剣を持つという責務

 いつものように百貨店に行き、デパ地下に開いた穴から迷宮ダンジョンへと入る。そんな日が何日も続いた。


 最初は変だと思っていたのもだんだんと慣れてきて、デパ地下とはこういうものだと認識がすり替わりそうにすらなっていく。僕が普段行っていたお店の地下にももしかしたらこんな迷宮ダンジョンがあるのかもしれない、なんて考えて、僕はすぐに意識を真っ暗な通路に戻した。

 ぼうっとなんてしていられない。ここからは明確な敵意を持った相手がうろついている場所なのだ。


「さて、今日の目標は」


「我は甘いものが食べたいぞ。朝から頭を使う話だったからな」


 別に何もなくても勇さんは甘いものが食べたいって言っている気がするけど。なにが手に入るかはその日の運次第だから応えられるかどうかはわからない。


「六階層までいってみるか?」


「だめ! それはひさめがきんしする」


 こっちはこっちで嘘か本当かわからないことを言っている。魔眼の咎人ビゼリ・アマルティアを狩る。それは僕だけじゃなくてみんなにも相当難しいことのはずだ。それなのにいつもと変わらないようにふるまっているのはきっと僕が沈んでしまわないようにと思ってくれているのだろう。だからこそ、期待に応えたいと思ってしまう。


「僕一人でも死獣タナトスって狩れますか?」


「ん? 魔剣アリシア死獣タナトスにも有効だ。可能だろうな」


死霊ファントムの前にそこからということか。いいだろう、私も協力しよう」


 まずは目の前の敵から一歩一歩。小さくても確実に。それが僕たちのやり方だ。気の遠くなるような長い道のりでもそうやって解決していけばいつかゴールに辿り着けるはず。僕は両手で頬を叩いて恐怖を顔から追い出す。


「危なくなったらすぐに助けに入るから思う存分やるといいぞ」


「はい、お願いしますね」


 頼れる先輩冒険者に背中を守られながら、僕は初めて先頭を歩いて迷宮ダンジョンに進んでいった。


 結果としてはどうしようもなかった。

 重くて動かない魔剣アリシアを素早く動く死獣タナトスに当てるなんて、曲芸を超えて奇跡が起きるのを待つようなもので、結局たったの一匹にかすることもなく、エレナさんと勇さんに助けられてばかりだった。


 わかってはいたけど素人がいくら剣を振ったところでそれは攻撃と呼べるものですらない。ただ剣がよろよろと空気をかき混ぜているだけだ。攻撃と呼んでもらうにはどうしたって練習が必要だ。


「僕はまだ持ち主として認められてないんですかね」


「まぁ、素人が持つと剣は応えようもないだろうな」


 確かに勇さんの言うとおりだ。今まで僕はずっと魔剣アリシアに頼りっぱなしでどうやって強くなるかと言えば触れれば倒せるという力に頼りきりだった。僕自身が強くなって剣を振れるようになればきっと剣だって僕に力を貸してくれるかもしれない。大きな力を扱うには同じように僕も強くならなきゃいけないのだ。


「僕も、剣の練習するべきなのかなぁ」


「その大きさでもやらないよりはいいだろうな」


 そういえば勇さんは二本の日本刀だし、エレナさんは武器は持たずに拳を使ったスタイルだ。ロウさんも爪を使った素手だったし、氷雨ちゃんも一応氷の魔法が使えると聞いている。僕だけ自分の身の丈に合っていない武器を振り回しているのだ。だからこんなに苦労させられている。でも川越で人間は魔剣アリシアをとるしか選択肢はない。だったら僕から歩み寄っていくしかない。


「帰ったら、剣術を教えてもらえますか?」


「我でよければ聞いてやろう」


「かにゃおにいちゃん、がんばれ!」


 うーん、なんだか緊張感がない感じがする。これは期待されてないってことなのか、それとも大丈夫って思ってもらえてるのかわからない。


「君は我流で振っているだけだろう。参考にならないことはないだろうが」


「何もないよりはマシだろう! さぁ、五階層までしっかり回って帰るぞ!」


 勇さんも自分でマシ、って言っちゃってるし。やっぱりこんな両手剣を使っている人なんて亜人プルシオスを含めてもほとんどいないだろう。冒険者登録のときに並んでいる他の人間も見たけど、僕みたいに背中にかけているような人も見なかったし。


