修行と過去と

 練習、と言っても特別な場所があるわけでもなく、さっき僕たちが縦断してきた芝生の一画に空いた場所を見つけて、カムイさんはそこで立ち止まった。僕はもうついていくだけで精いっぱいでもう両手剣ツヴァイハンダーの重さに負けそうになっている。

 それになんだかさっきから妙に周囲の視線を集めているような気がしてならない。


「あれは、カムイさんじゃないか?」


「隣の奴は、首に何か巻いてるがどこのギルドだ?」


 やっぱり気のせいじゃないみたいだ。剣を振るのを止めてこっちを見ている人もいる。僕が目立つようなことはたぶんないはずだ。確かに衝撃波で死霊ファントムを狩ったことはあるけど、僕じゃなくてカムイさんに視線が集まっている。


「もしかして、カムイさんって有名人なんですか?」


 僕は隣についてきてくれているエレナさんにそっと聞いてみた。そういえばエレナさんも拳闘をしていたけど、そんなに目立ってない。


「そうだな。この闘技場コロッセオの長みたいなものだな」


「長、って」


 結構若そうな見た目なのに、と思ってエレナさんの隣に立っている氷雨ちゃんの姿が目に入った。見た目で亜人プルシオスの年齢を測ろうと思った方が間違いだったのだ。長って呼ばれるだけのことはあって、相当人気なのか実力者なのかそれとも両方かな。僕に向けられているのが嫉妬の視線だと気付いた頃には針のむしろのど真ん中だった。


「それじゃ、まずは構えから」


「えっと」


 僕はカムイさんの指示通りに両手剣を構えようとする。剣道のように真っ直ぐ切っ先を目の前のカムイさんに向けようとして重さに断念させられる。


「持ち上がらないほどの大きな武器は地面に置くか背中に乗せるんだ」


 カムイさんはまったく重そうに見えない両手剣をひょいひょいと持ち替えながら僕にお手本を見せてくれる。いつもベルトで背中にかけているから、僕はカムイさんの真似をしながら背中に背負うように両手剣の峰を乗せた。


「そして振るときは全身を使って投げるように振り下ろす」


 言われた通りに剣を一本背負いするように前に放り出すと確かに大変だけど刀身が強く芝生の地面を叩いた。あの一度の奇跡を除けば今までで一番剣を振ったと言える力がこもっている。


「そうそう、それが基本だ。剣闘ならそこから体を転がして巻きつけるように元の体勢に戻る」


 カムイさんは僕とは比べ物にならないくらいの軽やかな動きで剣を振り下ろすと、体を横に転がしてその勢いを利用して立ち上がりながら背中に両手剣を背負いなおす。

 まったく無駄のない移動と構えが同時に行われている。僕は古流の舞踊を見ているような気分でカムイさんのお手本の型に見惚れていた。


「こんなところかな」


「なんだか、難しそうですね」


「大丈夫。まずは千回ずつやって体で覚えていこう」


 少しも微笑みを崩さないで、カムイさんは当然のようにそう言った。スパルタだ。この人超がつくほどのスパルタだ。基礎トレーニングから、とは言われたけど、それは技術だけじゃなく筋力も含まれていたのだ。


 今までよりは振りやすいと言ってもそれでも重い両手剣ツヴァイハンダーを延々と振り下ろすのは簡単なことじゃない。まだ百数回にやっと到達したってところなのに、もう腕が震えてきている。

 それに練習している僕をやっぱりちらちらといろんな人に見られていて落ち着かない。


「カムイさんってどんな人なんですか?」


 構え直しながら僕は練習を見ているエレナさんに聞いてみる。木製とはいえ目の前でこんな大きな剣が振り回されているのに少しも動じないこの人もやっぱりすごい。氷雨ちゃんはもう飽きてしまったのか芝生の上を転がったり、中に混じっているクローバーから四葉を探しているみたいだった。


「カムイは闘技場コロッセオで指折りの正義役ベビーだったからな。噂を聞いて教えを請いたい奴も多いんだろう」


「それは君も同じじゃないか」


「私は悪役ヒールだ。まったく違うだろう」


「それでも君に憧れる亜人プルシオスは大勢いた。奴隷スクラヴォスにもその名は轟いているだろう」


 エレナさんってすごい選手だったんだ。約束もなしにカムイさんのところを訪ねて僕に指導してもらえるように頼めるくらいなんだから、もしかして本当にトップクラスの選手だったんじゃ。

 でもそうだとしたらどうしてまだあんなに強いのに引退してゴミ捨てトラッシュドリフトに来たんだろう。いろんな事情で集まっている、とロウさんも言っていたし、なんとなく聞けないまま僕は剣を振り続ける。


「昔の写真、見てみたいかい?」


「あるんですか?」


 もしかしてこれも集中力を鍛えるための修行なのかな?

