解放の証

 ギルドに戻ってくると、優しい香りが立ち込めていた。カウンターではもう治ったらしい氷雨ちゃんが料理をしているみたいだった。もう浴衣にも氷がまとっている。火を使っているようだけど溶けない氷はやっぱり雪女スノーホワイトの魔法で作っているからなんだろうか。


「氷雨ちゃん、もう大丈夫なの?」


「うん。ひさめはしょうきにもどった」


 氷雨ちゃんは菜箸を掲げてにこりと笑った。あの調子なら本当に大丈夫なんだろう。ミオさんやロウさんが無理させるとも思えないし。こうしているとだんだん自分の家が思い返されて、また少しホームシックにかられてしまう。


「おかえりなさい、あら?」


 僕らが帰ってきたのを見たミオさんがすぐに不思議そうな声をあげる。特におかしなことはないと思うんだけど。すぐに振り返って二人の顔を見ると、勇さんの表情がこわばっていた。


「何かおかしなところでもあるか?」


「あそこの亀焼き、食べてきましたね?」


「な、なにを根拠にそんなことを」


「甘い匂いが全身からしてるぞ、人狼ウェアウルフの鼻を甘く見るなよ」


 虚勢を張って乗り切ろうとした勇さんをたしなめるようにソファで寝転んでいたロウさんが言った。人狼ウェアウルフっていうからにはやっぱり鼻がいいみたいだ。ミオさんも猫妖精ケットシーだから同じなんだろう。勇さんやエレナさんは力が強かったし、氷雨ちゃんは氷の魔法が使える。これだけの人がいて倒せない死霊ファントムっていったいどんな存在なんだろうか。


「今日は叶哉さんの入団祝いですからいいでしょう。残りの分はしっかりもらいますけど」


 勇さんはまだバツが悪そうに持っていたお財布代わりの小袋をミオさんに渡した。中身をしっかりと確認して、それをミオさんはしまいこむ。やっぱりこのギルドの家計はミオさんに一任されているらしい。他に適任者も見当たらないけど。


「ひさめもかめやきたべたーい」


「今日はもう夕飯だから明日にしよう」


「わかったー」


 氷雨ちゃんが今度はしっかりとした足取りで料理を運んでくる。あまり広くないテーブルいっぱいに料理が並ぶ。そう思ったけど、どうやらいくつものお皿に分けているだけでメニューは野菜炒めと焼きいもだけだった。


「あぁ、肉が食いたい」


「贅沢言わないでください。うちの収入ではこれが限界です」


 勇さんが溜息をついたのをすぐさまミオさんが諌めた。他の三人は何も言わないのを見るといつものことらしい。


「氷雨ちゃんは料理上手なんだね」


「うん。ひさめおりょうりすきなの」


 氷雨ちゃんは最後に自分の椅子に座りながらそう言って笑った。僕はまったく料理ができないからこんなにたくさんの野菜炒めを一気に作る難しさはわかっていない。でも見た目より幼いという氷雨ちゃんが作っているのはやっぱりすごいことのはずだ。


「それにしてもおいもはたくさんあるんですね」


「さつまいもは川越で生育されていますからね。安定して安価なんですよ」


 貧乏暮らしのお供なんだそうだ。ロウさんは少し眉根を寄せながらも焼きいもに手を付けた。


「今日はあまりいいものが取れなかったからな。これもまた宿命だ」


「無事に帰ってくることが一番ですよ」


 ミオさんは野菜炒めを食べながら優しい声でそう言った。それはつまり迷宮ダンジョンはそれだけ危険な場所っていうことなんだけど。


「あの」


「どうした? 食べないのか?」


「かにゃおにいちゃん、おやさいきらい?」


「いや、そうじゃないんですけど」


迷宮ダンジョンに入るのが怖いか?」


 僕が言いよどんだ答えを察したようにエレナさんが短く言う。心の中を読まれたようで僕はちょっと怖かった。今の川越は亜人プルシオスの街になっている。人間の姿をまったく見なかった。それくらい迷宮に行く人間が必要だってことだ。それはもしかしてとっても危険な場所だってことなのかもしれない。


「ならば諦めろ。恐怖を殺せ。川越に来た人間ヒューマンの存在価値はそれだけなんだ」


 人間の存在価値、という強い言葉に僕の体は固まってしまった。奴隷として扱われる人間が自由に暮らせるとまでは思っていなかったけど、エレナさんの口から言われるとその事実がもっと身近に感じられる。


「そんな言い方をしなくてもいいじゃないですか」


「いや、はっきりさせといた方がいいだろ。川越から出るにはそれしかないんだ」


「ここから出る方法があるんですか?」


 帰ってきた人がいることは知っていたけど、奴隷から逃げ出したり運よく帰ってこれたりしただけなのかと思っていた。ちゃんと池袋に帰る方法がわかっているなら僕はそれをやるしかないのだ。


 ロウさんが僕の言葉を受けて視線をミオさんに向けた。また私ですか、とミオさんがロウさんをじとりと睨みながら口を開く。

「叶哉さんは電車に乗って川越に来ましたよね? あれに乗れば池袋に帰ることができると聞いています。人間ヒューマンだけらしいですが」


 僕が乗ってきた東武東上線。あれはまた元の世界に戻る電車もある。それに乗れば元の世界に帰ることができる。希望があるというだけで少しほっとしてくる。


「ですが、乗ったところで電車は動きません。駅の管理人に動かしてもらうしかないんです。そのために必要なものが、木剣ルディスです」


木剣ルディス?」


「はい。解放奴隷の証。もう戦う必要のない人間ヒューマンに与えられる不殺の剣。それが木剣ルディスです。ただ、それを手に入れるためには」


迷宮ダンジョンに赴き、死霊ファントムを狩る。それも懸賞金のかかった飛びきりの強敵を、だ」


 ややためらったミオさんの言葉を受け継ぐようにエレナさんが続けた。優しいミオさんが言いよどむってことはそう簡単なことじゃないんだ。


「もし、それをしなかったら?」


闘技場コロッセオに回されて人間同士で斬り合わせて見世物扱いだ。くだらねぇぜ」


 吐き捨てるようにロウさんが言った言葉にみんなが頷いた。川越では人間の扱いはせいぜいそういうものなのだ。化け物相手に戦うか、人間同士で戦うか。たったそれだけの選択肢を与えられてどちらにせよ戦い続けなくてはいけない。


「そういうひどい奴隷スクラヴォスの扱いが嫌になって立ち上げたのがこのギルドなんです」


迷宮ダンジョンに行くといっても我らもともに行く。決して無理も置いていきもしない」


「ひさめも、かにゃおにいちゃんまもるよ」


 優しい言葉は裏を返せば決して簡単な道ではないことをみんながわかっているということだ。でも僕が帰るまでみんなが支えてくれると言っている。今はそんなギルドに拾ってもらったことを感謝しなくちゃいけないんだ。


「言っても不安になるだけだ。一度行ってみれば少しはわかるさ」


 ロウさんに僕は無言のまま頷く。まだ不安なことには変わらないけど、何もしないままここにいるわけにもいかない。あの街に戻るために必要なことを一つずつやっていくしかないのだから。

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