振りかざす魔剣

 二階層に下りても迷宮ダンジョンの雰囲気は変わらなかった。同じ階層を繰り返していると言われたら信じてしまいそうなほどだ。一つ目の角を曲がったところで何かを見つけたらしい勇さんが一目散に駆け出していく。


「なんだ、野菜か」


 勇さんの手には白菜ときのこ。それも白菜はスーパーで売っているようなカットされて包装されたものだ。きのこの方もぶなしめじという文字と見たことのあるような会社のロゴマークが印刷されている。カステラのときもそうだったけど、いったいどこで包装されているのか。そもそもこれはここではなく元の川越から来たものなんじゃないのかと思えてくる。


 それにやっぱり傷んでいる様子はない。白菜なんて冷蔵庫に入れていても早く悪くなってしまうし、もっと置きっぱなしにしていると液状化して大惨事になるって聞いたことがある。でもどう見てもとれたてとそう変わらない雰囲気だ。今まで僕もいくらか迷宮ダンジョンで拾ったものを食べているし、問題はないんだろうけど。


 そういえば昔怪しい雑誌でピラミッドの中に食べ物を入れると腐らない、って話を読んだことがある。川越の地下迷宮は大きなピラミッドなのかもしれない、なんてことを考えて、僕は一人でそれを否定する。


「やっぱりおかしくないですか?」


「何か変なところがあるか?」


「だってこれこんなきれいに包装されてますし」


「包装、って元々こういうものだろう?」


 僕の疑問にエレナさんが疑問で返した。いつも冷静でなんでも知っていそうなエレナさんに言われるとなんだか僕の常識が揺らいできてしまう。ときどき忘れてしまいそうになるけどみんなは亜人プルシオスで川越から外に出たことはないのだ。もし出ていたらきっとニュースになって大騒ぎになっていたはずだ。


 だから彼女たちにとっては迷宮ダンジョンにいろいろなものが落ちているのも包装されているのもまったく傷まないのも当然のことなのだ。そもそもここ川越だってなくなったはずの町なのだ。僕の常識が通じると思う方が間違っている。


 まだみずみずしい白菜ときのこを氷雨ちゃんのリュックに入れて先へと進む。みんなが気にしていないならもう包装のことは言わないでおくことにしよう。

 なんだか僕がやる気に満ちているときに限って何も起こらない。そう思って進んでいると、次に声をあげたのはミオさんだった。何かが落ちているという感じでもない。その声に答えるようにみんなが前に意識を向けたのだけはわかった。


「いつもと同じだ。落ち着いていけよ」


 ロウさんが僕に向かってそう言った。死獣タナトスだ。僕を一番心配していてくれたミオさんだから最初に気がついたんだろう。ようやく僕の耳にも唸り声が聞こえてきて、反射的に身を固めた。でも今日は違う。この魔剣アリシアで僕が倒す側になるのだ。


 赤い瞳は二つだった。一匹だけで出てきた死獣タナトスは襲いかかることが知能のすべてであるかのように恐怖もなしにこちらに飛びかかってきた。呼応する。同じ速度でエレナさんが一瞬で前に躍り出る。


 高速度の衝突に勝利したのはエレナさんだった。伸ばした拳を死獣タナトスのあごに的確に打ち込み、めり込むほどに壁に強く叩きつけた。そのまま二の手でとどめを刺そうとしたエレナさんの腕をロウさんがつかんだ。


「叶哉。やってみるぞ」


「はい」


 僕は背中に手を伸ばして魔剣アリシアの柄をとる。朝には軽くなったと思っていた魔剣アリシアはまた少し重さを増しているように感じる。むしろこれが普通で朝のは錯覚だったのかもしれない。


 少し動かすとベルトが外れて地面に落としそうになってしまう。すぐに両手でつかんでゆっくりと下ろす。剣先が地面を叩いて少しえぐれた。倒れた死獣タナトスはまだもだえ苦しんでいるけど、いつ僕に襲いかかってくるかわからない。


「よし」


 僕は短く息を吐いて、自分に言い聞かせるように言った。そうしないと声の代わりにまた胃の中で暴れているものが外に出てきそうだった。しっかりと口を閉じて空気を飲み込んでから、僕はついに魔剣アリシアを横に薙ぐように振るった。


