初雁公園野球場前座試合

 三日間の練習はそれはそれは凄惨なもので、たぶん迷宮ダンジョンでの経験がなかったら僕はまたエレナさんに泣き崩れながら土下座をしていたことだろう。カムイさんはいろいろと褒めてくれたけど、結局僕はどのくらい強くなったのか少しも実感できないまま、闘技場コロッセオの控室にいる。

 いや、控室というと何となく違和感がある。だってここは野球場のベンチの中なのだ。


 闘技場コロッセオっていうからローマにあるあの石造りの建築物を思い浮かべていたのに、実際は川越城跡の隣にある初雁はつかり公園野球場がそのまま今は闘技場として使われているだけだった。ベースはないしマウンドもならされているけど、スタンドにいっぱいの亜人プルシオスたちを見ているとどうしてここで斬り合いなんてするんだろうと思えてしまう。


「それに、重い」


 前座試合はとにかく安全性が考慮されている。奴隷といってもむやみに殺すまで戦わせるのは興行師ラニスタたちにとっては恥とされるんだそうだ。ロウさんも見た目よりは安全って言っていた。その対価として僕は今重い甲冑に籠手、フルフェイスの兜まで全身を鎧に覆われて、前もよく見えない気がしている。


「両手剣は盾が持てない武器だからな。安全のためだ」


「それはわかってますけど、迷宮ダンジョンに行くときは軽装なのに」


死霊ファントムに鎧は無意味だからな。逃げ遅れるだけだ」


 確かにそれは納得だ。死獣タナトスは数匹集まっても亜人プルシオスの戦闘能力をもってすれば簡単に倒せてしまう。あそこでの最大の敵はやっぱり死霊ファントムなのだ。


 最後に木製の両手剣を渡されて、僕は背負うように剣を肩に乗せてベンチからゆっくりとグラウンドに入った。もうマウンド辺りにある開始線まで行くだけで汗が止まらなくなりそうだ。本当にこんなことで戦えるんだろうか。


「よろしくお願いします」


「あ、よろしくお願いします」


 先に入っていた刺突剣レイピアの彼は丁寧に頭を下げる。それに合わせて僕も重い頭を何とか下げて礼をした。起こした頭でぐるりとスタンドを見る。ギルドのみんながバックネット辺りに座っているのが見えた。エレナさんとカムイさんはベンチで待機している。


 前座試合ということもあってお客さんの反応はイマイチだった。思い切り叫んでいるロウさんと勇さんの声が聞こえてきてちょっと恥ずかしいくらいだけど、おかげであまり緊張はしなくて済みそうだった。


 レイピアが刺さらないように網目状になった兜の視界は悪いけど、薄暗い迷宮ダンジョンで戦っていくのだ。そのくらい乗り越えなくちゃいけない。相手が刺突剣レイピアの先端を僕に向ける。それに答えるように僕も両手剣の柄をぐっと握りしめた。


「試合開始!」


 合図と同時飛び出したのは向こうだった。こっちは重い両手剣を持っているんだから当然だ。必要なことはスピードでかき乱して隙を窺う。それが鉄則であることくらい僕にもわかるくらいには成長している。


 一つ、二つ、三つ。点にしか見えない刺突が僕の悪い視界へと飛んでくる。それを甲冑に任せることなく僕は体を沈めてかわした。思ったよりも遅い。攻撃ってこんなものだったっけ、と相手の剣を籠手で払って距離をとる。


 今度は僕の番だ。


「せいやぁ!」


 気合いとともに放り投げるように両手剣を振り下ろす。魔剣アリシアと違って意思はない。僕の力と技術だけで振り下ろしているのだ。砂塵が舞う。手ごたえはなかった。でもいきなり当たるとも思っていなかった。僕は砂ぼこりに紛れながら体を捻って構えの体勢に戻る。ちょうど開始したときと同じ間合いに戻っていた。


 カムイさんの言っていた通りだ。両手剣は早さでは敵わない。だったら長さを生かしてしっかりと相手を押し返して、距離を保つ。相手が迫ってきたら反撃は考えずにまずは身の安全を最優先に考える。


