星空と決起

「剣闘ってのは見た目ほど危険じゃないんだ。確かに真剣を使うし、見栄えのために血が出るほどやる。でも優勢がはっきりすれば試合は止められるし、急所はしっかり防具で覆っている。舞台の側には優秀な治療師セラペアも控えてる」


 そこでロウさんは一度、空気を飲み込んだ。


「それでも、死ぬときはあっさり死ぬもんだ。俺の担当していた奴隷スクラヴォスも剣闘で死んだ」


「それが海斗さんですか?」


「いや、こいつは俺の担当じゃないんだ。ちょっと話が合うやつってだけで」


 ロウさんは頬を掻きながら答えた。少し顔が赤らんでいるように見えるけど、それはきっとお酒が回ってきたからなんだろう。こんな饒舌じょうぜつなロウさんは初めて見たかもしれない。いつも背中でみんなを引っ張っているように見えていたから。


 ロウさんは僕が追求しないことに安堵したみたいで話を戻す。


「それで俺は剣闘が怖くなったんだ。自分が戦うわけでもないのにだ。馬鹿みたいだろ。ギルドリーダーに土下座して頼み込んだんだ。調査士エピセオリテに異動させてくれってな」


「それって、僕と同じ」


 今のロウさんからはそんなことをするなんて想像もできなかった。傷ついても一人で乗り越えていける、そんな強さばかりに目がいっていたから。少し恥ずかしそうに首筋をなでる彼女の姿は僕にはあまりにも似ていない。それはもう一つの大きな試練を乗り越えた先にいるからなのかもしれない。


「そうしたらリーダーに断られたんだ。お前にはまだやることがあるって」


 リーダー、というのは元いた荒れ狂う大地アースクエイクのギルドリーダーのことだろう。ロウさんがまったく敵わないほど強いのかな。どんな人なのか少し気になってしまった。僕の疑問の目を言葉が足りなかったと思ったみたいでロウさんはそのまま言葉を続けていく。


「死なれるのが嫌なら、俺が死なせないようにしてやればいい、って話だ」


「死なせないように、守るんですか?」


「違うさ、鍛えてやるんだ。俺は死なせるのが怖かったんだ。自分のせいで誰かが死ぬのが怖くてそこから逃げ出そうとしてたんだ。でもそうじゃない俺は訓練士ドクトルだ。なら死なないように鍛えあげてやるのが本当にやるべきことだったんだ」


「死なせるのが、怖い?」


 僕自身が死獣タナトスに殺されることを恐れているんじゃなかった。僕が戦えるようになればみんなは死霊ファントムが出るより下層まで下りていくことになる。そうすれば今よりも危険は増す。死霊ファントムは僕にしか、魔剣アリシアでしか倒せないのだ。僕が戦えなければみんなは決して無理をすることはない。


 それがロウさんにはわかっていたんだろう。他のみんなもそうだ。だから僕にきっとできると支え続けてくれていたのかもしれない。


「お前は俺たちのことをよく見ている。奴隷スクラヴォスになったやつってのはだいたい自分のことで精いっぱいなのにな」


「そんなこと」


 それはきっとみんなが僕を一人の人間として扱ってくれているからだ。そう言われて僕はやっと自分の恐怖の本性を見ることができた。死獣タナトスの牙や赤い瞳は僕に向けられているから恐ろしいのではない。それが僕以外の誰かに向かうのが怖かったのだ。


「だから俺たちはお前も鍛えてやる。逃げ出すんじゃなく、迷宮ダンジョンで誰一人傷つけることなく帰ってこられるようにな」


 ロウさんは立ち上がって僕を見た。またその瞳には力強さが宿っている。少しふやけたロウさんもよかったけど、やっぱりリーダーらしくかっこいいロウさんも素敵だと思った。


「逃げるな。強くなれ。叶哉、お前は奴隷スクラヴォスなんかじゃない。うちのギルドの、ゴミ捨て場トラッシュドリフトの騎士になるんだ」


「……はい」


 僕はロウさんん言葉に頷いた。また目から涙があふれる。でもこれは今まで流したものとは違う。僕が本当にこのギルドの仲間になれたことへの喜びだった。


「本当はお前が自力で乗り越えてほしかったんだ。俺のときとは違って、お前は自分で戦わなきゃならないんだからな」


 ロウさんは恥ずかしさを隠すように残っていた缶ビールを一気に飲み干して、そのままの勢いで缶を握り潰した。僕の強くなろうという決意が折れそうになる。本当にこの人たちを守ると胸を張って言えるようになるまでにどのくらいかかるだろう。


「でも言って正解だったな。叶哉より先に俺かミオのやつがプレッシャーにやられてただろうな」


 僕が傷ついていると思っている間にも同じようにギルドのみんなも傷ついていたのだ。僕を一人前にするためにいろいろと気を遣ってくれていたのだ。


「きっと、僕一人じゃ乗り越えられなかったと思います」


 あのままだったら僕だっていつかは違う行動に出ていたかもしれない。今こうしてロウさんと話していることで僕もまた大きなプレッシャーから解放されたのだ。今なら何でも挑戦できそうな気がする。たとえばお墓の前にあるビールにだって。でもそれをロウさんは手にとったと思うとすぐに開けて自分の口に流し込んだ。


「しかし慣れないからって誰かの真似をするもんなねぇな」


「慣れないって、何のことですか?」


「俺が闘技場コロッセオに行かなくなったときにな、毎度引っ張って連れていきやがったんだよ、こいつがな。絶対負けないから見に来い、ってな」


 ロウさんはビールを奪い取った海斗さんのお墓を見てそう言った。


「でもあいつは嘘をつかなかった。最後の最期まで負けなかった」


 昔を懐かしむようにまた月を見上げている。僕もなんとなくその視線を追いかけて夜空を見上げた。人は死んでしまうと空で星になるという話はきっと慰めのための嘘なんだろう。今は亜人プルシオスの町と化した川越でも同じように言われるのだろうか。


 いったい今まで何人があの迷宮ダンジョンで命を落として満天に広がる星空の一部になったんだろうか。それは僕にもロウさんにもわからない。でも僕は必ず強くなって、誰も傷つけさせない騎士になる。今、この星空に誓う。


「はぁ、なんか安心したら眠くなってきたぜ。お前も早く休めよ」


「ロウさんはいつも寝てるじゃないですか」


「あれはいざというときに力を温存してるんだよ」


 冗談めかして言ったロウさんは最後にお墓に手を振って裏口からギルドのダイニングに戻った。僕もその背中を追いかけていく。もう僕はただの奴隷じゃない。本当にこの人のギルドの仲間なのだ。


「俺たちには俺たちのやり方があるよな」


「はい、そう思います」


 ロウさんは潰した空き缶をゴミ箱に入れようとして、僕の方を振り返った。


「これ、飲んだの内緒にしといてくれるか?」


「わかりました」


 僕が頷くと、ロウさんは捨てようとした空き缶を拾い直す。自室に持ち帰ってこっそり処分するつもりなのだ。でもきっと明日にはミオさんにバレて無駄遣いをしたと怒られるのだろう。ほんの数分猶予ができるだけだ。


 僕はロウさんと廊下で別れて自分の部屋に戻った。温かい布団に潜り込むとなぜだか今話したことがすべて夢だったんじゃないかと思えてくる。僕は星空を見上げながら、明日が来るのを心待ちにしていることに気がついて、目を閉じた。

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