 ふらふらと頼りない軌道でゆっくりと、でも確実に死獣タナトスへと向かっていったそれは本当にわずかに剣先がかすると、まるで魔法みたいに死獣タナトスの体を消し飛ばした。さっきまで苦しんでいた姿もない。あっという間に消え去ってしまった。


「消えた」


「消えたんじゃない。お前が倒したんだ」


 ロウさんにそう言われても僕にはそんな実感がわからなかった。ダメージの割合で言えばほとんどエレナさんによるものだ。あれほど強力なカウンターストレートと僕が魔剣アリシアでちょっと触れたくらいじゃ違い過ぎる。でもとにかく僕は死獣タナトスを倒した。その事実には変わりない。でもみんなの考えていることは僕とはちょっと違うみたいだった。


「あれで倒せるのか。恐ろしい力だな、魔剣アリシアというのは」


 勇さんが今までの元気をどこかに落としてきたみたいに神妙な声を漏らした。別に触れただけなんだから驚くようなことなんてなかったと思っていたんだけど。


魔剣アリシアはそれを持つ人間ヒューマンとの相性が関わってくると言われています。叶哉さんは振りにくそうにしていますけど、きっと相性が良いのでしょう」


「うちで唯一の人間ヒューマンなんだ。そのくらいやってもらわなきゃ困るぜ」


 ロウさんが自慢げに胸を張ると、またミオさんが耳を引っ張った。


「なにすんだよ」


「その大切な叶哉さんをあそこまで憔悴しょうすいさせていたのはどこの誰ですか」


 耳を引っ張りながらお小言が続くミオさんを止める手段は誰も持っていない。僕は一通りのお説教が終わるまでにまた魔剣アリシアをベルトに通して背負い直す。この手間も結構かかりそうだなぁ。


「しかしあれを見ると我の二刀も形無しだな」


 勇さんは僕の背中を見ながら少し悔しそうに言った。新選組に憧れている勇さんにはこの両手剣状の魔剣アリシアは範囲外かと思っていたけどそうでもないみたいだ。一人の剣士としてあの威力には心揺らぐってことなのかな。僕は全然死獣タナトスを斬ったっていう実感がわかないんだけど。


「でも、これすごく重たいんですけど」


「それは鍛えて慣れていくしかないな。これからお前の仕事道具であり相棒なんだ」


 やっぱりそうなるよね。やっと一つ乗り越えたと思ったら次の課題がすぐに目の前にやってくる。そんな簡単に川越での生活がうまくいくわけがないのだ。それでもみんなのおかげで僕はやっと一歩前に進むことができた。今はそれだけで十分だった。


 その後は結局五階層まで進んだ。落とし物も死獣タナトスもあまり出ない安全だけど実入りも少ない探索になってしまった。昨日まで魔剣アリシアを振ることすらできなかった僕が今日だけで三匹も狩った。全部みんなが追い込んだところを最後にちょっと斬っただけだけど。それでも最後には刀身の真ん中辺りで斬れるくらいにまでは近付けるようになった。


 逆に収穫は最初に拾った白菜ときのこ。それからトマト。食べ物以外にはまな板と洗濯ネットらしきもの。これって川越で使われているんだろうか。それにしても生鮮食品と日用品ばかりだ。百貨店の地下にある迷宮ダンジョンだからそういうものが多いんだろうか。まだ何度も通っているわけじゃないから断定はできないけど。


「そういえば報奨金っていうのは出ないんですか?」


 荒れ狂う大地アースクエイクの冒険者窓口で拾ってきたものを買い取ってもらい、今日の報酬をもらったところで僕はふと気がついた。報奨金を集めて木剣ルディスをもらうっていう話だったんだけど、今日は死獣タナトスを倒したけど、特別に何かをもらった覚えはない。


「報奨金は死霊ファントムを倒したときにしか出ませんよ。死獣タナトスなら亜人プルシオスでも狩れますから」


 それってつまり、僕一人の力で倒せないと永遠に川越からは出られないってことだ。やっぱり道のりは長いなぁ、と僕は背中の頼れる相棒に語りかけるようにそう思った。

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