 それができていれば少なくとも負けることはない。聞いているときは無理だと思ったけど、案外なんとかなるものだ。さすがに両手剣の斬撃に恐怖を覚えたのかさっきより刺突剣レイピアの動きは鈍くなっていた。


 迷宮ダンジョンで会った死獣たちはもっと恐ろしかった。殺意を剥きだしにして襲いかかってくる。自分の身なんて案じていない。殺さなければ自分が死ぬ。そういうやりとりをしているのだ。


 迷宮ダンジョンでの戦いでは命なんて油断すれば簡単に落としてしまうものだ。いつの間にか僕にはそれが身に染みて、当然のことのようになってしまっている。戦うってことはもっと恐ろしくて、背中が焼けつきながら凍るような気分になりながらも、負けないように顔をあげて立っていなくちゃいけないことを言うのだ。


 戦うのが嫌なんだ、この人も。だから闘志は宿っていても狂気はない。刺突剣レイピアは僕の顔にめがけて正確に飛んでくるけど、きちんと守りのことを考えている。だから戦闘としては正しいけど、死獣タナトスに比べれば恐怖は薄い。


 戦いたくないから迷宮ダンジョンへ行けない。でも行けなかったところで連れてこられるのはやっぱり戦うしかないこの闘技場コロッセオでしかない。川越に入ってしまったが最後、人間は戦うことでしか生きることができなくなるのだ。それは僕も例外じゃない。


 刺突剣レイピアの動きはどんどん鈍くなっている。ううん、僕が見えてきているのだ。突く、かわす。もう観客にはダンスに見えているかもしれない。そもそも前座でいい試合を期待されていないけど。


 もう反撃は簡単だった。何度目かの突きを沈みながらかわして、体を横に捻る。剣を放り投げるのは縦だけじゃない。回りながら横に振ることも出来る。

 不意打ち一閃。意識していなかった脇腹に両手剣のフルスイングが刺さる。防具の上からの一撃でも相手の顔はひどく歪んでいた。たぶんもう立てない。僕だって相手を気遣って手加減なんてできないのだ。


 だってここは川越なんだから。


 勝利宣言を聞いて僕は自分の足でベンチまで戻った。五体満足、けがもない。とりあえずロウさんやミオさんに叱られることはなさそうだ。


「まさか勝てるとは。君を甘く見ていたらしい」


 ベンチで待っていたエレナさんは本当に驚いた顔をしていて、少しも僕って信頼されてないんだなぁ、と勝ったのにちょっと感傷的になってしまった。そりゃあれだけ迷惑かけたんだから急に戦えるようになりました、って言っても信用できないかもしれないけど。


 甲冑を脱ぐと汗まみれになった体にカムイさんがタオルを投げてくれた。ギルドの擦り切れたものじゃなくてふかふかだ。経済力の差を思い知る。


「初勝利。その感想はあるかい?」


「少しだけ、ここにいる人間の気持ちがわかりました」


 みんな戦いたくてここにいるわけじゃないんだ。戦うしかないからこうして剣をとっている。それに対して僕は何をしてあげられるだろう。今はまだ自分だけで精いっぱいだけど、ゴミ捨て場トラッシュドリフトだけじゃなく、いつかすべての人間の騎士に僕はなることができるだろうか。


「私は亜人プルシオスである以上、君の言葉を理解できないだろうけど、得るものがあったというのなら幸いだ」


「はい、ありがとうございました」


「またいつでも来るといい。剣の道を教えてあげるよ」


 カムイさんはそう微笑んだけど、僕としてはできればお断りしたい。もしくはもう少し優しくしてくれるなら考えるんだけど。

 僕は出場料と賞金をもらって闘技場コロッセオを後にした。ロウさんやエレナさんが闘技場コロッセオを嫌う理由もわかった気がする。無意味な戦いは結局迷宮ダンジョンでの生死の境界線を鈍らせるんじゃないかという気がした。

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