三章 示された標的《スコポス》

魔眼の咎人

 もらってきた硬貨をしっかりと数えたミオさんは僕が初めて見るくらいにご機嫌で、なんだか猫みたいにギルドの中を跳ねまわっていた。でもこのご機嫌もそうそう長くは続かない。だってついさっき、僕自身が今日の一件は奇跡だって証明してしまったのだ。


 五階層まででは死霊ファントムが出ることはほとんどない。それはつまり六階層より下にいかなければまたギルドの生計は元通りになってしまうということだ。


「魔剣が振れないならまだ安全に五階層までになるな」


 ちょっとだけ勇さんは悲しそうに言った。それはおやつが食べられないってことじゃなくて、まだ深層階に行けないからなんだろう。剣の道に誇りを持っている勇さんにはきっと僕が起こした奇跡は少しだけ受けいれがたいのかもしれない。


「それでも安全が一番です」


「そうだな。せめてその魔剣アリシアが軽くなったってのがどうやったのかがわかるまではな」


 僕が何かをやったっていうよりも魔剣アリシアの方がやってくれたって感じだったからどうすればいいのか全然思いつかない。みんなを守りたい、って思ったのは確かなんだけどその気持ちは今だって同じだ。本当の危機にしか助けてくれないんじゃちょっと困ってしまう。


 僕の背中を痛めつけてくれたやつはしれっとまだギルドの壁にたてかかったままになっている。剣の考えていることがわかる種族っていないのかな、と思っていると、入り口からおおきなくちばしが顔を覗かせた。


 鳥の顔をした大きな亜人プルシオスだった。翼も立派で鷲か鷹のような猛禽類っぽい感じだ。白い羽に覆われた鋭い目は獲物を狙っているように見える。そんな人が帽子をしっかりかぶって肩からメッセンジャーバッグをかけている。


「郵便だ」


「お、悪いな。今日は景気がいいんでコーヒーの一杯でも飲んでいくか?」


「勤務中だ」


 そう言うと郵便屋さんはさっと飛び立っていってしまった。次の配達がまだ残っているんだろう。


「今のは?」


怪鳥ガルラの郵便屋さんですよ。無口ですが真面目でいい方ですよ」


 それは今のやりとりだけでよくわかった。でもあの人なら迷宮ダンジョンでも十分活躍できそうな眼光だった。本当に川越にはいろんな亜人プルシオスがいて、それを知るたびに僕はなんて弱い存在なんだと思い知らされる。


「それで郵便はどこからですか?」


「んー、荒れ狂う大地アースクエイクからだな。叶哉宛てだ」


 ロウさんが封筒を見ながらこともなげに言った。それって一番大きなあのギルドからの呼び出しってことになる。ついさっき僕は迷宮ダンジョンの天井や床やらを盛大に壊してきたばかりだ。他の冒険者が見つけて報告を受けて僕がやったことがもうバレてしまったのかもしれない。


「怒られたりしないですか?」


「心配しなくても報奨金の話でしょう。私も行きますから」


「かにゃおにいちゃんがもとのせかいにかえるのにひつようなおかねだよ」


「あぁ、そっか」


 元の世界に戻るために必要な木剣ルディス。それをもらうためには死霊ファントムを倒して報奨金を集める必要があるのだった。きっと今日初めて僕が死霊ファントムを倒したから報奨金の通達をしなくちゃいけなくなったんだろう、という話だった。


「うちで初めての奴隷スクラヴォスってことになるが、どれほど要求されるのか」


 ロウさんは面倒そうに封筒の中身を読んでいる。ここで契約をしたときもそうだったけど文字を読むのは嫌いみたいだ。半分も目を通さないうちにミオさんに手紙をよこしていつものようにソファに横になった。


「他のギルドでも公平性は保たれていますし、それほどひどいことにはならないでしょう」


「他のギルドもあるんですか?」


「えぇ。元々は荒れ狂う大地アースクエイクのみでしたが、現在は飲み干す大海タイダルウェイブ吹き荒ぶ閃光ライトニング、そしてうちの四つに分かれています。元々あった荒れ狂う大地アースクエイクが一番力が強いことには変わりありませんが」