「よし、肉とスイーツ。絶対持って帰るぞ」


「はいはい」


 気合いを入れ直した勇さんについて迷宮ダンジョンを進んでいく。その希望はまったく叶いそうないけどとりあえず言わないでおこう。

 結局五階層まで降りたけど、目的のものはまったく手に入らなかった。いつもの野菜とそれから贈答用のちょっときれいなタオルセット。企業のマークが入っているけど、僕は知らない会社だった。川越に元々あった会社みたいだ。


「どうだった?」


 戻ってきた僕たちの顔を見て、ロウさんは安心したように笑った。顔を見ればいい成果じゃなかったことはわかっている。でも全員無事で帰ってこられたんだから何も悪いこともないのだ。


「全然です。戦果もお金も」


 一応いつものようにトドメを刺すことはできるんだけど、それじゃ意味がない。だって死霊ファントムは僕一人で戦わなくちゃいけないんだ。まだ見るだけで人を殺すという恐ろしい力への対応策もまったく思いついていない。


「いつも通りか。吐かずに帰ってこられるんだから前よりは成長してるな」


 そういえばすっかり忘れてたけどもう死獣タナトスを見てもなんとも思わなくなった。ちょっと前までぼろぼろになって地面に這っているだけの死獣タナトスさえも怖かったのに。

 そう思うと僕だって確かに成長しているんだ。剣だって練習すればきっと少しずつでも強くなれる。そうすれば魔剣アリシアだって答えてくれるはずだ。


「でも一人で死霊ファントムとなるとまだまだで」


「近付けない以上二人は役に立たないが、氷雨なら補助程度はできるだろう。魔法使いはそういう理由で訓練士ドクトルでなくても迷宮ダンジョンに同行するもんだ」


「うん。ふぁんとむがあいてなら、ひさめのまほうをつかわざるをえない!」


 だからいつも氷雨ちゃんって迷宮ダンジョンに一緒に行っていたのか。いつもリュックの中身が冷やせるからついてきているのかと思っていた。うちで唯一の魔法使いって氷雨ちゃんもかなり貴重な存在ってことだ。


「ひさめ、かにゃおにいちゃんまもるのがんばるよー」


 確かに氷雨ちゃんはいつもそう言ってくれていた。でもそれは幼いゆえの無謀さというか一種のヒロイックな想像なのだと思っていた。実際は本当に守ることができるだけの力がある。僕は氷雨ちゃんよりもまだまだ頼りない存在なのだ。守ろうと思っていた相手にもまだ僕は守られている。


「それで勇さんに剣を習おうと思うんですけど」


「それはいいがどこでやるんだ? そんなもん振り回したらうちに穴が開くぞ」


「そうですよ。ちょっとでも壊すと修繕費がかかるんですよ!」


 ロウさんより強い語気でミオさんが立ち上がった。そんなに僕って信用ないかな。僕だって狭いギルドの中で両手剣を振り回すほど非常識じゃないつもりなんだけどな。


「裏庭、ってわけにもいかないですよね」


 裏庭、と呼べば少しは格好がつくけど、実際はギルドみんなで横になったら埋まってしまいそうなくらいの狭い建物の隙間でしかない。剣道みたいにまっすぐに振り下ろしたら、海斗さんのお墓が無事で済まなくなってしまうかも。


「そもそも勇って我流ですよね? 教えたりなんてできるんですか?」


「いや、師がないよりはよかろう」


 ミオさんに聞かれて、勇さんは目を泳がせる。迷宮ダンジョンではあんなに自信ありげだったのに。お母さんにいたずらを咎められているようだ。


「俺も体術なら教えられるが、それどころじゃないだろうしな」


 ロウさんは魔剣アリシアに目をやりながらぼんやりとした顔で言った。ロウさんって荒れ狂う大地アースクエイクにいた頃は人間に戦闘技術を教える訓練士ドクトルをやっていたんだ。ある意味プロっていうことになる。ただそのロウさんから体術をならったところであの両手剣を抱えたまま使える体術なんて数が知れているだろう。


「仕方ない。私が仲介しよう」


 僕とロウさんの話を聞いていたエレナさんがやれやれ、と立ち上がった。なんだろう、エレナさんがそう言って重々しく立ちあがっただけで僕はなんとなく嫌な予感がして仕方なかった。

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