意外な歓迎

「隣、座っても大丈夫か?」


 不思議な世界に迷い込んだ自覚が出てきた僕はひとりひとりの顔をぼんやりと見ていると、ダンダラ羽織の女の子にそう聞かれてはっとした。


「あ、すみません」


 席を譲るように立ち上がると、手をつかまれてまたソファに座らされた。


「立てとは言っていない。我は火蜥蜴サラマンダーいさみ武士もののふを志す者だ。以後よろしく頼む」


「勇ちゃんはいつもこんな調子なので適当に相槌を打っておいてください」


「ミオ! それはないだろ」


 偶然新選組と一致しているわけじゃなくて、本当に憧れているらしい。二刀をソファに立てかけて少し不満そうに口を尖らせた勇さんは確かに古風というにはあまりにも半端な口調だった。頬や手甲に見える鱗は火蜥蜴サラマンダーの特徴なんだろうけど、こうしてみると甲冑のように見えなくもないかもしれない。


「かにゃおにいちゃん、こーひーいれたよー」


 元からふわふわとしていた氷雨ちゃんの声がさらに宙に浮かんだようになっている。驚きながらカウンターの方を見ると、氷雨ちゃんが危なっかしい足取りでこちらに近づいてきていた。酔った人の千鳥足みたいで持っているカップから今にもコーヒーがこぼれそうになっている。


 そしてなにより氷雨ちゃんの浴衣がなぜかぐっしょりと濡れていた。さっきまでは雪女スノーホワイトというだけあって確かに氷をまとっていたはずなのに。幼いと聞いていても体は大人だ。白い布越しに透けて見える白い肌から僕は慌てて視線を逸らす。


「氷雨! またコーヒーを飲みましたね? それを飲むと酔うからやめなさいっていつも言ってるでしょう!」


 目を背けた僕に気がついて、ミオさんが慌てて立ち上がって氷雨ちゃんにタオルをかぶせた。それでも濡れそぼった和服美人っていうだけで十分目に毒だ。


「だっておいしいかちゃんとたしかめないと」


「飲んだらこうなるのはわかってるでしょう。叶哉さんは男性なんですからこれからはちゃんとした服をですね」


「ひさめふくきーらーいー」


 ミオさんにタオルで拭かれながら、氷雨ちゃんは駄々をこねるように頭を振った。やっていることは子供っぽいんだけど慣れるまでにちょっと時間がかかりそうだ。


「おにいちゃん、こーひーおいしい?」


 そう言われてテーブルの端に置かれたコーヒーを手にとった。まだ温かいコーヒーをすする。これは何も入っていない、ブラックコーヒーだ。元々苦いものが得意じゃない僕にはちょっと辛いけど、氷雨ちゃんの前で嫌な顔なんてできるはずなかった。


「うん。おいしいよ」


「わーい、かにゃおにいちゃんありがとー」


「それじゃ部屋の方で休みますよ」


 ふらついたままの氷雨ちゃんはミオさんに連れられて奥の階段を上がっていった。どうやら二階は個人の部屋になっているらしかった。二人の姿が完全に消えるのを見送ってから向かいに座っていたエレナさんが笑いを堪えながら言った。


「砂糖を持ってこようか?」


「はい。お願いします」


 どうやら我慢したつもりでも顔に出ていたみたいだ。氷雨ちゃんは酔っていたみたいだから気付いていないといいんだけど。薄く笑いを浮かべながら戻ってきたエレナさんから砂糖を受け取ってスプーン二杯入れさせてもらう。氷雨ちゃんには悪いけどこれはまだ僕には早いみたいだ。


「氷雨はちょっと休めば治るだろ。その間に川越観光でもしてきたらどうだ?」


 相変わらずロウさんはソファで横になったままそう言った。今度は半分エレナさんに譲っているから、器用に体を丸めている。そうしていると本当に犬か狼みたいだ。


「私が氷雨を見ていますから、行ってくるといいですよ」


 戻ってきたミオさんもそう勧めてくれる。僕はまだ沈んでいなかった頃の川越も写真や映像でしか見たことはない。川越がどんな街なのか興味があるのは事実だった。もうこの世にはないと聞かされていた場所に僕は今いるのだ。


「俺は面倒だから勝手に行ってきてくれ」


 気だるそうな声でロウさんは手だけを上げて軽く振った。さっきからずっと寝ている気がする。もしかして何もしたくないからリーダーやってるんじゃなかろうか、という考えが浮かんできたけどそんなこと言える立場じゃないのだ。


「我らは今戻ったばかりの身なのだか」


「これも宿命だ。諦めよう」


 エレナさんは重々しく言って立ち上がる。なんだか無理をさせているみたいで悪い気もするけど、川越に興味があるのは嘘じゃない。エレナさんに続いて僕と勇さんも立ち上がる。


 外へ出ようとしたところで、ミオさんが慌てて僕のところに何かを持って走ってきた。


「ちょっと待ってください。これを」


 ミオさんが手に持っていたのは小さな緑色のリボンだった。可愛らしいもので僕には全然似合いそうもないんだけど。


「これを首に巻いておいてください。奴隷スクラヴォスは所属がわかるように首に印をつけておく必要がありますから」


「これを首に、ですか?」


 さすがに男としてはこのリボンを巻くのはちょっと恥ずかしい。女の子ばかりのギルドだからそういう考えはあまりなんだろう。もしかすると人間とは感性が違うのかもしれない。しかもずっと巻いておかなきゃいけないなんてちょっと首に違和感がありそうだ。


「他のギルドでは首に焼印を入れるのだが、そうするか?」


 いたずらっぽくエレナさんが言う。急に首筋が冷たくなってリボンが巻きたくなってくる。奴隷扱いしないというのは本当の話みたいだ。


「わ、わかりました。巻きます。巻かせてください」


「あまりお気に召さないようでしたら、何か代わりを考えておきますね」


「いえ、これで大丈夫です」


 本当に焼印なってしまっては大変だ。エレナさんが言ったのも冗談だとは思っているけど、やっぱりちょっと怖いなぁ。


 ミオさんが背伸びして僕の首にリボンを巻いてくれる。氷雨ちゃんとは逆に一番幼そうな見た目をしているミオさんが一番しっかりしているっていうのも変な気分だ。


「これで大丈夫です。取れたりしたらすぐに巻き直してくださいね。曲がったりしても大丈夫ですから」


「はい、わかりました」


 ミオさんが手を振って見送ってくれる。その姿にちょっとお母さんを思い出してしまう。僕が川越に行ったことはたぶんもう伝わっているだろう。駅のホームのカメラなんかにはきっと川越行の電車に乗っている姿が映っているはずだ。


 川越に行って帰ってきた人はいくらかいたはずだ。そのうち誰もその間何をしていたのかを語ったことはないと言われている。もしかすると川越が存在してそこには亜人プルシオスが住んでいたなんて言っても信じてもらえなかっただけなのかもしれない。


 僕はまた池袋に帰ることができるのだろうか。それもまだよくわからないまま、エレナさんと勇さんに連れられて僕は川越の街へと繰り出した。

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