 カムイさんはひらりと服の裾から一枚の写真を取り出す。真四角の大きな写真はどうやら昔に流行ったというインスタントカメラというやつで撮ったものらしい。


「見たいです」


「見なくていい!」


 珍しく声を張ったエレナさんがカムイさんに飛びかかる。迷宮ダンジョンでタナトスに襲いかかるより早かった。でもカムイさんはそれをひらりとかわしながら両手剣を振るう僕に平然と近づいてくる。


「これだよ」


 あっという間に懐に潜り込まれる。この人本当に格が違うな。試合だったら僕はもう負けているってことだ。

 カムイさんが見せてくれた写真には若い頃のエレナさんらしい人が写っているらしい。今も若いけどね。


「これ、エレナさんですか!?」


 だって写真に写っているのは金色の毛に覆われた大きな猿にしか見えない。エンパイアステートビルに上ってそうな、亜人プルシオスじゃなくてまさに大猿コングって感じだ。今のエレナさんは人間と見間違うくらいの細身の美人で、髪以外は見たところ他の亜人プルシオスのように毛が生えているところはない。


「昔の話だ。気にするな」


 気にするなって言われても気になる。でも今はゴミ捨て場トラッシュドリフトにいるんだから、きっと何かあったんだろう。それを聞く権利なんて僕にはないのだ。


「昔は残虐非道の悪役ヒールだったんだけど、性格は誰よりも優しくてね。その役回りが彼女を傷つけていたんだろう」


「はい。今も優しいのは変わってませんよ」


「恥ずかしい話を私の前でしないでくれ」


 大きな手で顔を覆ったエレナさんは少し赤らんでいるみたいだった。基本的に動じない人だからなぁ。そういう意味では過去を知っているカムイさんはエレナさんの天敵なのかもしれない。


「ひさめ、むずかしいはなしよくわかんない」


「知らなくてもいい。拳闘なんて面白いものでもない」


 亜人プルシオス同士でやっているんだからどちらかというと格闘技に近いものなんだろうけど、まだ幼い女の子の氷雨ちゃんには興味がわかないのも仕方ないのかな。

 それにしても練習中にしゃべるな、って怒られちゃうかと思ったけどそんなこともなくて普通に話に加わってくるあたり、本当に底が知れない人だ、カムイさんは。


 僕がひたすらに剣を振っては構え直しを続けていると、カムイさんも暇そうに見えたのか一人が刺突剣レイピアを持ったまま近づいてきた。しっかりした足どりでカムイさんに恐れることなく鋭く前に視線を向けている。それだけでもう僕よりも強そうに見える。


 そういえば僕はいつも敵の存在から目を背けていた。なんとなく振って当たりさえすれば倒せる。そんな考えだった。でもちゃんと見据えて斬れば当たる可能性は高くなる。それは素振りでも同じだ。

 僕は刺突剣レイピアの彼に気付かない振りをしてそのまま素振りを続けた。それをいい機会だと思ったのか、彼はさらにカムイさんに詰め寄っていく。


「俺にも稽古をつけてください」


「君にはちゃんとギルドの訓練士ドクトルがついているだろう?」


「でも、ほとんど教えには来てくれません。確かに俺は剣闘組で迷宮組より劣るかもしれませんが」


 剣闘組という言葉に少し動揺する。ここで戦っている人は元の世界に帰るためじゃなく、その目的を果たすために必要な魔剣アリシアを与えてもらうために戦っているのだ。ここで勝ち上がって一番になって、それから誰かが手放すか新しく見つかった魔剣アリシアを手にしなくちゃ迷宮ダンジョンにすら入ることを許されない。


「カムイさんは誰にも指導をしなかった。今まではそれで納得できました。でもそいつだけっていうのは」


「彼は迷宮組だそうだ。ゴミ捨て場トラッシュドリフトのね」


 迷宮組という言葉に今度は刺突剣レイピアの彼に動揺が走った。それだけこの二つの分類には大きな隔たりがある。でも僕の場合はギルドにたった一人しかいない人間で、さらにそこに海斗さんが残してくれた魔剣アリシアがあったってだけの話だ。運が良かっただけで実力なんて。


「そうだよ。かにゃおにいちゃんはふぁんとむもたおしたことあるんだから」


 それなのに暇にしていた氷雨ちゃんはやっとわかる話題だと言わんばかりに自慢げに話してくれる。そんなことしたら話がややこしくなっちゃうから。


「なら、俺とそいつで勝負させてください。剣闘で」


 ほら、こんなことになった。いったいどうしよう、と僕は心の中で焦りながら聞こえないふりをして素振りを続けている。エレナさんは剣闘が嫌いだって言ってたし、きっと上手に断って……


「いいんじゃないか? ただ漫然と振るより面白いだろう」


 くれる気配は全然なかった。そんなよりによって人間同士で戦うなんて何の面白いこともないですよ。言いたいところをぐっと堪えて、僕は今度はカムイさんに願いをかける。闘技場コロッセオの長だって言っていたし、私闘なんて認めないはずだ。


「彼は剣闘に関しては素人なんだ。すぐには無理だよ」


 よかった。ちゃんと断ってくれた。僕はカムイさんのスパルタっぷりもすっかり忘れて心の中で千万の感謝の言葉を思い浮かべる。


「だから三日後にしよう。ただし前座で模擬戦という形でいいね。君が勝ったら訓練士ドクトルたちにもう少しこっちに顔を出すように僕からも言っておこう」


「ありがとうございます!」


 刺突剣レイピアの彼は体が半分に折れ曲がるような勢いで頭を下げた。カムイさんの進言はきっとそれほどの効果があるんだろう。っていうか結局試合をすることになった上に、なんか賭けの条件にまでなってしまっている。


 どうしよう、とっても大事おおごとになっている気がする。


 でも無視を決め込んだことはきっとあの二人にはバレているのだ。今さらやりたくないなんて言っても聞いてくれるはずもない。僕はどうしようもなくて、渋々三日後の剣闘試合に出ることになったのだ。

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