月下の夜会
いつの間にか眠ってしまったみたいで、僕が目を開けると、部屋はすっかり真っ暗になっていた。窓からは月明かりが入り込んでいてよく晴れているようだった。半日も寝ていたせいか空っぽの胃が食べ物を求めていた。
「少し、お水でも飲んでこようかな」
確かカウンターに飲み水用の水差しが置いてあったはずだ。食べ物はまだ入りそうもないし、なによりも残っているとも思えなかった。真っ暗な廊下を手探りで進んで、音を立てないようにゆっくりと階段を下りる。もうみんな寝てしまったようで、しんと静まり返ったギルドは冷たい空気で僕を刺しているようだった。
一階に下りてくると、誰もいないと思っていたカウンター辺りに人の気配がして、僕はさっと身を隠した。いったい誰だろう。こんな夜中に。自分のことを棚に上げてこっそりと様子を窺う。僕と同じように誰かがたまたま起きてきているのならいい。もしも泥棒だったら。
「誰だろう?」
僕はもう一度、今度は身を乗り出してカウンターの方を覗きこんだ。何かを探していたらしい人影は目当てのものを見つけたらしく、そのまま裏庭の方へと消えていった。
「なんで、裏庭?」
あそこにはもう海斗さんのお墓があるだけだ。建物の間に作られただけだから外に出ることもできない。僕は不思議に思いながら、やらなくてもいいのに人影を追って裏庭へと歩き出していた。
きっちりと閉められていなかったドアの隙間から外を覗き見ると、月明かりに照らされてさっきの人影がロウさんだったとわかった。白銀の毛で覆われた獣耳が輝いているように見える。お墓の横に並ぶように座り込んで僕に聞こえるほど大きな溜息をついた。
「わかっちゃいたが、憎まれ役はつれぇよな」
海斗さんに話しかけるようにロウさんはそうつぶやいた。お墓の前には缶ビールが二つ置かれている。一つはきっとお供え物なんだろう。
「それでも叶哉はきっと乗り越えるさ。お前の
ふいに僕の名前が呼ばれて体が動いた。あまりたてつけのよくないドアが軋むような音を立てる。
「誰かいるのか?」
ロウさんの声が鋭くなって、立ち上がると同時に構えをとった。それだけで僕はもう降参する以外の選択肢を頭の中から排除してしまう。
「ごめんなさい。立ち聞きして」
「なんだ、叶哉か」
僕はドアをゆっくりと開けて、ロウさんの前に姿を現した。ロウさんは少しも怒った様子はなくて、むしろ恥ずかしそうに頭を掻いた後、無言のまま僕に向かって手招きした。
「お前も飲むか?」
ロウさんはお墓の前に供えてあった缶ビールをとって僕に差し出した。よく見ると少し顔が赤らんでいる。恥ずかしそうにしていたのもあるけど、もう何本目かなんだろう。僕の下手な
「いえ、未成年なので」
「それは
正確にはそれも日本だけの話だ。世界には子どもでもお酒が飲める国だってある。それでもやっぱり染みついた道徳観を振り払うことは僕にはできなくて、首を振ってお断りした。ロウさんはまた墓前に缶ビールを戻すと、もう一本を開けてすぐさま飲み下す。
「少しは落ち着いたか」
「はい。でもやっぱり」
「怖いんだろ?」
言い当てられた思いを否定することなく僕は頷く。今でも目を閉じれば死獣の赤い瞳と鋭い牙を簡単に思い出すことができる。
「誰でも死ぬときってのはあっさり死ぬもんなんだよ」
「え?」
急にロウさんに言われて、僕ははっとして我に返った。月を見上げるロウさんは
「俺はこのギルドを作る前は荒れ狂う
「落ちこぼれ?」
「俺は生まれつき狼化ができない。
「うちにいるやつはみんなそうさ。なにか問題を抱えて追い出されたり逃げたりしてここに来た。だからうちは
ロウさんは自嘲気味に笑った。ギルドの名前にゴミなんて、と思っていたけど、そんな意味があったなんて。
「じゃあ
そうだな、とロウさんは僕の自虐を否定しないまま笑った。でもその後、また優しい声に戻ってこう言った。
「狼化できない
意外な言葉だった。絶対に許してもらえない、そう思っていたのに。泣いても吐き出しても動けなくなっても絶対にそれだけはあり得ないと言われると思っていた。でもロウさんはもっと違うところを見ていたのだ。
「お前ならできると思ってる。たとえ時間がかかってもな」
「ミオさんにもそう言われました」
「だろうな。他の奴らもそう思ってるだろうよ」
弱音しか吐いてこなかった僕をどうしてそこまで信じてもらえるんだろう。
「ちょっと昔話をしてもいいか?」
そう言ってロウさんは残っていた缶ビールを
「俺が剣闘の
ロウさんは僕の答えも聞かず、まるで誰もいないかのように話し始めた。
剣闘というのは川越で行われている娯楽だった。
「そこで俺も何人かの
「僕みたいでしたか?」
「いや。叶哉よりはマシだったな。少なくとも刃を研いでいない訓練用の剣はしっかり振るっていたからな」
ロウさんは少しいたずらっぽく笑う。こんなロウさんの顔を僕は久しぶりに見たような気がする。僕が心を沈めていたときに、彼女もまた痛みをこらえていたのだと今さら僕は気がついたのだった。
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