 ゴミ捨て場トラッシュドリフト以外のギルドは迷宮ダンジョンに近いところにギルドを構えていて効率化しているらしい。確かに毎日ここから歩いて百貨店まで行くのは意外と大変だ。車なんて走っていないし、あったとしても道路はいろいろなものが落ちているしガソリンもない。


 どうしてそういうものがないんだろう、と思ったけど、亜人プルシオスの運動能力をもってすれば大したことがないのだ、と結論がすぐに出た。大変なのは人間だけなのだ。


「まぁ、うちは新しいギルドだ。他と違ってリーダーにツテも力もない。ひどいことになっても宿命として受け入れることだ」


「エレナが言うと現実になりそうなのでやめてください」


 ミオさんが眉間にしわを寄せている。たしかにエレナさんってマイナスな想像を口にすることが多いけど、冷静に言うものだからなんとなく予言じみて聞こえてしまう。僕はエレナさんの悪い想像が当たらなければいいな、と思いつつ、残っていたコーヒーに口をつけた。




 ギルドに呼ばれたと言いつつも、向かう先はいつもの冒険者受付だった。今日はミオさんと氷雨ちゃんがついてきてくれている。本当はギルドリーダーのロウさんが来るべきなんだろうけど、ミオさんの方が頼りになるってことは荒れ狂う大地アースクエイクでも知られていることなんだろう。


 今日は迷宮ダンジョンに行かないので魔剣アリシアはギルドに置いてきている。他のギルドだと人間はいつも肌身離さず持っているらしいけど、ずっと持っているにはあまりにも重すぎる。だったら置いていけばいい、というロウさんの言葉に甘えてきた。

 魔剣アリシアは川越で生きる人間にとって命と同じだけの価値があると言ってもいい。それをギルドに置いてこれるなんて僕はとっても恵まれた環境にいるのだ。


 ギルドの受付ではいつものようにぽちさんが待っていて、僕たちを見るとしっぽと耳と手を振って迎えてくれた。確かにこれならぽちって呼ばれてみんなに可愛がられるのもわかる気がする。本当に犬みたいだ。


「叶哉さん。木剣ルディスの取得条件が決まりましたのでお伝えさせていただきます」


 そう言ってぽちさんは一枚の紙を差し出した。学校でよく配られていた薄い灰色をしたいわゆるわら半紙というやつだ。でも文字は印刷じゃなくてボールペンのようなもので書かれている。たぶん迷宮ダンジョンからボールペンも出てくるんだろう。登録の時も使ったし。


「これって、どうなんですか?」


 受け取ったはいいものの、よく考えてみると僕が見たところで内容がわかるわけがない。日本語ではあるけど、僕は迷宮ダンジョンのことも死霊ファントムのこともよくわかっていないのだ。


 でも僕の肩越しに紙面を読んだミオさんがうー、と珍しく唸った声を聞くと、あまりいい条件ではなさそうだった。


「ちょっと待ってください! うちのギルドでこの条件はおかしいでしょう!」


 僕の不安は的中していたみたいで、ミオさんはぽちさんに向かって歩み寄った。受付のカウンターがなければそのまま掴みかかるんじゃないかっている剣幕だ。


「ちゃんと調査士エピセオリテの報告に基づいて決めていますよ。昨日の死霊ファントム討伐、本当に危険だったと思います。ご無事でなによりです」


 ミオさんの剣幕に押されることなく、ぽちさんは冷静な言葉で言った。さすが大きなギルドの顔になるところで働いているだけのことはある。僕の肩に乗りかかるように今度は氷雨ちゃんが僕の手元の紙に書かれた名前を読む。


「びぜり・あまるてぃあ?」


 僕の知らない言葉で書かれていた振りがなを氷雨ちゃんが平然と読んでくれる。最初はなんのことかと思っていたけど、どうやらこれが僕が狩らなきゃいけない死霊ファントムにつけられている名前らしい。


 魔眼の咎人ビゼリ・アマルティア

 それが僕に言い渡された自由への鍵だった。

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