔眼《ビゼリ》を超える力

今こそ

 試合の日から五日。剣闘でしっかりと勝利を収めた僕は迷宮探索にも少し自信がついて、死獣タナトス数匹に出会っても落ち着いて対処できるようになった。

やっぱり取り回しの悪い両手剣ツヴァイハンダーは狭い通路との相性はよくも悪くも極端で二人のフォローがないと大変ではあるけど。


「そろそろ六階層までは行ってもいいと思うんだが」


 今朝、エレナさんはそう切り出した。


「私は反対です。あまりにも危険すぎます」


 返す刀で意見を一刀両断したのはミオさん。


「行ってみる価値はある。叶哉ももう昔のようなへたれじゃないぞ」


 結構失礼なことを言っているのは勇さん。


「かにゃおにいちゃんはひさめがまもるよ」


 そしていつもの調子で僕の袖に腕を絡めてくるのは氷雨ちゃんだ。

 ロウさんはじっと黙って腕を組んだまま、発言しているみんなの顔をゆっくりと眺めている。

 確かに心配なのはわかるし、嬉しいことだと思う。でもいつまでもそれに甘えて前に進まずにいたらいつかそれが当然になってしまう。今が前に踏み出すときなんだ。


「僕は、行きたいです。魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアはともかくとして、死霊ファントムを倒せばギルドも安定しますし」


 剣闘のおかげであんなにいいものが食べられたという記憶が僕に勇気をくれる。ちょっと情けない理由かもしれないけど、おいしいものを食べたいという気持ちは人間の欲求に忠実で簡単に抗うことはできない分、力強い。まだ一つしか見たことのない死霊石ファントムストーンが定期的に手に入れば、今よりずいぶんいい暮らしができる。


「俺たちのことは気にしなくていい。お前の気持ちだけで決めてくれ」


「そうですよ。私たちはずっとこうしてやってきましたから」


 ロウさんはちょっと反対に回っているみたいで、ミオさんと口を揃えて僕の顔を見た。でも気持ちはわかるのだ。だってこの二人は迷宮ダンジョンには行けない立場なんだから。リーダーを失えばギルドはそのまま解体されてしまうかもしれないし、ミオさんがいないとやっぱり生計が立ち行かなくなっていくはずだ。そのためにも僕がしっかり信用されなくちゃいけないってことなのだ。


「それでも、やっぱり行きたいです」


「いつかは行かなければならない場所だ。叶哉が行くというのなら我らは守るのが役目だ」


「そうだな。一度は切り抜けた。試す価値は十分にある」


 迷宮ダンジョンに普段から行っている二人は逆に乗り気だ。でもそれはいざというときには自分が、ということであってやっぱりまだ信頼されているというわけじゃない。それでもいいと言ってくれているんだ。


「ですが……」


「わかった。行ってこい」


 まだためらっているミオさんの言葉を遮って、ロウさんが溜息交じりに許しを出した。リーダーがそう言ったのだからもうこれ以上誰も何も言えなかった。


「ダメそうならちゃんと逃げますから」


「当たり前だ。うちのギルドは安全第一だ」


 冒険者ギルドでこんなことを言っているのはきっとここだけだろう。ちょっと情けないかもしれないけど、一番重要なことなのだ。僕は誰よりも先に立ち上がって、魔剣アリシアをとる。僕だけじゃなくみんなを守る力を貸してくれると信じている。


「やっぱり俺もついていった方がいいか?」


 準備を整えていざギルドを出ようというところでロウさんが不安そうに僕の側にやってきた。ちょっと前にかっこよく許可を出した人と同一人物には思えないほど狼狽うろたえている。そのままどっしりと構えていてくれればよかったのに。


「ギルドリーダーに倒れられると面倒なことになるんですから我慢してください」


「でもなぁ」


 渋るロウさんの耳をミオさんが引っ張る。子どもを送り出す夫婦みたいに見える。やっぱりこの二人はここで待っていてもらうのが僕たちも帰ってくる甲斐がある気がしていいかもしれない。


「じゃあいってきます」


「はい、いってらっしゃい」


 ミオさんに手を振られながら僕はおつかいに行くように丸平百貨店へと向かった。

 五階層までも丁寧に回って落ちているものはしっかり回収してきた。六階層に行ったからといっていいものが落ちているとは限らない。せっかくいつもより多く回ったのに取れ高が下がってしまっては本末転倒もいいところだ。


 危なげなくいつも通りのルートを回って六階層への階段の前まで辿り着く。いつもならここがちょうど中間地点。あとは今日の収穫について話しながら最短ルートでギルドに戻るところだ。でも今日は違う。


「ここから先が、深層階」


「そうだ。死霊ファントムが出る可能性が跳ね上がると言われている」


「それに地図もないんですよね?」


「そうだな。広すぎて把握できていないとも入るたびに地形が変わるとも言う。油断はできないぞ」


 ロウさんとミオさんに安全第一を誓った手前、逃げ道の確保くらいはしておきたい。なにかにマッピングできればいいんだけど、そんな都合のいいものなんて川越で準備するのは大変だ。


「ひさめがいいほうほうかんがえておいたの」


 見切り発車だったかな、と僕が考えていると氷雨ちゃんは自信満々に豊かな胸を張っている。氷雨ちゃんのいい方法ってどのくらい期待できるのかはちょっとわからない。


「行ってみればわかるさ」


 悩んでいても仕方がない。僕たちは意を決してギルドが準備した階段に足を乗せた。

 六階層に下りると、ひやりとした空気が頬を撫でた。少し周りの土質が変わったように思える。粘土質っぽくなったのか黒さが増して、触った感じもやや湿っている。光源となっていた鉱石の数も減ってさらに暗さを増していた。前はなんとか見えるけど、遠くの敵を察知するのはみんなに任せるしかなさそうだ。

 まずは前に進もう、と思ったところで、氷雨ちゃんが壁に氷で大きな星印を書き始めた。


「こうしてひさめがおぼえといてあげるからね」


 前に進みながら壁を凍りつかせて線を描く。確かにこれなら一度来た道はわかるし、ときどき大きく矢印で階段の方を示しておけば途中からでも使える案内になる。氷雨ちゃんの発想に感心しながら、僕は思わず拍手をしてしまった。


「でも疲れたりしない?」


「このくらいならへーきだよ」


 魔法のことは詳しくわかっていない。そもそも死霊ファントムに出会わなければ使うこともほとんどなくて、街ではちょっと便利な特技くらいの扱いをされていることばかりだ。今だって狙ったものを凍らせるというすごい能力がただのマッピングに使われて誰もそれを不思議に思っていない。

 そんなことを言いだしたら、僕が今背負っている魔剣アリシアの方が何倍も不思議なんだけどさ。


「それじゃ、行きましょうか」


 今できる準備はこれで整ったはずだ。もしものときはこいつと僕の奇跡を頼りにしよう。やっぱり闘技場コロッセオ迷宮ダンジョンではかかってくる重圧が違う。それを知っているということが僕にまた勇気と自信をくれていた。

 剣の柄をしっかりと握りしめて、僕たちはまだ見たことのない領域へと足を踏み入れた。

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